私が大学進学をしなかった理由

最近、わたしのInstagramを見ていただければわかると思いますが、中野信子さんの虜となっています。

そう、わたしは影響されやすいおとこ…
読む本によって文体が変わったりしてしまいます。

そんな中野信子さんが、アカデミクスの本当の姿を描写していて、わたしもそれに倣って書き記したいと思います。

高校生の頃のわたしにとって、大学とは
何となく真理を授けてくれるものだと思っていた。

しかし、それは世間知らずの甘い妄想であり、現実はそれほど意味のない論理の羅列と大して実用性を感じない、社会的権威を獲得するための組織だと感じた。

わたしは結局大学には行かなかったので、これが思い込みであるかどうかはわからないが

当時の色んな思いで切羽詰まった、およそ高校生らしくない高校生のたどり着いた1つの結論だった。

★大学は利権構造

結論から言うと、私が思うに大学は利権の固まりです。
「学位」というものを設定した国家主導のビジネスです。

わたしたちの親の世代(60年代後半生まれ)ではそうでもなかったらしいのに、わたしたちの世代(所謂Z世代)では普通に「大卒」であることが求められます。
(特に転職などで求められ、高卒であるだけでとても不利に働きます。)

今の時代、大学にかかるお金は
国立では4年間で250万円ほど
私立では文系で450万円、理系では650万円ほどかかります。

奨学金制度がありますが、一般的に融資してくれる独立行政法人日本学生支援機構
通称JASOOには、わたしの時代(98年生まれ)には給付型の奨学金がありませんでした。
(今では評定と世帯年収の水準を満たせば、貸与といって返済不要の奨学金が借りられるようです。)

つまり、無利子の借金を数百万円借りる必要性がわたしの場合あったのですね。

これをとてもリスクと捉えました。

「社会」というものが右も左もわからないのに、数百万円の借金を抱えなければならないという仕組みに、わたしは憤りを感じるようになりました。

私には、社会のことをわからない若者に、「将来のために」という体の良い名目で、国家の人柱になるようなよくわからない教育を受け、借金の返済に終われるような日々を送れ!という脅しのようにしか聞こえませんでした。

Twitterなどでも大学生活が合わず、中退してしまい数百万円の奨学金だけが残ったという話を耳にすると、とてもじゃないけど他人事には思えませんでした。

そして、日本の大学教育全般に興味を持てませんでした。
ただ、学ぶ。ということがあまり良いことと思えず
「何のために?」「誰の役に立つのか」という文脈で科学が解釈されていくことについて、自分なりに意味を持てなかったのです。

つまり、自分の学びたいものがなかった。

「何となく、今まで勉強してきたし」
とか
「周りが進学するから」
とか

そういう理由で進学するのは、自分に嘘をついているようで、とても心苦しかったのです。

一方で、科学を追求したいという思いもあり

中途半端なわたしは、大学に編入できる道もある専門学校へ進学を決めたのでした。

その後わたしは体調を崩し、お守りのように読んでいた各種心理ブログから
「量子場観察術講座」の案内を目にし

「量子場調整」というものを知っていくのでした。

「量子場調整」は、わたしの中で、求めていた「真理」で

知りたかった形而上学的な問いが、解決していくような喜びがあったのです。

大学へ進んだだけではわからないことがたくさんあり、それを学べた、学べる環境を許してくれたことに感謝しています。




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