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40代の私より 友達がいなくて悩んでいるあなたへ。

先日、ある音声配信で女友達についての対談を聴きました。
その配信をしている方は、私から見てとても人付き合いが上手で楽に友達付き合いができるタイプに思えましたが、学生の頃にその方が抱えていた悩みは自分とかなり重なるものでした。

その方は、学生時代はかなり陰キャだったため、キラキラ光り輝いている人が羨ましかったそうです。
ある時、自分から見てキラキラして見える人と話す機会があって、色々話すうちに自分と同じ様な共通の悩みを抱えていることを知ったそうです。

陰キャの自分とキラキラしているその人は、実は自信のなさや友達がいないということ等、同じようなことで悩んでいたのだそうです。

その話を聴いて私も同じような経験があったことを思い出しました。

小学生の頃の私は、かなりの陰キャでした。友達はおらず、いつも一人でした。
休み時間がとても苦痛で、何をしてやり過ごせばいいのかいつも困っていました。
自分の席にいると、先生に「外で元気に遊べ」と言われて、とても嫌でした。
みんなはドッジボールなどをしていましたが、運動が好きではない私は、そこに入ることは苦痛以外の何ものでもありませんでした。

なので図書室に行ったり、わざと給食係や給食委員になって片付けや掃除をすることで昼休みの時間をやり過ごしました。
給食係は配膳台を拭いたり、明日の献立を掲示板にチョークで書いたりするのが仕事で、昼休みが潰れてしまうので、やりたがる人はいませんでした。
私は配膳台をゆっくり時間を掛けて丁寧に拭き、掲示板の文字を何度も何度も書き直して時間を潰しました。
昼休みなどいらないから、その分早く家に帰れればいいのに…と思っていました。

陰キャで一匹狼の私でしたが、女子の間で流行る無視のゲーム(順番に無視する人が変わってゆくゲーム)に巻き込まれたことはあったものの、特にいじめられたことはありませんでした。

今振り返ってみて、その頃一番何が苦痛だったのかと考えると、友達がいなかったことではなく、一人でいると言うことを環境が許さなかったことだったのだと思います。

一人でいても本来不便はないのに、学校生活の色々な場面で、2人1組を組むとか、5人グループを作るとか、普段一人でいる人があぶれてしまう状況が用意されて本当に困りました。
名前の順や席順など機械的に決めてしまえばいいのに…といつも思っていました。


卒業間際に、私は初めて気の合う友達に出会いました。

その子は学年中でとても目立つ存在で、スポーツ万能、バスケットのクラブに入っており、モデルの様な顔立ちとスタイルで人気のある女の子でした。

私とは全く違う彼女と、どうして話すきっかけがあったのかは余り覚えていないのですが、話すうちに彼女も私と同じ疑問と悩みを抱えていることを知り、かなりの衝撃を受けました。本当に衝撃的でした。

私から見て、本当にキラキラと光り輝いている彼女は、いつも友達に囲まれて、先生にひいきされているようにさえ見えました。

でもそんな彼女は心許せる友達がいなく、女友達のやっかみや裏切りに傷付き、それによって態度を変える見苦しい大人に悩まされていたのです。

私は一人でいることが多かったので、人を観察し、その人の真意を見抜くことが上手になりました。
なので、先生には嫌われていたと思います。
小学生の頃は懇意にしてくれる先生は一人もいませんでした。

私は彼女に自分がずっと考えていた色々なことを話しました。
彼女は私を凄いと言ってくれました。
今までこう言う話をできる友達はいなかったし、こう言うことを思っている自分はおかしいのか、
こんな思いは人に話すことではないと思っていたと言うようなことも言っていました。

不自然な友達関係や、目立つ子優位の先生の在り方、親と言う存在の不確かさ等、キラキラした彼女が感じていたことは、陰キャの私とまるで同じでした。

卒業までの時間はとても楽しい思い出になりました。
陰キャの私が、キラキラの彼女といることをからかってくる男子や、妬む女子もちらほらいましたが、私にはどうでもいいことでした。
今思えば、私は結構大人だったのだと思います。
いじめられた記憶がないと言うことは、一人でいてもそれなりの存在感を醸し出していたのかもしれません。

彼女があの時、私を凄いと認めてくれたことは、私にとって大きな心の財産となりました。彼女は私のセンスや感性を褒めてくれましたし、憧れると言ってくれました。

彼女とは中学校が別々になり、それでもしばらくはよく会って話していましたが、だんだんと疎遠になり、高校卒業間際に偶然会ったのを最後に会うことはなくなってしまいました。

友達って、女友達ってそう言うものなのかもしれません。

中学に入り、私は変わりました。
友達もでき、生徒会副会長になったり、私は目立つ存在になっていきました。
彼女のお陰で自分に自信を持つことができたからかも知れません。

でもそのことが彼女と疎遠になってしまった原因だったのかも知れません。分かりません。今になっても。

自分を取り巻く環境がキラキラした世界に変わっても、自分が感じることは小学生の頃感じたことと何も変わりませんでした。

どこかでずっと憧れていた彼女のいるキラキラの世界。

でも実際に自分もその世界に行ってみると自分との間にギャップがあることが分かりました。
彼女が悩んでいたことはこういうことだったんだと気付きました。
それはある意味人生の苦悩の始まりでした。

彼女と話していて感じたあの底からくる共感と感動を次に私が感じたのは、主人と出会った時でした。

今の私に友達がいないのは、主人の存在が大きいのだと思います。
主人と話しているとそれだけで事足りてしまうからです。

私が求めている友達とは、彼女や主人に感じた感覚を与えてくれる人。 
そう言うことなのかも知れません。

ただ群れること、ただ上澄みの話しをすることを私はずっと求めていないようです。


もし今、学校で友達がいないと悩んでいる方がいたら、私の様な生き方でもちゃんと社会的にもやっていけるし、困ることはないとお伝えしたいです。

大丈夫です。

みんなそれぞれだということです。

若い時、特に学生のうちはその答えが見えてきません。

それは環境のせいです。

でも40代位迄くるとそれがよく分かってきます。

だから、自分のやり方で大丈夫です。

本当に大丈夫なんですよ。





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