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奇門遁甲:十日目

曇り空。
風も雪もない歩きやすい午後に〈ある吉〉
明るいと
滞在中の不動の姿勢は怪しく見えるのでは?
と不安になる。
けど
暗きゃ暗いで同じこと考えてるな。

夜中に歩いてるだけで職質受けた体験のせいか?
人の目を気にしてしまう傾向は強め。


自分のための〈ある吉〉記録
令和七年一月十九日

15:25 自宅出発→西方位(金運3)
15:32 跨線橋下2本目交差点 到着
15:40 跨線橋下2本目交差点 出発
15:46 自宅到着

17:24 自宅出発→南東方位(金運3)
17:33 公園 到着
17:40 公園 出発
17:4 自宅到着


長いこと
前提(思い込み)を間違えていたんだな
と思っているのが価値観について。

例えば家族や相棒や親友に
自分と同じ価値観を求めることは実は無意味で
どれだけ相手の価値観を認め尊重できるかが
パートナーシップを育むうえでよっぽど大切で。

心地よく一緒に過ごしていくためには
求めるより受け入れていくことが重要だったんだ
とか考えてたのさ。

理想のパートナーシップについて
価値観の合う人、ってのを求めていたワタシは
本当の意味で
パートナーは求めてはいなかったな、と。

子どもとの関わりに重きを置いていたし
子どもと相容れない部分を認めると
自分の器が広がるのか目からウロコがポロリで
世間に対しての見方が変わってしまった。
きっと苦手な人が減るからだね。
それがなんだか新鮮だった。
だからほかの対象が不要だった。

子どもが同居してて関係密度が濃い時期は
それで満足できていて良かったんだけど
子どもが少し手離れると
ここからの自分の器をさらに広げるには
新しい価値観を受け入れること
要は子ども以外の別の対象に
興味を持って関わるのがいいんだろうな。

こういうのも枠を広げるっていうのかな。

人見知りで
特に距離感バグる人が苦手だけどね。
枠を広げて関わる人を少し増やしていこう。
ただ
相手ともっと仲良くなりたいと思うがあまり
無意識で求めることはきっとまだある
価値観が合っても合わなくてもいい。
相手を尊重できるかどうか観察、に切り替える。

同じ環境で育った兄弟姉妹でも
好き嫌いや優先度合いなど
価値観は人それぞれ全く違うものなんだから
他人さまと相容れないのは当たり前なのに
それを合わせようとすると
いつかどちらかに歪みが出るだろう。

実際ワタシはそれで
友人関係や婚姻関係を
破綻させてしまったことがあるんだよね。
だから
同じ尺度で判断して相違の少ない方が
関係として長く続くと思い込んでしまった。
同じことを繰り返さないためには
価値観をすり合わせることが必要だ、ってね。


誰かと同じことで喜んだり怒ったりの
共有できるナニかが在ると知れるのは
もはや
奇跡の瞬間なんじゃないかとさえ思う。

ワタシの場合は
映画館で離れた席の見知らぬ誰かと
同じ場面で泣き笑いすることに
ワタシだけじゃない
一人じゃない
って思う感覚になったりする。
こういうのに
共感してくれる人は多くはないかもしれないけど
ゼロでもないと確信してるの不思議。


今日は時間があったので2回のある吉。
歩きながら考えるからいつもの倍、考えた。

とりとめもなく書いて支離滅裂。
備忘録だからまぁいっか。


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