梅干し
あれは、癌が再発する前の静けさの中で、コロナ前のこと。
まだ両親が健在で、実家(国立)へ毎年顔を出していた。
本命は、友人や高崎の叔母に会うことと、定宿にしていたホテル近辺のショットバーへ行くことだった。
当時のツイッターでチラと見た立川のショットバーの佇まいに惹かれ訪ねることに。 当時の私は、股関節を人工関節に替えたばかりだったので、杖をついての訪問。雑居ビルの間の狭い階段を上がると、ほんのりと明るくて暗い空間があった。それは私好みの味わいのあるバーだった。
この手のお店にある「お馴染みさん」にだけ愛想が良く、初めてのお客にはよそよそしいのとは違って、スタッフの方たちの声のトーンは変わらなかった。
カウンターに座り、お勧めのスコッチをお願いする。 鼻先をかすめるチョコレートの香り。それでいて、遠くから潮風が吹いてくるような後味に感動した。 2杯目を何にするか考えていると、バーテンダーが「リリコイさん?」と聞いてきた。 そうか、杖をついていたことと、ツイッターでの書き込みなどから面が割れたか(笑) でも嬉しかった。
2杯目をお任せで作ってもらい、他愛のないお喋りをした。
多くは語らなかったけど、音楽やお水を出すタイミングや、客の入れ替わりなど、店内の全ての「間(ま)」の良さに私は大満足していた。
そして3杯目・・・と思った時に、「本当に真面目にスコッチがお好きなのですね」と言われた。
私は顔色一つ変えずに飲むので、驚かれたのであろうか。
「そうですね、お酒を飲む時に、その国や土地に思いを馳せて飲みますね。それがツマミかな?」なんて、ちょっと気障なことを言ってしまった。
さすがに4杯は止めておこうと思い、また来ますと言ってお店を後にした。
翌年に行くと、「明日パパになるんですよ~」と少し照れて話すM氏。
そうか、帝王切開だと予定が組めるのね。 子育てに自信がないというM氏。私も失敗ばかりだったと力説してみたり。
そんな話から、M氏が福井の出身で、梅の産地であることなどを知る。 とても美味しい梅干しなので、異国に住む私に持たせたいと言ってくれた。 ではそれは来年のお楽しみにさせてね、と言って店を出た。
そして癌の再発。そしてコロナ。
私を取り巻く環境が大きく変わり、両親が亡くなる。
実家はもう国立になくなった。
Xとなったツイッターを頼りにショットバーへDMをしてみた。
M氏から返信を貰い、LINEを交換した。
もう、癌で日本へは行けないかもしれないことなど告げると、梅干しの約束を覚えてくれていて、送ってくれたのだ。
M氏のお父さんも大腸癌になったが、梅干しを食べたら寛解したとか。 もちろん、他にも様々な薬効などあったのだろうとは思うが、私に奇跡が起こることを祈っていてくれるM氏。
あれからもう一人生まれてパパらしくなったであろうM氏が送ってくれた梅干しを、ありがたく毎朝1個ずつ頂いている。