チー牛文学 早苗(29歳派遣社員)


 「すみません。このあたりに美味しい日本酒の店があるって聞いたんですけどおすすめ教えてくれませんか?」
土曜19時、新橋駅の近くで2人組で20代前半くらいの女性2人組に声をかける。
狙うのはいかにも上京したといった感じの垢抜けなさの残る若者。就職して上京したパターンが一番いい。かつてのわたしのように。
「あ、すみません。私たちこのあたり詳しくなくて」
1人の女性が丁寧に断り、そのまま去っていってしまった。
「いやー、早乙女とならいけると思ったのにね」
今日の声かけのパートナーウララさんがいう。ウララとはあだ名で、本名は隅田佳奈。苗字の隅田から隅田川→瀧廉太郎の「春の麗の隅田川」からつけられたらしい。
わたしのあだ名の早乙女は、早苗を植えるのは早乙女、ということでウララさんがつけた。

ウララさんとの出会いは6年前。
早苗は北関東の生まれで、大学まで実家から通い就職を機に上京。仕事は金融の営業で土日休みではあったものの毎日が忙しかった。
在学中に交際していた彼氏もいたが、修士に進学した彼がとても貧乏に見えて、就職してから半年ほどで別れた。都心ならもっといい男を捕まえられると無邪気に信じていたので彼氏を作ろうと街コンに何度か参加した。そこで参加者の女の子と友人になり、そのツテの合コンでウララさんと知り合った。ウララさんは早苗の2つ上で、聡明で穏やかな性格が顔に滲み出た上品な美人だった。ウララさんとはお酒の好みもよくあったので何度か2人で飲みにいった。

いつものように2人で飲みにいったある日、ウララさんからその日は「わたしの知り合いのお店に行こう」と誘われた。連れて行かれたお店は雰囲気もよく、何よりお酒も食べ物も相場よりリーズナブルで美味しかった。ウララさんと店長はとても仲が良く、早苗は上京したてもあり「行きつけのお店がある」ということがとても眩しく見えた。
お酒も進んだところで、ウララさんから、「わたしね、夢があるの」と唐突に打ち明けられた。「雑貨屋とカフェを開くの。そこで北欧から輸入した雑貨を売って、くる人にホッとしてもらえるようなカフェで自家焙煎のコーヒーを入れるの。今の日本て、忙しい人ばかりでしょう。そんな人に、悠久の時間を感じてもらって自分の人生について見直して欲しいの」
素敵な夢を語るウララさんの目はキラキラしてどこか遠くを見つめていた。
「だからね、早苗ちゃんの夢も教えてほしいの。小さい頃からの夢」

夢… 早苗が思いついたのはイラストだった。
小さい頃から兄がジャンプを毎週購入していたので、兄と弟と3人で読んでいた。そこからイケメンキャラに夢中になり、家にあった画用紙に必死に模写した。おかげでイラストは上手くなり、今でもたまにSNSにあげるといいねが100件ほどつく。しかしそれを仕事にしようとは全く思わなかった。
でもウララさんのキラキラした目を見ると思い出した。毎週毎週更新されるジャンプの絵を必死で書き写していたあのころのキラキラした気持ち。好きなことに一生懸命になる気持ち。

「わたしは…イラストで食べていけるようになりたい」
「いいじゃん!早苗ちゃんなら絶対できる!だってこんないい人ならイラストの仕事いっぱいくるって!」
「まず夢を叶えるためには自営業として独立する必要があると思うの。今度一緒に自営業のコツのセミナーがあるから一緒に行こう」
とウララさんはキラキラした目で誘ってきた。

翌週、ウララさんと一緒に都内の商業ビルで行われるセミナーに参加した。
演者は銀行に勤めていた過去をもつという、30代半ばくらいの男性だった。
いかにも起業して成功しました、といった風貌のビジネスカジュアルの服装に髪もラフに纏めている。登壇した途端に割れんばかりの拍手がなる。

「初めまして、そうじゃない人もこんにちは。藤嶋宏人です。本名よりも”フジト”と自己紹介した方が、ここにいる多くの皆さんは馴染みがあるでしょう。私は現在キャリアインフルエンサー、ヒューマンコンサルタント、シーシャバー含む飲食業などの多くの事業を展開しており現在3億円を超える収益をあげています」

フジト氏はいかにもセミナーなれしてる様子で雄弁に続けた。

「さてここにいる皆さまはお気付きの通り、この未曾有の少子高齢化社会を迎える日本において会社員とはほとんど搾取されてしまう立場です。皆さんも給与明細で税金と社会保険料の高さに驚いたでしょう。会社員として働いていてもおそらく5割は政府に抜き取られてしまいます。」

