ロージナ茶房~「高校教師③」
茹だるような夏休みが始まった。
級友たちは、進学塾の夏季講習でねじりハチマキの毎日を過ごしていたが、塾通いをさせて貰えなかったリリ子は、ただひたすら自習するのみだった。
米倉から出されていた課題を書き上げながら、蒸し風呂のような部屋で好きなピアノを弾いて過ごした。
課題の小論文は、米倉が、彼の妹を府中病院に見舞った帰りに受け取るという段取りになっていたが、米倉に、込み入った住宅地の案内をするのも面倒であったし、どこかみすぼらしい文化住宅を米倉に見られたくない思いから、母に頼み込み、駅前の喫茶店にまで外出することを許可して貰った。
リリ子の母親は、リリ子に自由な時間があることを良しとしなかったが、相手が教師ということが母親のプライドを満足させたのか、週に一度の外出を快諾した。
駅前の喫茶店は、太陽族で鳴らした石原慎太郎が、仲間らと集まって議論に夢中になったと言われる「ロージナ茶房」であった。
狭い階段を上がると、米倉は既に着席していた。
「やぁ、今日は道が空いていたんだ。」
早く着いた理由を述べると、リリ子に笑顔を向けた。
数回会ううちに、米倉が教師というより、一人の人間として生生しく映りだしたことに、リリ子は少なからず衝撃を覚えた。
「アイスコーヒーをお願いします。」
注文を言い終わると、大きく深呼吸して原稿用紙を取り出した。
いつもなら、ここで数分ほど米倉が原稿を読み、リリ子は母から解放された時間を満喫すべくコーヒーを飲むわけだが、今日の米倉は違った。
「小論文はもう大丈夫だ。力は充分にあるよ。推薦でイケるだろう。そうしたら年内には受験も終わる。」
そういうと、米倉は一冊の本を出した。
「どうだ、この本の読み合わせをしないか?」
そう言うと、『日本書紀』を差し出した。
断る理由を見つけられないままでいると、米倉が続けた。
「日本最古の書物と言われるが、謎の多い記述が残る。それを一緒に検証していきたい。」
何故か、「一緒に」というセリフが重く、しかしながら秘密めいて、リリ子を挑発した。
一瞬、米倉親衛隊の範子の顔が浮かんだ。これを抜け駆けと範子は思うだろうか。
いや、束縛の強い母から逃れる時間が確保できるのなら、友人なら許してくれるだろう。
「はい、解かりました。」
リリ子は、真っすぐ米倉の目を見て応えていた。
(つづく)
※事実を元にしたフィクションです。
人物や固有名詞は全て仮名です。
同じ名称があれば、それは偶然ですのでご了承ください。