私は他人に対する期待が薄い

友人に「りりこのいいところは他人に全然期待してないところ」と言われたことがある。それが「いいところ」 なのかどうかはわからなかったが、確かに私は他人への期待が薄い。

期待してない というとなんだか上から目線だし、人のことをバカにしているように聞こえるがそういうことではなくて 他人が自分の望むとおりの反応や行動をすることをあまり「期待していない」のだ。

たとえば プレゼントをあげるとき 普通は相手に喜んでほしいという「期待」が少なからず込められていると思う。だから相手が「自分が思うほど」喜ばないと悲しくなるし、人によっては怒ったりするだろう。プレゼントをあげるとき、あげる側は「相手が自分の思うように感じてくれる」ところまでがセットなのだ。

私の場合、そもそも相手のリアクションは期待してないのでプレゼントを喜んでもらえなくても、(まあ私があげたかっただけだしな)で終わる。
プレゼントをあげたい という自分の気持ち と 相手のリアクションをわりと切り離している節がある。そういうところが、ある意味押しつけがましくなくて気楽だから、その友人は「いいところ」といったのだろう。

わたしの他人への期待は確かに薄い。でも、薄いだけで、ないわけではないのだ。わたしなりには他人への期待はある。プレゼントだって10回あげて10回とも喜んでもらえなかったら普通に、もうあげるのやめよ~と思うだろう。

というかぶっちゃけ本当はめちゃくちゃ期待している。

している。というか、していた。というのが正しいと思う。

私は自分の期待通りの動きを「他人」にしてもらったことがない。というとさすがにいいすぎだが、自我が芽生えて以降の成長過程で、親に自分を肯定してもらった実体験がほとんどないのだ。(なぜなのかは省略する。のと、これは私の感じ方の問題であって、両親がめちゃくちゃひどい人間というわけではなく、基本的には感謝している ということを念のため書いておく。)
いつも親に喜んでほしくてものすごく頑張っていたような気がする。しかしがむしゃらに頑張ればいいというものでもなく、何事もなかなか結果が出ず、親を悲しませてばかりだった。喜ばせたくて頑張っているのに、悲しませてしまう。その無限ループがマジで何よりつらかった。なんか裏切られたみたいな気持ちになる。あまりにもしんどいので、何がそんなに悲しいのかものすごく考えた時期があった。そして私は(ああ~喜んでほしいという自分の気持ちが自分を悲しませるのだな)と気づいてしまったのだ。齢12歳の大発見である。
とはいえ「人に喜んでほしい」というのは至極ベーシックな人間の感情だから、そう簡単に切り離すこともできず、その後も学校生活や友人関係において(う、裏切られた!悲しい!いや、でもそれはそもそも私が勝手に人に期待してるからだわ…)みたいな自問自答を繰り返していたら、いつのまにかあまり他人に期待しなくなっていた。

その友達は期待しないところはわたしの「いいところ」だと言ったけど、わたしにしてみればめちゃくちゃ悲しい話である。できれば、そんなふうに感情押し殺して生きたくなかったわ!とか思う。

というわけであまり他人に期待してないバージョンの私が出来上がってしまった。そうはいってもさっき書いたとおり、他人への期待はまだ全然ある。(し、特に自分の好きな人に対しては全然あるとおもうがそれはまた今度にする。)

私は相手にしているのと同じように自分を扱ってもらいたい という欲求がある。そうしてもらえないとまじで鬱になるときがある。

どういうことかと「私はあなたにもだれにもあんまり期待してないので、私にもあんまり期待しないでください」ということだ。プレゼントをあげて喜んでもらえなくても怒らないので、私がプレゼントを喜ばなくても怒らないでくださいね。みたいな。
そもそもわたしは他人への期待が薄いので、よっぽどのことがない限り負の感情が外に出ない。電車で足踏まれても(あ~あるよね。)くらいのかんじなので怒鳴り散らしてるオッサンとかみるとまじでびっくりしてしまう。私はあなたの(一般的に言う)失敗や失態も、別に何とも思わないからあなたもなんとも思ないでね。ニコニコして流してね。みたいな。

これは明らかに「他人への期待」である。

この期待はたぶん他人にはめちゃくちゃわかりにくい。
怒りや悲しみに至るラインはまじで100人いれば100人とも違うのだから、許せるラインも変わる。だから、こんなことを他人に期待しているほうがどうかしているのだが、わたしはこの期待を捨てきれない。が、やっぱり他人への期待が基本的に薄いので、これ自体の発動もぶっちゃけ少ない。とはいえ確実にこういう期待は自分の中にはある。

確かに他人への期待が薄いと感情があまり揺さぶられず、比較的穏やかに生きられるというメリットはある。たいていのことは笑って許せるので良かったなと思うときもある。人間100人いれば100人とも常識も価値観も違うから他人に期待しない生き方は楽っちゃ楽だ。でも私の場合は、同時に変な形で他人への期待が残ってしまったなあとも思う。私は性質上ドジというか失敗の多い人間だから、私の失敗を他人に笑って許してもらうことは究極の自己承認であり、そうしてもらいたいというのは相手の意志をガン無視した、めちゃくちゃデカい他人への期待の押し付けである。超諸刃の剣である。

そんなものを私の「いいところ」と言われてもしっくりこないのだ。

いくら他人への期待が「薄い」っつたって、自分の失敗を許してもらうこと を他人に期待している間は、あのころからいうほど成長できてないなあと感じるので、精進したい。



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