好かれたいのか?認められたいのか?
最近人に認められたいという気持ちに違和感を感じるようになってきた。
認められるより、馬鹿みたいだけど、人気者で人に好かれる生き方をしてみたいと思うようになった。
自分のこれまでの生き方は、人に認められたい、もっと言い方を強くすれば人を認めさせたいだった。
認められることにやり甲斐や満足感、達成感を感じて、ひたすらにそれだけを追いかけていた気がする。
認められることに意識がいっていたせいか、人に好かれることは追いかけていなかった。
認められた先に好かれることがあるのかも知れないとは思っていた気がするけど、初めから自分は人に好かれないタイプなのだと思って諦めていた気がする。
実際にこれまでトラブルの多い人生だったなぁと思う。
親との関係。主人の親との関係。職場の人…
仕事では大抵おじさん世代に嫌われてきた。学生の頃は決まって体育教師に嫌われた。
何故なんだろう…と余りその辺りは深掘りせず、
自分は人に好かれない、嫌われるタイプなんだ…と、そこで考えはいつも終わっていた。
それで私は、どうせ人に好かれないタイプだからせめて人に認められたいと思っていたのだと思う。
でも【認めて欲しい】で接してこられたら人に好かれる訳がない。
どっちが先で、どっちが後だったのか…
好かれなかったから認められようとしたのか、
認めてもらおうとしたから、好かれなかったのか…
自分ではなく人のことを考えてみると、嫌われている人って何とか自分を認めさせようとしている人な気がする。
認めさせようと見栄を張ったり、自分を大きく見せてみたり、不自然に頑張ったり。
無理してるから重さがある。
頑張ってるアピールや大変アピールが凄い。
ちょっと腹を割って話すと、すぐに自分は本当はこんなんじゃない、みたいな変なブラックな裏面チラつかせて世の中分かってるみたいなことを言い出す…んー…重たい。
好かれることより認めてほしいが凄いんだと思う。まさに承認欲求の塊。
承認欲求を求めれば求めるほど、人に嫌われる。
そうやって負のループに陥っていくのかも知れない。
人のことだとよく分かる。
今はただ馬鹿みたいに人気者になりたい。と思ってしまう。どうしたんだろう?
媚びを売るみたいなことでなく、承認欲求がなくなったせいで、やっと人と上手くやっていく生き方をしてみたくなったのかもしれない。
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