No Strings Attached無条件の愛~「高校教師⑩」
「学校内ではもう少し慎重にしてくれないと困るよ!」
米倉は、喫茶店の椅子に座るなり語気を強めて言った。
リリ子は、今、見て来た九谷焼きに描かれていた二羽の鶴の絵柄の美しさを語り合おうと思っていただけに、頭ごなしに叱られてショックを覚えた。
(何かに似ている)
背筋の凍るような感覚は、母親から叱られる時のそれだった。
米倉が何に対して怒っているのか、瞬時に思い付くことは、授業中に長く米倉を見つめていたことだ。
「じゃぁ学校の外ではいいの?」
リリ子の絡む問いかけに、米倉は答えなかった。
「ダメだってことぐらい解ってる!」
唇を尖らせて窓の外を見るリリ子に米倉は大きくため息をついた。
「ノンノンが卒業するまでに告白するって言ってたよ。どうするの?」
リリ子のからかうような口ぶりに、今度は米倉がからかうように応戦した。
「どうして貰いたい?」
リリ子は米倉を正視すると頬を膨らませて見せた。
(大人の付き合いって、こんなの?)
解っていることとは言え、物解りの良いフリをするのは、若いリリ子には味気のない恋愛だ。
甘えたいのに甘えられない。
米倉への愛情が実感として湧かない時さえある。心が渇くような瞬間だ。果たして、卒業と同時にそれは埋められるのだろうか?
ウエイトレスがやって来ても、リリ子は不機嫌を隠せなかった。
「さっき、高野と一緒にいた女性、誰だと思う?」
高野とは、米倉が教師になる前の数年間勤めていた文学館時代の友人で、古九谷好きが昂じて陶芸家へと転向したのだった。
「画廊の人じゃないの?」
「そう見えるだろう、違うんだ。あれは高野の愛人だ。」
「えっ!だって、あんなに事務的でよそよそしかったのに?」
「そうだ、表ではあくまでも他人だ、多分、永久に。それに比べたら、お前の我慢なんか数か月じゃないか!」
米倉は、こういう時はいつもリリ子を生徒扱いして「お前呼ばわり」する。いつまでも学校の延長のようで、深いため息を吐いてしばらく無視していた。
それを気にしてか、米倉がテーブル越しにリリ子の手に触れて来た。
結局、こういう行為で許されると思っている米倉も子供じみている気がして、リリ子は場面を変えたかった。
「愛人て・・・奥さんとは?」
高野は学生結婚だった。生活は決して楽ではなかったが、二人とも好きな文学に埋もれて支え合っていたある日、急に降り出した雨に高野を駅まで迎えに行った妻は、暴走車に車にはねられて、それ以来、人工呼吸器に繋がれているだけの身になってしまった。
田舎から出て来た両親に、医学の進歩と奇蹟を待つと言い切ってしまった高野は、離婚のタイミングを逸したままだったのだ。
「健康なら離婚を切り出せただろう。いや、事故など無ければ・・・」
そう言うと、米倉は高野の心情を納得した素振りを見せた。
リリ子には解らない世界だった。
意識の無い人が奥さんで、愛人はずっと愛人・・・。
人生には、自分で幕引きが出来ないことのある難しさを思った。
(自分の舞台は自分で幕を上げ、幕を引く。マリオネットのうように糸繋ぎではできない!)
リリ子は、見えない糸の先にいつもいる母親を思ったが、今、目の前にいる米倉はどうなのだろうと考え始めた時、その手を振りほどいていた。
つづく)
※事実を元にしたフィクションです。
時代は1980年代です。
人物や固有名詞は全て仮名です。