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配信・奇跡の三人芝居『もしも命が描けたら』

今日は2021.9.21中秋の明月。画像はその月です。

 田中圭さん主演の舞台『もしも命が描けたら』はこの記事を書いている現在配信されている。

2021年9月17日午後8時~23日午後11時59分まで。一般チケットは3800円、販売は23日午後6時まで。


興味ある方は申し込みはこちらから。

https://moshimoinochi.blogspot.com/2021/09/blog-post.html?m=1


以下、自分の覚え書き用メモとしての意味もあり。今までもよりも荒削りなnote。感想というよりメモ。本当に。

書き起こしについて。アートワーク。三人の所作。好きなところなど。

書き起こしで見る配信

プロフィールの通りろう者であるわたしは舞台を耳で聞きとることはできない。そのため過去の記事の通り事前に台本を貸していただき、それを頭に入れて舞台に臨んだ。しかし、直前とはいえ1回だけ読んだ台本を全部そらで覚えられるはずもなく、舞台の間、いまこのシーンというのは分かるけど細かい台詞なんだっけ状態だった。今回配信がある。見たい。でもどうしようか。アプリで文字を認識させて補聴器ごとヘッドホンで耳元で音が出るようにすれば、少し雰囲気わかるか?と考えていた。すると女神様のように舞台を記憶だけで書き起こした方がいて、さらにそれを配信で見て加筆修正した方がいて、この方々の協力のおかげで、書き起こしを見ながら見ることが可能となった!所作の手がかりもあるので、それを見ながらほぼリアルタイムでわかる!とワクワクした。本当の舞台では台本見ながら観劇するというのは場所を指定してもらったりしないと難しいでしょうから。あかりもないし、めくる音もある。これが家なら堂々と見れる…!

過去記事↓

書き起こしのページ数、65ページ。実際の台本を見た時も思ったけど、すごい量に圧倒される。全文覚えたら主演の田中圭さんもすごいが、他の二人も覚えていないと絡めないので同じだ。

実際に見てみると台本と舞台を見るのにすごく忙しい。でもわかるよ…わかる!とヘレンケラーのウォーター並にビビビときました。本当に感謝です。

※以下内容に大きく触れます

アートワークについて

清川あさみさんによる舞台のアートワーク。わたしはそれに魅了され、配信はこの記事までに2回見たけど、2回目はアートワークを記録すること、役者さんの動き、表情に着目する事にした。

※間違いがあったらすみません。抜けもあると思います。

舞台は背後の巨大な円に三日月や満月、その他が投影され、丸く傾斜した床にも色々投影される。

まず冒頭、暗い中に月が浮かんでいる。

下記のお借りしたページのように右側に背中があるのが三日月、反対に左側に背中があるのは二十六夜の月(有明の月)。ちなみに手話で月は三日月を親指と人差し指で表す。

【追記】下記にある通り、舞台のほとんどは三日月ではなく、二十六夜月と呼ばれる反対の月だ。なぜわざわざそうなのか?ずっと考えていた。お風呂の中でひらめきました。単純なことだった。「星月夜」がこのタイプの月なのだ。星月夜に合わせた世界なのだ。この絵のころ精神病院にいたゴッホは反対の世界を描いていたのかもしれない。【追記終わり】

冒頭:深い二十六夜の月が背後に浮かんでいる

ゴッホの画集を見つけた:星月夜のように月は黄色くなり、床もそれらしい絵が投影されている

星子さんと飲み:背後にゴッホの風の街並み

星子さんが事故に遭うタイミングで星子さんはスポットライトから外れる

星子さんが事故:背後に二十六夜の月、床に星月夜風の街並み?(に見えるけど違うかも)

星月夜に死んだ姿を足して完成させる!:二十六夜月が黄色になり、床は星月夜風

スケッチブックを渡される月人:二人のみスポットライト

三日月と月人の命を描いてという会話:背後と床に月が投影されるが、逆になっている。背後は二十六夜月、床は三日月、床の三日月にはピンク系のイバラみたいなのが絡まっているように見える

