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中山美穂の死と映画『ラブレター』とNewJeans東京公演での『青い珊瑚礁』
中山美穂が「不慮の事故」で亡くなった時、僕がすぐに思い出したのは、昔観た映画『ラブレター』で彼女が演じる主人公渡辺博子が雪山に向かい呼びかけるあのシーンだ。
「お元気ですか~」「私は元気です~」
登山中の事故で亡くなった婚約者を忘れられず、彼の過去を辿りながら「ある人」を見つけ、手紙でのやりとりが始まり、やがて「その人」と彼と自分との決定的な関係を知る。そして彼女の人生はひとつの区切りを付け(たかのように見える)、「その人」はかつての青春の記憶を振り返り、愕然とする。1990年代後半、新たな邦画時代の幕を開けた岩井俊二らしい清冽な映像感覚の名作だ。この映画は日本だけでなく、当時金大中により進められた「日本文化開放」の波に乗り、韓国でも上映され大ヒットした。当時は世界的なインターネットの黎明期でもあり、世界はインターネットを通じて世界中の情報を交換し始めた。
この映画の中で、遭難した彼が死の間際に谷底から歌っていたというのがあの松田聖子の『青い珊瑚礁』だ。この映画と共にこの歌は当時の韓国の若者の記憶に残ったのだろう。「彼女」もまたこの歌を覚えていた。そしてあのコンサートで自らプロデュースしたグループの一人に歌わせた。そう、今K-pop業界で話題騒然のNewJeansとプロデューサーのミンヒジンだ。今夏、東京ドームでの日本デビューコンサートで、2日でなんと9万人を集客した。そしてメンバーの1人ハニがこの歌を歌った。その時の観衆のどよめきが一体「何」に対してのものなのかは判然としないが、ミンヒジンの思惑は見事に当たった。日韓の過去と今がつながり、世代を超えた瞬間だった。
曲のリリースは1980年、映画の公開は1995年、これは監督の岩井俊二の青春期とも重なる。ミンヒジンはおそらくまだ10代の頃、この映画を観ている。彼女の世代は「日本文化開放」第一世代なのだ。「近くて遠い国」日本からの無数の映画や音楽を海賊版で観聴き始めた世代だ。
中山美穂の死は日本のみならず、韓国でも大きく取り上げられた。あの映画での彼女のイメージは、かつての歌謡界でのイメージとはかなり違う。監督は彼女のもうひとつのイメージを映画によって創り上げた。その後彼女は当時話題の小説家と出会い、結婚しパリに渡る。そして不和、不倫、離婚と迷走していく。近年また日本での舞台、音楽活動再開が始まった時の突然の不慮の事故死。彼女の心の闇を知る由はないが、どこか「漠然とした不安」が宿っていた事は彼女のSNSからも推測される。人は50代の分岐点を超え始めると、自らの人生を振り返り後半の道のりを模索する。彼女も例外ではなかっただろう。帰る場所を見失っていたのかもしれない。
K-pop業界は今、韓国の政治と共に大変な激動期に入った。NewJeansとミンヒジンはその破壊と創造の先端にいる。ただしそのコンテンツは必ずしも未知の素材ではない。20世紀後半の欧米の音楽・映像・ファッションを再発掘・編集し、新たなトレンドとしてローカライズし再帰させる。それが、またグローバルなものとして受容され反復されていく。従来の時間軸と空間軸はほぼない。SNS時代のサンプリング文化編集システムは瞬間的に越境し乱反射を繰り返す。そこに適切に竿を刺すことが優秀なプロデューサーの役割なのだろう。大変な時代だ。
30年ぶりに観た映画『ラブレター』では、主人公たちのかつての高校生活が描かれている。図書委員だった二人の図書室でのやりとり、「図書カード」にまつわるシーン、見知らぬ相手との手紙のやりとりなどは、デジタルの時代には想像もつかない「情報がモノに刻印された豊かな経験の記憶」だったのかもしれない。