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弥生三月はじまりの日
あたたかな一日だった。
やっと気持ちが浮上して来た。
こんな事を人さまにわざわざお知らせするのはどうかと思うのだが、気取るのはやめたのだから聞いて欲しい。
あれこれうまく行かない事がある時に
逃げて生きて来たことに気付いた。
それをうまくやれていると勘違いしていたことに気付いた。
とてもつらいことが起きた時にも、そこに向き合おうとせず逃げて生きて来たことに気付いた。
怖くて怖くてこんなことが本当なら死ぬなと思うと向き合う事が出来なかった。
人と向き合うことが怖いし面倒なのだ。
いざ自分の意見を言おうとする時になると、
こんな事言ったら傷つけてしまうからやめておこうと思うのだ。
まるで相手を気遣っているようで
本当のところはややこしい関係になるのが面倒で我慢すればいいやと逃げて来たのだ。
ふーーーっ
言葉は一度出したら今のは無しねとはならない。
だから言い淀む。
先日読んだnoteにこんなことが書かれていた。
「会話を抜きに結論だけを与えるやり方は、こどもに金やモノだけを与えて育てることと似ている。生きるために必要なものは与えられても、生きたいと思うために必要なエネルギーが枯渇する。」
これだ!
向き合うことから逃げた時に感じる虚無感は
エネルギーの枯渇。そして泉は枯れ果てて
その人との関係も終わる。
「私、なかなか言葉に出来ないの。」
自分でもそう思っていたのだが、それは違って言葉することを諦めていたのだと分かった。
言葉を紡ぐことを諦めない。
そして逃げずに向き合う。
その結果、自分が傷つこうが失おうが
思い切り受け止める。
そして
死なないように生きるより
死んでもいいと思って生きてみたい。
偽りの人生から心の叫びのままに
思い切り生きてみたい。
好きなひとには好きと言えばいい。
好きなくせに自分がいなくなればいいんだとか
その人を失っても平気な自分になろうみたいに考えるから死にたくなるのだ。
瞑想妄想なし!
好きなものはキラキラ輝いている。
代わりなんてない。
とことんやりたい。
キラキラを手に入れたい。
一番を叫びたい。
好きを叫びたい。
そしてそのnoterさんのパンチのあるメッセージ。
「好きは意外と繊細で、簡単に嫌いに負けてしまう。だから、常に意識しないと消えてしまう。大事なことは反芻し続けること。悲観は気分。楽観は意思。嫌いに屈せず、好きで突破する。好きな人。好きな場所。好きな音楽。好きな映画。頭の中を、楽しいことでいっぱいにする。嫌いを反芻するのではなく、好きを反芻する。好きなものの中に自分がいる。好きな人に会うことは、好きな自分に会うことだ。好きな自分を迎えに行こう。好きな自分を取り戻しに行こう。まだ見たこともない自分が、其処にいる」
好きな人に会うことは
好きな自分に会うことだ。
この言葉にものすごく救われた。
そういうことだったんだと迷路から抜け出せた。
いつも喜んでいよう
絶えず祈っていよう
すべてに感謝しよう
という彼の人の言葉を思い出す
この言葉は深い。
嫌なことに出会っても我慢していよう
ということではない。
自分自身の意思のことだ。
今後私は言葉を大切に紡ぐだろう。
そして自分で考えて生きるだろう。
死なないようにではなく死んでもいいくらい思い切り生き抜くだろう。
迷いが生じたらそれすら可愛い私だなと思うだろう。
いよいよここからという気がしている。
きゃーワクワクする。