命を描いて回る:床は宇宙みたいな感じ、たまに色とりどりの光が横切る

瀕死の蝶々:背後の二十六夜月は黄色、月も床も蜘蛛の巣

二幕

水族館:水族館に入ると魚が泳ぎ出す

どーでもいい日常にふれたとき君は色を変えていった:床がカラフルな色 楽しげ。

陽介歌う:背後がミラーボール

殺すシーン:ライトが血のイメージか、赤色

陽介と虹子死体を処理、なかったことに:背後がマーブル模様ぽい

陽介、虹子さんの隣にいたかった独白:フルムーンの看板消える

月人、今日の月は輝いているなぁ!:背後は二十六夜月、床は横たわった三日月みたいに見える

絵を描き出す:色んな花が背後も床にも動き仲間はうつる。アネモネみたいに見える花もあるが、わたしは架空の花なのかなって思う。

虹子さん!虹子さん!:背後も床も皆既月食みたいな薄い丸の二重円

→月がだんだん満月になっていくように膨らむシーンがあるが、この二重円からかな?うろ覚え

陽介さん笑ってくれ!:背後に二十六夜月

陽介、誰かが命を描いてくれた独白:床にも二十六夜月、月人それをフラフラなぞって歩く

陽介がひっくり返す看板:二十六夜月のクレッセントムーン

こんな感じだったと思います。

【追記、この世界の三日月はゴッホの星月夜に描かれる月。実際の三日月とは違う】


どこで月になったのか 後半の意味はなにか

三日月というのは日没後にでる月らしいので、月人はお母さんが夜の仕事に行ってから描いているということは三日月と思っていたのは反対の二十六夜月だったのか??と思ったり。あえてそうしているのか?台詞には月に1回とあるから両方をみていたとは思えない。

三日月と月人が命を描くことを話してる時、逆転した月が背後と床にしめされる。月人と三日月は一体であり、この時点で入れ替わって月人はもうすでに死んでいて月になっていたのか?…わからない。いろんな捉え方がある。

終盤、虹子さんへの想いは星子さんと違うんだ、と月人がいい、三日月がわかってるよと答えるとホントにわかってるのかよ?と月人が問うと、そのとき、三日月は「わかってるさ。僕は君であって、君は僕なんだ」とさりげなく言っている。二人は一体?表と裏?

月人の母として小島さんが出てきた時、虹子さんと同じ衣装だったと思う。ということは三日月も陽介も同じ衣装だったので、同一人物?月人と陽介と。月が二人いる?!と混乱してしまった。ちがうかな…

陽介が虹子さんのそばに居たいと独白したとき、洋介は「君」と月に話しかけている。ここの「君」は月人なのか?

そしてラストの月人は「君」と8歳の月人に呼びかけている。その時点でもう月になっているわけで。本当にどの時点で月になってるのか?解釈が分かれるところ。私は素直に命を描き切って、そこで月になったんだと思いたいのだけど、中盤の死のうとしたところなのかな…とも。そう考えている方もいますね。

そして、三日月は星子さんに会える?という質問には最後まで答えていない。つまりこういうことかなと。月人はもう星子さんには会えないかも。でも生きることには意味がある。それは星子さんに会えたこと。出会いで人は変わること。それに気づいていないから、もう少し「月人として生きてもらって」出会いで人は変わるんだと、生きることは意味があるんだとそうと気がついてほしいから、猶予を与えたのかなと。そして、それは自分の母との和解にもなり、それがラストの穏やかな顔でのかつての自分への呟きになるのかな…と。ヤケになって死ぬ(月になる)のではなく、笑って欲しい、と。生きる意味を知ってほしいと。そして、月人は期待通り?絶望した虹子を前向きに励ますくらいになっていく。

自殺する人が出てきて、自殺しようとする主人公。でも結果的には前向きなメッセージの込められた舞台なのかな…と。

三人の細かい所作と月人の表情

この舞台はたった三人で構成され、暗転時以外は小道具を用意するのもほぼ三人で行っている。

おじさんの靴をかかげるとき、黒羽さんはゆっくり歩きながら岩の陰から靴を取り出して、センターに周り靴をかかげる。月人である田中圭は靴があることを信じていて、くるりと周り暗い中正確に靴に触れる。

