見える
からだが綺麗になり
味覚も嗅覚も勘も冴えている
今まで見えなかったものが見えるようになって
目に張られていた薄膜が
一枚剥がれたような状態。
霊的なものが見えるという話ではなく
視界の中に入っていたのに認識出来ていなかったものが次々に見えるようになった。
視力はあるのに見えていない。
聴力はあっても聞こえていない。
いままではそんな状態だったということ。
人のからだは本当に不思議で満ちている。
痛いや腫れるはからだの中で大変なことが
起こっているよと教えてくれているのに
「大丈夫。鎮痛剤飲めば痛みは止まる。」
からだのサインを無視して
動き続け、痛め続け
本当の病気になってしまった時には
さらに苦しみがやってくる。
自分だけは大丈夫とどこかで思っている。
わたしを乗せたこの乗り物は生身。
休ませたりメンテナンスしたり
がんばってるねと声をかけたり
時にはさすったり抱きしめたりして
愛しいと伝えた方がいい。
からだには限りがある。
「自分を大切にできる人が
人を本当に愛せる。」
このフレーズを何度も何度も聞いてきた。
自分を大切に愛しているのか
全くわからなくて、それならわたしは
本当に人を愛することができていないのかと
自分に問い続けてきた。
わからなくて
わからなくて
わからない。
そもそも自分が一体なんなのかわからない。
このからだの事が、わたしではないことは
感じていた。
なんと表現したら良いのかわからないけれど。
今回半断食を1週間してみて
200回噛んだり、歩いたり、ストレッチしたり
よく眠ったり、その日の体調を意識的に振り返ったりしているうちに、ふわっと湧いてきたこのからだが愛おしいとう感覚がある。
わたしがなんなのかはわからないけれど
このからだとわたしはふたつでひとつの丸
なのかも知れない。
数学では測れないバランス。
科学では割り切れない美しいひとつ。
なくなりはしないけれど
エゴがうすらぐこの感じ。
自分がひとつなのではなく
大きな美しいひとつ。
そうだったらうれしいな。
さて、今東京駅
この新幹線敦賀まで行くんだ!
知らなかった。
敦賀は京都からしか行けないものと
決めつけていたけれど
東京からも行けるのね。
敦賀から船に乗って小樽に行ったあたたかいあの日が遠い遠い昔のよう。
やはりわたし新しくなってるなぁ。
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