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誤解してました…キャンドルジュンさんの話。

YouTubeでキャンドルジュンさんの動画を見ました。

キャンドルジュンさんと言えば、女優の広末涼子さんの旦那さんですよね。

皆さん恐らく私と同じ印象を持っているのではないかと思うのですが、タトゥーにピアス、キャンドルアーティストって…何だろ…よく分からない…そんな感じではないでしょうか。

私はそんなでした。

その動画は1時間位のインタビュー形式のものでしたが、心に残る言葉や刺さる話がたくさんあって、2回見てしまいました。

初めはビジュアルに目を奪われ、耳のピアス凄いなとか、ピアスどうなってるんだろとか、首元からタトゥーが見えるなとか…そんなことだけが気になっていました。

でも話を聞いていくうちに、ピアスやタトゥーが気にならなくなり、キャンドルジュンさんの顔が
だんだんチベットの僧侶のようなアメリカインディアンのような顔に見えてきて、引き込まれていきました。 

見た目やイメージ、初めに受けた印象でその人を決めつけて、その人の話に聞く耳を持たないことのもったいなさを感じる内容でした。
今まで持っていたイメージからの大転換と話の深さに感動している自分がいました。

そして、昔同じようなことを感じたことを思いだしました。

私は中学高校の頃、クラスの中で一人でいるようなタイプの人や、一人でいないまでも余り目立たず、でも私からみると光るものを感じる人に興味があり、敢えて話かけるようなことをしていました。
それは男女問わずだったのですが、話てみると凄く面白かったのです。

普段仲良くしている友達とは、ただ楽しくて、今どきで、当たり障りなくて、ある意味程よい距離感があって、それはそれで学校で上手くやっていくために私には必要な付き合いでしたが、いつも物足りなさを感じていました。

私はどこかで人の本当の姿や本心に凄く興味があり、うわべでは見えない、その人の本音の部分を知りたいと言う気持ちがとても強かった気がします。

人を信じることができなかったからだと思います。

クラスの中で一人でいたり、目立つタイプではないけどなんか気になる人というのは確かにネガディブな所を持っていたりするのですが、話かけるうちに心を開いてくれる瞬間があって、その人達の話は伝わってくるものがあり、言葉は少なくても言葉に重さや力を感じました。

私はそんなことを感じる度に感動していたのだと思います。

大人になり、社会に揉まれ、妻として母として、現実や人間の厳しさに触れ、人から身を守ろうとして、人の話をよく聞かず、感動や共感を腹6分目にしてこれまで必死に生きてきた気がします。

それはある意味では、必要なことだったのだと思います。
共感し過ぎたり、距離が近過ぎたり、よく知ろうとし過ぎては大人として社会的な人間関係は築けませんよね。無防備過ぎて…
それでは現実、自分の精神が破綻してしまうと思います。

でも四十を過ぎた今の私は、それを外に出さないまでも、そう言う感動する部分を大事に持っていることは大切なことなのではないかと思っています。

自分の中に感動する部分を大切に持ち続けながら、自分の経験から測った距離感を保ち、遠くから人の話をよく聞く、みたいなイメージでしょうか。

そんなことを考えました。








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