私とpiano
4歳から初めたpiano
好きすぎて当時幼稚園のオルガンが人で溢れていた
オルガンまで辿り着けない私は
机の上で指を動かしていた。
そこに、YAMA〇〇のチラシをもった先生が
そんな好きならお母さんにお願いしてみたら?
と、教室のチラシをくれた。
帰って母にお願いしたら、
気持ちが半年変わらなかったら行かせてあげる。
との回答だった。
そこから毎日母に頼み続け、
体験レッスンへ行き、リトミックの様な事を
母と一緒にした記憶が今もある。
入会し、当時はグループ制のエレクトーンから入会し、
好きで好きで毎週楽しみだった。
その日習ったものを、当時はpianoがなく、
小さなワンオクターブしかなく、両手で弾くと片方の音しかでないような、簡単な赤い鍵盤オモチャを使い毎日練習した。
ある程度弾けるようになった頃、
赤い鍵盤ではものたりなくなった時、
家にClavinovaが来た。
当時、電子pianoというものが初めてでき、
バカ売れしていた時代だ。
初めてClavinovaが来た日、
鍵盤と足がバラバラに運ばれてきて
pianoという形に初めてなった日が嬉しかった。
毎日学校から帰ってきてはpianoに向かい
1日の半分はpianoの前で過ごした。
何時間も引き続け、ある日スピーカーから、
変なサーッと音がし、楽器屋さんに治してもらったら
長時間引き続けるのは、電子pianoには向いてない、
1時間で休憩をし、休ませる様に言われたのを覚えてる。
私にとってpianoは相棒の様な
辛い時も嬉しい時も、ただ寄り添ってくれ、
時々若い時は、上手に弾けない怒りを
バンっと両手で当たることもあった。
大人になってからも変わらない。
今は娘のpianoをきっかけに
もう一度pianoの弾く幅も広がり、
SNSを初め、HOTELで弾かせて頂いたりしている。
時々ちょっとしたリサイタルじみた活動も
学生の時はクラッシックがメインで、
今は年齢と共に現役にはかなわない。
が、今楽しめる音楽もある。
味のあるpiano。
どこか、ほっとするpianoの場所が
聞く方にも伝わり、できたらな…など
そんな事を思いながら
歌う様にpianoを楽しんでいる。