座談会で黒羽さんが言う通り、黒羽さんは前半そういう黒子役に徹していて、話すことはほぼない(「僕も君と話したかったよ」には万感の思いがこもってそう)。でもよく見ると二人に参加していて、時には座って語る月人をしっとりした目で見上げてるし、星子さんとの乾杯に参加しているし、焼き鳥の絵は覗き込んでるし、すみません、と言われたらうなづいている。フリをするの時は123とカウントとり、話し手に手を差し出す。キスのシーンにはわーおという戯けた顔をする。スナックでもソファに座り参加してたりするし、1000円と言われてコケている。おやすみという虹子に合わせて手もふる。髪の毛切ってもらったら?でチョキンと切る。献身にムカつくという虹子さんを思わず覗き込む。相当参加していて、かつ、お茶目だ。黒羽さんファンはここをポイントにしてるかな? 

あと、命が削られるから、と月人から何かを取り出す仕草、月人が与える命を探してさまようとき、話しながら手を歩くかのように動かし、水族館からの場面展開でパチンと鳴らす指。これはなかなかかっこいい。

岩でテーブルを作ってから、月人を飲みに促すその誘導も絶妙なタイミングだ。

なお、三日月として時計回りと反時計回りがあり、意味があるのかなぁと毎回思う。過去の感想にも繰り返し書いた。ここにメモしておく。

時計回り:冒頭の月人のおいたちが語られるとき。7回目ですよ!という飲みのとき、小さく二人の周りを時計回り

反時計回り:星子がはじめて月人に話しかけるとき、説明書をみつけて月人が読むとき、最後の月人が三日月をなぞるときも反時計回り


小島さんも月人のセリフの途中で座っていたのが立ち上がり近づいていき、母として「月人は絵が好きなの?」と絶妙なタイミングで聞いたりする。月人の独白の中に入っていく。そのタイミングはやはりそうとう話し合って決めたんだろうな。星子さんとしての満開の笑顔が本当に印象的。そして虹子さん出てくるときの髪型もあるけど、ちょっと人生に疲れた顔、ほんとにちがう人になってる。

そして田中圭さんの表情と手の動き。これはカメラのおかげで今回よくわかった。膨大な台詞の陰でこんな細やかな表情してたのか。だから感情が宿るんだ。

ママママと赤ちゃんのフリするとか、高校の先生のオーバーアクションとか見応えあるシーンは多々あるけれど。

例えば。死んで悲しまれる人悲しまれない人、でそれぞれ手で指し示し、別のシーンではさっとはかりのような仕草をする。愛のかけら残ってる、で小さくつまむ仕草、星子が同じ境遇と思っていたのに、フリじゃなくて幸せに浸れてたときくとサッと寂しそうな厳しい拒絶の顔になり、「僕とは違う」と呟く。星子さんに「愛してる」と言う前。目をつむり、言葉を捻り出すような表情をする。そして「愛してる…で、いいのかな?」とはっきりした声で言う。滑舌がいいなというのが口の形でもわかる。星子さんが事故に遭った時は完全に涙声になり、涙が目に浮かんでいる。あっという間に場を転換させる。説明書読む時、本当は真っ白なページなんだろうけど、たまに言葉を切り、ゆっくり読むこむようになる。そして星子さんを消しちゃったじゃないか!で地団駄を踏む。地団駄は冒頭にもあった。十字架の材料で十字架の形を手で作る。冒頭とここは後ろ向きで舞台なのに珍しい。後ろに向かられるとわたしには口が読めなくて困るシーン。飛び降りるまえ、よく見ると(月は)綺麗だねと澄んだ顔で三日月を見下ろす。そして三日月と2人ジャンプするときの表情のない顔。虹子に妻は亡くなったと告げる傷みのある顔。オムライスや唐揚げの時の嬉しそうな無邪気な少年みある顔。どーでもいい日常を三日月と掛け合いするときのいい表情。絶望的になった虹子さんへ絞り出す表情、愛しています、と言うときの遠くを見ているような顔。それとも過去?最後の命を描くときの絶唱。そして…最後のジャンプの前の透き通った微笑み。全てが積み重なって、感情が奏でられていく。脳裏にそれぞれの細やかな表情が目に浮かぶ。

