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引きこもり講演会で喋った原稿

こんにちは、初めまして。里美諒と申します。本日は貴重なお時間をいただき感謝します。
よろしくお願いいたします。色々とお話をする前にまずお伝えしたいことがあります。

ここに今いらっしゃる当事者様、当事者ご家族様方。
皆様はもうすでに一歩諦めず踏み出した。それがどんなに勇気がいることなのか、感じ方は人それぞれですが大きいことに変わりありません。
わたしはそれを素晴らしい、賞賛に値すると思います。皆様とても偉い。るるてあ様という方のコウペンちゃんてキャラクターをご存じでしょうか、あのペンギンが「息をしててえらい!」と言っているかんじですね。
この場に立つお話をいただいた時からこれを最初にお伝えしようと決めていました。なぜって褒められると頑張りたくなりなますでしょ? 大人になるとそういうことてなくなるじゃないですか。なので、少なくても今、この世の中で私ひとりだけでも褒めさせてください。
それでは改めてよろしくお願いいたします。途中、質問などもどんどん受け付けますし、体験談はどうしてもNGなこと以外すべてお伝えしたいと考えています。

私は今、どこからお話すればいいのか、どの時期? と思っています。初めて引きこもったのは小学校4年の時、たった4日でドラクエ買ってくれるていうから外に出たっていう単純なものだったんですが。その後も中学2年、大学時代、社会人になってからも何度も繰り返しているものでして。
なので、まずその小学校の時と中学の時のことがその後にも響いているのでそこからと思います。
先程言った通り、たった4日間が初めてでした。原因はいじめです。今でもなぜあそこまで? と思うくらいその時期から中学卒業まで陰険なものを経験しております。学校にはいかねばならないという固定観念や成績よくいなければならないという家庭環境だったため、その4日間以降なんとか回避してきました。しかしながら、中2の冬、2月にエスカレートし続けたいじめへの感情が爆発して卒業まで引きこもりました。
なにをしていたかというと真面目なことに勉強してましたw といっても通知書には1と2、煙突とあひるが並ぶわけですけども。テスト出てないからですね。あとはひたすら寝てました。趣味の読書と料理に没頭していました。カーテンを締め切った六畳間で、昼夜逆転して、息をするのも許しがほしかったあの時期はなにがあっても忘れられません。
実は私、恐らくその頃から病んでいたんでしょう、今現在も難治性の重度鬱病と不眠症、PTSDでして。記憶の障害もあります。ただ、引きこもっていた時のことや原因、きっかけ、その要因になった人物の苗字と名前はしっかり覚えています。なのでこうしてお話できるわけですがw
外に出るきっかけはなにかを買ってもらえるからという単純なものが最初でして、その後もカネはかけてもらったと思います。でも本当に欲しかったものはもらえませんでした。今現在はそれがこじれにこじれて家族関係は破綻しております。それでもこうして、いつもお世話になっている■■様や主治医様や、本当に信頼できる友達のおかげで生きています。
実は高校時代は引きこもっていないんです。本来なら■■の子どもって■■や■■、■■高校もしくは■■に進学するところ、私は■■に越境進学しました。環境を変えたから外に出れた。それは場所もそうですが人間関係そのものを変えたというところが大きいと思います。今まで生きてきた中で一番元気なのって今なんですが、それ以外だと唯一高校時代がまともに元気だったと言えます。その後、21才までは何事もなく……いや、不眠症は抱えてましたね。それでも■■の■■大に進学して、ひとり暮らしして、このまま普通に過ごして生きていくんだなと思っていました。

ここまでで質問はありますか?

はい、それではそのあとですね。大人になってからですが……半分くらいしか記憶がないです。それくらい21才から病んで病んで、辛すぎて、自分自身の中にしまいこんでしまっています。ただ、外に出たきっかけは覚えています。やはり人間関係に関することで、ネットゲームで仲良しができたことでした。今ではネットを通じて友達を作るてよくあることじゃないですか。でも、当時はボイスチャットもないしスマホもかけ放題ではないし、高速ネット使い放題でもなかったし。そんな中、狭い世界、からそれこそ一歩踏み出したんです。オフ会ってやつですw この頃は半分引きこもりみたいなものでした。私喫煙者なんですよ。なのでタバコを買うのと食料調達のためコンビニにだけはいっていたていうw
それでもなんとか生きてました。鬱の一番ひどい時期だったと思います。誰かに認めてほしかったし、褒められたかったし。ここにいていいんだよて言ってもらいたかったですね。ここでカネはかけてもらったけど……ていうのが関係してくるわけでして。誰も助けてくれませんでした。正確には、父方の祖父母以外声もかけてもらえませんでした。友達もみんなそれぞれ生きていくのが一生懸命で、若さ特有の勢いで突き進むだけで周りを見る余裕なんてなくて。
引きこもった原因は鬱病だといえるのですが、外に出られたきっかけは人間関係というのは前と同じですね。ある時期はセルフネグレクトというものにも陥ってました。自分で自分自身を捨ててしまう。俗にいう汚部屋住人だったんです。もちろん今は違いますよ? ■■様に聞いてみてください、自宅にきていただいたことありますのでw
そうやってなんとか20代後半から30代までたどり着きまして。ここまでで端折ったライフイベントがいくつかあります。それはまた機会があればということでお願いします。一応、この頃からコロナ禍まではきちんと社会人してます。一緒に住んでいた男性が20代後半と30代それぞれいたので。特に一昨年の9月まで過ごした方とは事実婚でした。コロナ禍になって、そこで一気に鬱が悪化します。そして喘息持ちなもので仕事上のチェックに引っかかって出勤しても咳が出るからと帰らされて、結局それが勤怠怠慢ということになって。そしてまたそこから記憶がないのでごめんなさい、一昨年の9月に強制射出と言いますか、■■県に行きました。また環境変化と人間関係そのものが変わったてことがきっかけですね。

