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良識ある大人のみなさまへ
18歳
良識ある大人のみなさまへ
私と先生との関係について、この1ヶ月、皆さんのご意見を拝聴させていただきました。皆さんの考えが、どうしても事実誤認の上に成り立っているように思いますので、ここで訂正と反論をさせていただきます。良識のある大人の皆さんにご理解いただけることを心より望んでおります。
私の病気のことはもうご存知でしょう。その病気が発覚したのは2年程前。 生まれた頃から大きかった私の脳は年をとっても成長せず、体のみが大きくなり、私は知能を失っていくというものです。 具体的には、独創的な発想力や知識を得る能力を少しずつ失っていき、視野が狭くなっていくのです。 調査結果によると、私の知能と知識のバランスは、現在、つまり18歳の時点がピークという事も判明しています。今が、1番私がまっとうでいられる時なのです。これから自分が劣化していくという絶望の中、唯一寄り添ってくれた先生を独占したいと考えた、それがすべての始まりです。
先生は可哀想な人です。皆さんの中には、先生が判断能力のない未成年の生徒をたぶらかしたとお思いの方もいるでしょう。ですが、実際の状況は真逆なのです。先ほども述べた通り、私は今が一番まっとうです。今より優れた判断能力をもつ私は存在しないでしょう。 そして、なんとも可哀想なことに、先生も私と同じ病気なのです。その証拠に、先生は私よりもはるかに愚かで、まっすぐで、私が先生を自分のものにしようという策略に簡単に巻き込まれていきました。先生のさらに可哀想なことは、自分が病気であるということに気がついていないことでしょう。彼は自らの病気の進行を「老化」と、私の病気の進行については「成長」と呼びました。そして私に、それは喜ばしい事なのだとよく話していました。
先生はとても愚かな人でしたが、と同時に、とても素敵な大人でした。先生は常に私と真摯に向き合ってくださいました。私の嫌がることはせず、皆さんが問題としている「男女の関係」というものに関しても、必ず同意をとりました。 といっても、誤解はしないでください。 「男女の関係を持ったか」という言葉に、私は肯定をしましたが、この言葉の意味は大きく解釈が分かれることを私は念頭に置いていませんでした。先生とは、手をつないだり、ハグをする程度です。肌の触れ合いはありましたし恋人という関係ではありましたが、皆さんの想像するような下世話な関係にはなったことがありません。私と先生とのこの関係は異性だから駄目なのでしょうか。その程度、友人同士でもするでしょう。私が、同性愛者であれば、先生が同性であれば、この関係は糾弾されることはなかったのでしょうか。
なにより、スキャンダラスなことが好きな一部の誰かが大袈裟に騒ぎ立てただけなのです。良識のある皆さんなら、惑わされることはないと信じています。
先生は私には永遠にもつことのできないまっすぐな瞳と辛抱強さで、人にしてはいけないこと、人に言ってはいけないこと、人を喜ばせるということ、そして、人を愛するということを教えてくださいました。皆さんにとっては、取るに足らないことかもしれません。しかし、自分の知能の衰えに焦りを覚え常に文字から勉強をし続けてきた私にとってそれは、かけがえのない学びでありました。私は自分が歳をとり、この学びを失っていく、忘れていくことが恐ろしくてたまりません。
この学びを教えられるのは、先生だけなのです。
68歳
きょう は せんせえ に あった せんせえ は いつもどおり わらって わたしの あたま を なでた せんせえ また くるよね あえるよね
時々しか意識がはっきりしない。今こうやって意識が醒めている状況はどれくらい続くのか、次がいつなのか、わからないし、こうしてる間にも意識が途切れ途切れになることがある。この前に書いた文は消さずに書き続けるしかないだろう。
幼いころ私が危惧していた通り、私は長い年月をかけて少しずつ知識を失い、興味を失い、そして記憶も失っていった。最後に待ち受けるものは死なのだろう。
この歳になってまで、やはり私は先生のことを忘れられないでいる。まっすぐで、無垢で、美しかった先生。結局、先生の気遣いにより会うことはできなかった。あの人はいま、どこにいるのだろう。
あの頃の私は必死だった。自分の拠り所であった知識が薄れていくという危機感の中で、唯一寄り添ってくれた先生を手放さないように、誰にも奪われないように、必死に手を伸ばしていた。 先生は、そのことをわかっていたのだろうか。 わかっていて、私の手に絡め取られたのだろうか。せんせえ、あいたい
幼い頃に恐れていた今の私は、たしかに劣った。しかし、より私らしくなった気がする。私らしさがなになのか、それともこの感覚すら病気の症状である愚鈍さなのか。私にはもう何もわからなくなってきた。体が、こころが、ひとつの方向へと集約している流れを感じるのだ。 それに流されないように、ずっと抵抗してきた。 が、それでいいのか私にはわからない。 おろかなほうが、幸せなのではないか。 最近私は毎日先生に会っている。あの頃と何にも変わらない先生に。 でもわかっている。あれは、あの日の先生で、私の中の先生で、ほんものは、今どこにいるのかもわからないよおあいたい
大人たちは皆あの頃、口々に言った。「あなたは子どもだから」 ごめんなさい先生。先生は大人って括るのを嫌っていたね。でも私にはあの声の実体が見えない。だから大人としか呼べない。 せんせいと私の間を引き裂いた、良識あるおとなたち。
あの頃と、いまと、私はどちらが判断能力があるのだろうか。 あのころのわたしは、まわりの大人が言うように、先生にだまされてたのかな。 どんなに逡巡したところでこたえはでない。 とにかくさあ、ねえ
せんせえにあいたいよ ねーあわせて あって
あおはよせんせえ
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