チー牛文学 愛理 (29歳派遣社員)
「愛理ちゃん、いい人見つかった?」
夕食後に自分の部屋に向かう愛理にママが声をかける。
「うん、来週はまた新しい人とお見合いしてくるよ」
とりあえずママにはそう言って自分の部屋に逃げた。来週会う人がいるのはウソではないが、結婚相談所の人ではない。高校時代の友達、大山由紀にお願いして職場の人を紹介してもらう予定だ。小学生の頃から使っているベッドに寝転び、毎週楽しみにしている恋愛リアリティーショーの続きを見ようとスマホの電源を入れた。
愛理は大手自動車会社の下請けメーカーで働くパパと、専業主婦のママの元に生まれた。2つ上の兄・諒平と愛理の4人家族。末っ子だったのでパパもママもお兄ちゃんも小さい頃から可愛いと甘やかしてくれた。ママは小柄だが近所でも評判の美人で、ママによく似た愛理も可愛いと言われて育った。くっきりした平行二重の大きな瞳、アンニュイでミステリアスな表情がよく似合う大人っぽい顔立ち。スッと通った鼻筋に艶々の黒い髪。小さい頃は発育も良く、小学生でありながら中学生によく間違えられた。身長は小学5年生で155 cm で止まってしまったが、ちょうどミニモニ。も流行ってて「小さい女の子は可愛いよ」と言われたのでむしろ武器だと思っていた。
「女の子はおバカでいいの。勉強ができてツンとすましているより、ニコニコ愛嬌があってお料理が上手で、可愛くいることが大事」それがママの口癖だった。そのママの言葉を裏付けるように、中高生の頃はヘキサゴンやAKB48が流行り、「女の子は頭空っぽでいい」「ちょっとおバカな女の子が可愛い」という歌が大流行していた。愛理は地元の公立中学に入ってすぐに同じクラスのサッカー部の土田洋平くんと付き合った。学校でも評判の美男美女カップルで、中1の夏休みに親のいない時を見計らって初体験を済ませた。
「女の子はおバカでいい」「女の子は可愛いことが大事」のママの言葉を信じて中学時代はそこまで勉強もせず高校は制服が可愛くて偏差値もまあまあな公立の普通科に進学した。地元でも可愛い子が進学すると評判の高校だったが、そこでも愛理は飛び抜けて可愛かった。高校でも学校で1番のイケメンと付き合い、飽きたら別れるを繰り返した。別れてもすぐまた別のイケメンが告白してくれるので、中学生からほぼ彼氏のいない時期はなかった。また、高校2年生の時にはフリーペーパーの美少女図鑑にも掲載された。地元のAKB系列のアイドルの一次審査も通過した。可愛いことは大正義、愛理は可愛いだけで生きていける、そう信じて疑わなかった。
大学は自宅から通える中堅の私大文学部に推薦で入った。この頃になると、顔立ちに年齢が追いつき、ミステリアスな美少女の雰囲気は無くなってしまったが、そこでも愛理は可愛いと評判だった。留年しそうな時は男に課題のレポートを頼みありがとう♡というだけで引き受けてくれる。小さい頃から男にちやほやされるのは当たり前だったが、都会でちやほやされる大学生活は今までよりずっと楽しかった。
就活は大手損保を中心に受けたが、学歴が足りなかったようでどこも門前払いだった。あれ?女の子は顔が可愛ければ就活も大丈夫でしょ?焦ってESを何社も出し、4年生の6月にようやく就職先が決まった。中小企業の事務社員。聞いたこともない会社だし安い給料だったが愛理は就活を続ける気力はなかったし、その頃は東京の大手出版社に内定をもらっていた名大の中野大智くんと付き合っていた。大智くんとすぐ結婚しちゃえば大丈夫!