ここまでで質問はありますか?

はい、ではここから大きく変わります。何度も環境変化と人間関係リセットで引きこもって外に出るようになってを繰り返してたのはおわかりかと思います。ただ、今回は今までと違いました。なぜって、■■から1300kmも離れた■■県で私は信じられないくらい価値観などが合う、理解してくれるひとに出会ったんです。そして今に至るていう。なんで戻ってきたかって、祖母が老齢でして、心配だからです。
ちなみに精神的な持病は寛解していません。それでも、今年のGWからガラッと方向転換しました。そしてひとつ胡散臭いと拒否ってた気質を主治医にまで指摘されて徹底的に勉強しました。HSPという、特別繊細な人間だということを認めました。そしたらすごく楽になりました。ひとよりも色々わかりすぎてしまう、空気を読みすぎてしまう、寄り添いすぎてしまうことが自分自身を削っていい子でいなきゃという生育環境がこれまでに影響してたんだって。今発達障害とかよく話題になるじゃないですか、それもきちんとテスト受けてます。それも違って、でもしんどい。生きづらい。うまくいかなくて外に出られなくなる。そしたら繊細すぎるだなんて自分に似合わなすぎること言われてw でも、さすがにお医者にまで指摘されて認めざるを得なかったです。
まあこんな風に九死に一生の九が多すぎるような人生なわけですが、多分今後は引きこもらないんじゃないかなて思います。実際逆に動きすぎて体力尽きて寝込むとか、反動でメンタル落ちて動けなくなるとか。そういう状態。楽しいこと面白いこと大好き、それが今の自分です。大丈夫、私は一番最初に申し上げた通り、皆様とても偉いと思っています。情報に飢えて、他のひとはどうやって克服したのかという疑問を解決するために動いた。動けた。すごいです。私はそうやって前に進むひとたちを応援していきたいです。

最後にいくつかご紹介させていただこうと思います。
まず、引きこもりのきっかけのひとつであるいじめ。これに関して『いじめ後遺症』という概念があるのをご存じでしょうか? その中で後遺症のひとつに引きこもりがあります。そういった方々を相談支援したりしているイナ様という方がいらっしゃいます。アカウントは @ijimekouisyou になります。もしご興味あれば今日お話しすることは了承得てますのでよろしくお願いします。
そして次に、書籍をいくつか。■■図書館でも借りれるものなのですが、『特別講義「ひきこもり大学」』という本です。堅苦しいかんじではなく、当事者の方々が各パターンを学部という形に分けて軽い文体でお話なさっています。もう一冊、ルネッサーンスてしてる芸人さん、山田ルイ35世様の『ヒキコモリ漂流記』。体験談としていいと思います。まず文章がうまいです。読みやすかったです。
他にも色々ご紹介させていただきたい書籍はたくさんありますし、音楽もなんでも聞くものでこれいいよーとかあの時この曲聞いてたよーみたいのもあります。もしまた機会がいただければと思っています。
好みが分かれるかと思いますが、ブロガーのエリカさんという方と斎藤一人さんの言葉にも励まされましたね。ご興味あれば是非。

では、質問があればお聞きしたいと思います。
ここまでのことでもっと詳しくーでもいいですし、こういうの紹介して、でもいいです。ちゃんと用意してますw

少なくても私は『ひとそれぞれ感じ方は違うのだから、絶対に辛さや痛さを否定しない』を主義としています。微力ですが今日のこのお時間が皆様の参考になればと思います。今回機会をくださった■■市■■センターの■■様、■■市■■会の■■様、私の話を聞いてくださっているここにいる皆様がた、本日は本当にありがとうございました。里美諒でした。

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