見出し画像

パラレルワールド

もし病気になっていなかったら、もし結婚していなかったら、もし娘を授かっていなかったら…
さまざまな「いなかったら」が私にはある。

こんなことを考えてみた。

私は私なのだけど、いくつもの私が別の世界に存在していて、少しずつ違う状況下で生きている。

そう、パラレルワールド。


パラレルワールドとは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。 並行世界、並行宇宙、並行時空とも言われている。

私はたまにとても後悔することがある。
自分の選択や、やってきたことに対して、あの時こうしていたら、あの時こうだったら、と思ってしまうのだ。

人生に「もしも」はないし、自分が選択したことにはその時は分からなくても結果大きな意味がある。

この歳までくると、それは何となく分かるし実際のところそうだとも思う。

でもたまに日常の色々な場面で、もう一人の私を感じることがあるのだ。

少しだけ違う人生を生きているいくつもの私。

時空が違うから、お互いに会うことはないけれど、並行して存在する別の世界で私として今を生きている。

少しの違いでいくつもの私がいるとしたら、面白いなと思う。

生まれた時からたくさんの選択肢があったと思う。
環境や状況から選択肢が決まるのか、選択したことで、環境や状況が決まるのかは分からないけど、そのひとつひとつが違う人生を作り出し、無数に別の時空に存在しているのだとしたら、私のこの人生も、他の時空の私から見たら結構いいものなのかもしれない。

もう通り過ぎてしまった時間を振り返って後悔することもある。

今の私には取り戻せないし、やり直せないという現実がある。

だけど、人がこんなにも後悔や自分が選んだ選択肢が正しかったのか、あの時違う方を選んでいたらどうなっていたのだろうと言う思いに囚われてしまうのは、もしかしたら分岐した世界にいるいくつもの自分の存在を感じているからなのではないだろうか。

人が「後悔」と言っているのは、本当は分岐したもう一人の自分にただ会いたい、という思いだったりするのかもしれない。

存在を感じているのに、会うことはできない。
それが「後悔」の本当の中身なのかなと。

後悔を感じる時は、自分を責めたり、人を責めたり、環境や状況のせいにしてみたりするけれど、
本当はそんな必要さえないのかもしれない。

会うことはできないけれど、並行して存在する別の世界には、自分ができなかったことをしている私がいる。自分が生きられられなかった人生を生きている自分がいる。

それが私の考える「パラレルワールド」。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?