社会人になってから何度か大智くんの元を訪れたが、就職してから半年であっさり破局した。ベッドにイヤリングが見つかるというあまりにも陳腐な浮気だった。愛理のプライドは傷つき、その日のうちに新幹線で名古屋に帰った。大智くんなんて、出版社のゲタでモテるようになっただけで大したイケメンでもないくせに。
大智くんよりもずっといい男を捕まえなくては。今の会社にいても冴えないおじさんばかりで出会いはない。だったら派遣社員になって大手企業に出入りしてそこでイケメンを捕まえればいい。結局新卒で入った企業は1年で退職し、事務派遣社員として働き始めた。その選択はママも褒めてくれた。「女の子がそんなガツガツ働くもんじゃないの。派遣で結婚して仕事辞めればいいんだし、それなら大手企業に出入りする方が出会いはあるでしょう」
大手損保や自動車下請けメーカーを中心に派遣社員として働いて今年で6年目になる。大手企業にいるイケメンは愛理に全く興味を示さず、話しかけてくるのはいかにもカースト2軍といった風貌の男ばかり。何度かデートを繰り返していたが、今までの元カレと比べてしまいときめかない。26歳の時にようやく結婚を考えられそうな彼氏と出会ったけど、結局彼は本社の同期と結婚した。派遣社員の給与ではなかなか実家を出られなかったが、実家ではママが全部家事をやってくれるしパパもママも愛理のことが大好きだから特に出る必要も感じなかった。だけど、27歳の時に兄が結婚してからだんだんと愛理を見るママの表情が暗くなってきた。
兄の諒平は名古屋大学の修士課程を出て大手自動車メーカーに勤務し、そこで知り合った女性と29歳で結婚した。挨拶の時に紹介されたが、びっくりするほど地味な女性だった。愛理と同い年だったが地味で垢抜けず、兄が初めての彼氏だという。だけどママは本当に嬉しそうだった。こんな堅実な女性がうちの諒平を選んでくれるなんて本当に嬉しいとうっすら涙を浮かべながら対応していた。
29歳の誕生日にママが見かねて結婚相談所に登録した。最初は29歳のうちに結婚すると意気込んで活動していたが、出会う男性は見るからに女性と付き合ったこともなさそうな男ばかりだった。冴えない顔立ちに流行遅れのメガネ。エスコート能力のなさ。加えて身長の低さ。結局半年ほどで力つき、今は1ヶ月に一回ほどお見合いを組む形になっている。
今日は由紀の職場の人を紹介してくれる飲み会だ。由紀は高校時代の吹奏楽部の友達で、社会人になった今でもずっと仲良くしてくれてる。由紀はブスではないが地味な顔立ちで、可愛い子の多い高校ではちょっと浮いていた。優しく真面目で気の利く性格で、何度か課題も手伝ってくれた。大学は地元の国立大学に進学し、今は県庁に勤めている。
由紀の職場の人と会うために精一杯可愛い愛理を作り込んだ。実家暮らしなのでお金に余裕もあり、愛理は可愛くいるためのメイク・美容にお金をかけるのが好きだった。ベースメイクは全てクレドポーボーテで揃え、アイシャドウとハイライト、リップはディオール、チークはNARS。マスカラはヘレナ。可愛くいるための投資は惜しまないので、パーソナルカラー・骨格診断・顔タイプ診断は全てプロ診断を受けた。骨格ウェーブの愛理によく似合うスナイデルのパステルカラーのセットアップを着て、誰が見ても「可愛い」愛理を作り込んだ。
指定されたおしゃれな地中海料理の店に向かう。由紀はこういったお店のチョイスもいい。
「愛理!久しぶり」
半年ぶりに会う愛理は結婚してから一層地味になっていた。ほとんどファンデーションと眉毛のみの薄いメイク、体型を隠すようなゆったりした紺色のワンピース。元はそこまで太っていない子だったけど、結婚してから太ったのだろうか。
「今日は来てくれてありがとう!でもね、今妊娠5ヶ月で…わたしだけお酒飲めないんだ。」
「そうなんだ!おめでとう」
こういう時に感情が出る前に間髪入れずおめでとう!っていう訓練はできている。この年齢になると、友達の結婚や妊娠の話題を聞くのは日常茶飯事だった。女の子はバカでも可愛くいればいいけど、空気だけは読めなくてはいけない。幸せそうに微笑む由紀がお腹をさすっている様子を見て、お腹の中がキュッとした。