「そこで皆さん、起業をするのです。自らが経営者となり、自分で払う税金を決める。『金持ち父さん、貧乏父さん』は皆さん読みましたか?会社員のように搾取される生き方はもうオワコンです。会社に搾取されるのではなく、自己投資をして自分を源として生きるのです!」

「まずは自己投資とは健康第一、自らを高め生きていきましょう!」

セミナーが終わるとまた割れんばかりの拍手に包まれた。早苗はセミナー会場の雰囲気に飲まれて内容は断片的にしか入ってこなかったが、隣のウララさんは感動していたようで少し涙が滲んでいた。

「どうだった?セミナー」
帰り道、ウララさんはキラキラした笑顔で早苗に尋ねた。
「えっと、なんだかすごい人だったね…」
気後れした早苗は曖昧な回答しかできなかったが、
「でしょ!?フジトさんってものすごくカリスマ性のある人だよね。ああいう人の元で教わったら自分も成功できそう」
「早苗ちゃん、よかったらわたしとシェアハウスしない?家賃も月々たった2万円だし、起業家になるためにはとにかく自己投資!職住近接にして通勤時間を減らそう!」

キラキラした目でまくしたてるウララさんに誘われると、なんだか自分も成功できるような気がした。それにここで断ったらウララさんも失うようで怖かった。
早速翌月からシェアハウスに移り住むことにした。8畳の部屋に6人が住んでいるから狭かったが、大崎に2万円で住めるのは破格だった。
あだ名「早乙女」もその日のうちに決まった。ウララさん含むメンバーはみんな優しくて、シェアハウスも合宿のようで楽しかった。

シェアハウスを始めてから、土日はフジトさんを師匠として、経営者としての心得を教わった。コアとなる価値観は「ピッパ(ピッと感じたらパッとやる)」「自分が源」「過去はゴミ」「自分の心の声を信じる」の4つ。自己投資は年収1000万円の人が20%、つまり月15万円を自己投資にかけることが必要だと教わった。その15万円でBeyond というブランドの健康食品と化粧品を買い、それを仕入れ販売して収益をあげる。Beyond の製品は実際にとても高品質で、早苗も6年愛用して肌が見違えるように綺麗になった。
自分の時間を最大限自己投資に使うため、残業のない事務派遣を選んだ。平日は退勤後に毎日新たな仲間をつくるチームビルディング活動を行う。最初に転職した職場は性に合ってなかったので、何度か転職を繰り返して今は食品会社の広報部に落ち着いた。

ただ、シェアハウスで生活費が抑えられているとはいえ、月15万円の出費は痛い。貯金はとっくに底をついた。シェアハウスを始めてから3年、これまで親に何度か貸してもらったが、100万円を超えたあたりで貸してくれなくなった。地元の友達・岡本香織にお願いして30万円は貸りた。ただ毎月3万円の返済は厳しく、毎月の返済が滞ってしまった。

“今月3万円まだだよ“
“早苗もういい加減にしてよ“
“ネットで調べたよ、起業家集団・自然って毎月15万円も払う怪しいマルチでしょ“
“早くやめなよ“

香織からラインの連投がきた。
師匠のフジトさんから、毎週のようにネットは便所の落書き!って教わっていたので、ネットの情報を鵜呑みにしている香織に腹立たしさを覚えた。

“ごめんなさい。お金を貸してくれたことは本当に感謝してる”
“だけど私は夢を叶えるために、経営者として成果を出すために努力してるの“
“今の私の努力を理解する気が香織にないなら、もう縁を切ったほうが香織のためにもいいと思う“
“友達よりネット情報を信頼するような人だったんだね、香織って”

ラインを連投して一旦通知をミュートした。
まだ香織には15万円の返済が残っている。15万円なら一括で親に借りられるか、一度親に連絡した。

“お母さん、どうしても15万円欲しいの“
一日たっても既読はつかない。もしかして親にブロックされたのかもしれない。
香織は地元の友達だし、親も知ってるからさっさと残りの金額を払わなきゃめんどくさいことになりそう…このままバックれたら絶対親に連絡行くし…と悩んだ末、ウララさんに相談した。

「そんなこと言う友達いるんだ!ひどいね…」
ウララさんは心の底から心配してくれたようだった。
「そんな友達縁を切りなよ。便所の落書きを信じるような友達なんて早乙女の足を引っ張るだけだよ」
「でも…まだ15万円返さなきゃいけなくて…」
「そんなのバックれればいいじゃん!…って言いたいところだけど、地元の友達だとめんどくさそうだね。私、先月からデリヘルで働いて借金の補填してるの。」
ウララさんはあっけらかんと話す。

「早乙女なら色も白くて清楚系だし、絶対売れっ子になるって!一緒にやろう」
ウララさんに誘われるがまま、一緒に店舗へと向かった。

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