2021年田中圭の日 掌編小説:自分以外になる
「ねー裕子ったら」
呼ばれている気がして、裕子は読んでいた本から顔を上げた。そしてアキの顔を眺めた。
「呼んだ?」
「呼んでたよ!」
アキにため息つかれたけど、こっちだってため息つきたいよ。だってわたしは耳が聞こえないのだから。アキとは中学校の頃からの付き合いだけどなかなかわかってもらえない。没頭してるとき後ろから呼ばれてもわからないってこと。今も口の形読んで会話してること。小さい時に聞こえなくなったから声は出せるのが災いしてるのか。
「ねえ、何を呼んでるの?」
そう聞かれてわたしは本の表紙を見せた。見せた方が早い。
「…そして、バトンは渡された?変わったタイトルだね。面白い?」
「うん。本屋大賞をとった話だよ。まだ全部読んでないけど、面白いよ。」
「どうしてその本なの?」
「田中圭くんが出てる映画の原作なの。それに主人公が私と同じ、ゆうこっていうの」
「田中圭?ゆうこ?そうなんだー」
アキは興味をなくしつつも納得した。彼女は私が田中圭が好きなのをよーく知っている。彼女は圭くんが共演したメンバーのいるジャニーズを推していて、ドラマ見ながらお互いの推しにもりあがったときもあった。
「ゆうこはさ、本が好きだよね」
「うーん、圭くんが出てる映画の原作だからっていうのもあるんだけど、本の世界ならわたしは自由なんだ。自分以外の何かになれちゃう。そこが面白いんだ」
「なるほどね」
それもあるけど、本の中ならわたしはなんだって知ることができる。目の前の会話も苦労しないと理解できないわたしには読むだけで全て「会話や状況を簡単に知る」ことができる世界は夢のようだった。読みながら主人公に感情移入するのが楽しい。
「そして、バトンは渡された」の主人公は優子という女の子で、複雑な事情を抱えつつ、森宮さんというお父さんと住んでいる。圭くんは森宮さんの役を生きていた。映画の森宮さんは穏やかな笑みを唇にはいて、手の込んだ手料理を作り、ときには娘の伴奏に合わせて歌を歌う。血は繋がってないけど「お父さん」だった。こんな素敵なお父さんいないよって感じの。
圭くんの「森宮さん」を見た時、原作の森宮さんはどんなだろうと思った。読んでみると圭くんは原作を読んでないといっていた気がしたけど、そんな感じだなと思った。いいとかわるいとかじゃなくて。なんかそんな気がした。口調とかかな?
圭くんはいろんな役を生きてきた。自分じゃない誰かを生きるってどんな気分だろう。快感だろうか。難しくて悩むことだろうか。台詞覚えるのは大変そうだな。
もともと本を読むのは好きだったけど、圭くんが出た映画やドラマの原作は欠かさず読むようになった。「総理の夫」も「死神さん」も「キワドい2人」も。全部必ず映画やドラマを見てから読んだ。
映画やドラマと原作の違い。それはどうしてもあるんだけど、なるほど圭くんはこうきたか!と思うのが面白かった。この部分は削らないで見たかったなとか。圭くんのいろんな表情や仕草を見るのが好きだ。彼はまさにその役を生きている。
私は演技したことはないけど本を読めばいろんな人になれる。その人のように振る舞い、考えることができる。ページを開くたび新しい世界が始まる。会話がわからないなんてこともない。
圭くんのおかげで今まで読まなかった作家さんのも読んだ。圭くんの載る雑誌も読むようになって世の中にはこんなにも雑誌があるんだと知った。
「…ゆうこ?ねえねえ、帰りにケーキ食べに行かない?きいてる?」
はっと気がつくとアキがケーキに誘ってくれていた。
「あ…ごめん。今日は何日か覚えてる?」
「ん?11月11日?」
「そう。これを漢字にして、ばらすと圭の字になるの。だからは今日は圭くんの日」
ノートに図解して説明するとアキはへーといって再び納得した。
「え?ポッキーの日じゃなくて?え?それがどう関係あるの?」
「大有りなの!ごめん、ケーキはまた今度ね!」
そういってわたしは読んでいた本を鞄にしまい、呆気にとられているアキに手を振った。
そして街で一番オシャレな花屋さんにいって、お花を買った。圭くんの演じたmellowの夏目さんみないな人はいなかったけど、素敵な花を買えた。「そして、バトンは渡された」の試写会の挨拶で圭くんが優子を演じた永野芽郁ちゃんはあげた花束に花の種類は違うけど似た色味で。
さあ、花を飾って、SNSに載せよう。なんてったって、今日は圭の日なんだから。