三人演者のいろんなことが積み重なってこうやって舞台は作られるんだな…まさに奇跡…

好きな台詞、好きなシーン、気になるところ

甲本急便、過去の自分の作品へのおさむさんのオマージュ

星子の家族を殺したのは「配送業者」の車。その仕事に就く星子。

月人の車は外車?な二人の位置

プロポーズ手前、川沿いを歩いて君が一番輝いて見える場所、で月人と星子が二人並び前を見るところ。背のバランス絶妙。これは客同士の殺人のあと絶望する虹子さんと水族館にいって、アシカをみた、のところで2人前を見るのと同じにみえる。一瞬なんだけど、三日月と月人が並んで歩くのと同じくらい小島さんと2人で並ぶの好き。

三日月の夜にプロポーズして、次の三日月の夜に星子さんを描こうとしたということは新婚は一ヶ月?!

お母さんが絵が好きなの?というとき、語りながら岩を見ながら母親に見立てるところ、それは無表情の星子さんを岩に見立てて描こうとするところにつながる

説明書を読み上げるところで三人が一直線に並ぶ絵の美しさ、哀しさ

「君はゆっくりと山を降りていったよね(略)街全体が霧がかかってるようなそんな街で」

(命をあたえたいものを探して歩く)「君の目に入ってくる景色が変わってきた」

「なぜだろう、命を描いて配って生きると思うと肩ひじ張らずに目の前の風に吹かれるように生きることができたんだ。そして虹子さんっていう風に吹かれるのが、なんだか心地よかったんだ」

「どうでもいい日々に触れて、また色を変えていった」

「絶対に取りたくない最後の化粧ってあるわよね」

(将棋倒について)「自分の人生の小さな何かが崩れるような気がして、ついつい本気になっちゃうのかもしれないね。ゲームが進むと人の意外な性格がでたりして、化粧の下の部分が少しだけ見えたりして」

「君は見つけたんだよね?人生でたくさんの大切なものをなくして、星子さんをなくして、命を削った先なら見つけたこの場所で、君はいきたくなった!わがままだ」

「でも、真っ直ぐな道ってないんだよね…」

「しつこいんだよ!どかないどころか、どんどん大きくなってるよ!」

「僕のバトンを君に預けるら、渡すから、話しておこうかな」

「僕のちっぽけな幸せも渡しますから。この先の人生に期待しましょう。先の人生に期待するのに慣れないなら、ゆっくりゆっくりきたいしましょう」

陽介さん「命を削られるのが僕でよかった」

「世の中には幸せになれるひとと、不幸になる人が、決まってる?いやそんなことない!変えられるとしたらそれは出会いだ!」

「星子さんと出会って、愛を教わって、愛をすることを覚えて。でもあなたは僕の前から消えていった。だけどこの先に君がいる」(←てことは星子さんにあえる?)

「生まれてきたことには意味があって、その意味や価値は出合いによって変わるんだ」 

(スケッチブックをさりげなく影に置くのは意味があるのかな)

「さあ、月人。絵を描くんだ。きっと面白い人生が始まるよ」

そして。満月の夜に。

…物語は見た人の数だけ受け取り方がある。好きなシーンも気になるポイントもそれぞれ違うだろう。ただ、少なくともこの物語にふれた8〜9月。月を見上げる時間は多分見た方のほとんどが増えたんじゃないかな。これを書いた今日は満月。十五夜の月。明るい月明かりに心がざわざわする夜。そんななか、荒削りに思いつくまま書いたこのnote。何回も書きたくなるこの物語の持つ力ってすごいな。そんなことを思い、筆を置こう。








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