聖地巡礼?尾形トメの足跡を求めて
金カム沼に両足を入れて2週間くらいの雑魚オタですが、好きなものや気になるものは足で稼いでこの目で見ないと気が済まない性質ですのでとりあえず尾形百之助くんが産み落とされたとされる浅草へいってきました。
浅草花街と言っても今は面影もなく明治から営業を続ける芸者遊びのお店はもうほとんどありませんでした。
別件で東京に滞在することになっていたので下準備無しで挑んでいますしまだ最新話まで追いついていないので「それ違いますけど?」みたいなのはもういいです。
とりあえず生い立ちを巡りたいので浅草花街と呼ばれたあたりをとりあえず歩いてそれっぽいところを掠めていく、まさに砂金採りのような割に合わないクソ労力旅です。
一説では吉原付近の堀あたりから吉原の中へ呼ばれる芸者さんもいたみたいなのですが、浅草駅からは下見レベルで軽率に歩いて往復するのは…危険な距離でしたので今回はスルーして
◻︎吉原へ出入りがあったとされる山谷堀近辺
◻︎櫓の芸者と呼ばれる歌舞伎なども賑わっていた猿若町
◻︎浅草芸者といえばとりあえず広小路田楽芸者
って感じで雑にぱっぱと見て行きました。
大変失礼なのですが東京の文化、歴史には大変疎く、江戸開幕、大正6年前後くらいしか知らないので履修が全く追いついていないので後日補完していく形になっています。
完全に自己満足です。なんか、もう、百之助を感じる巡礼をなにかひとつでもしないと死んでしまう!!という謎の脅迫感からの思いつきなので
「マジでコイツあほだわー。瞬発力だけで生きてやがる。ワロw」くらいのノリと勢いです。
ざっとマーカー範囲内で7km分歩いてきました。
スタートは銀座線浅草4番出口。そこから山谷堀を目指します。が
道中に待乳山聖天があるのでお参り。こちらは随分歴史ある神社ですので芸妓さんも願掛けに参られたのでは??!と、トメさんの後を追う気持ちで参詣(罰当たりな動機ですね)
わかりにくいですがこの塀は江戸時代からの数少ない遺構です。明治の人も見ていたと思うと胸熱なので撮影。
1枚目の写真の裏側(隅田川側)から登ると天狗坂と言われる急勾配を上がってお参りできます。
境内脇の入っていくと少し薄ら暗いしっとりした小さなお庭があります。お百度石などもあったので心を蝕まれていたトメさんは花沢中将がまた来てくださるように…と願をかけながら何度も石段を踏んだかもしれないですよね。
百之助が物心つく前の話なので本編には出てくるわけもなく1000%妄想ですけども!!
この待乳山聖天の裏手がすぐ山谷堀です。
今は埋め立てられて公園になっていますが、この川に舟を通して吉原まで一直線だったそうです。
隅田川から舟で吉原へ行くというのは江戸時代では大層な見栄として持て囃されたらしいので明治15年から20年頃ならその風潮もまだあったかもしれません。
おしえて東京生まれ東京育ちの江戸っ子さん!!という心の叫びをグッと堪えてガツガツ歩きます。時間がないからです。
ガツガツ歩いて浅草3丁目まで戻ります。
この辺り古くは料亭や御座敷が立ち並んでいた…え?ほんまか?めちゃくちゃ住宅街やぞ!!
明治11年創業の一直さん。創業当時がこの住所だったかは不明ですが、めちゃくちゃマンションでした。特に盛り上がりもせずまた歩きます。
こちらは明治18年創業の御座敷さんの前の前の住所該当地。閉店や破綻を迎えつつも何とか営業をされております。
いまではまったく何のお店かわかりませんでしたが住所は合ってる…はず、なんの感慨もありません。はい、次!!!
浅草三〜二丁目あたりでぼんやり。この辺りも昔は道具屋、茶屋、問屋なんかでさぞ賑わって…ほんまか?まっったくわからん、教えて江戸っ子!!
そして休憩がてら花やしきへ。入園料がかかるので中の休憩施設には人が疎らでゆっくりできる、ということと営業形態は違っても最新の見世物を出していた花屋敷なら芸妓さんうちでも話題にのぼっていたに違いないという妄想が動機です。
当時は今の若者が聞いたらびっくりするくらい地味だったと思いますが、季節の鉢植えの展示や人形の展示なんかでも大層な娯楽だったんですよね。という時代よなぁ…というおもいふけり…
現花やしきは前後の再建なので敷地も違うと思いますし、営業形態は間違いなく別物なので…本当に雰囲気だけです。妄想の補完はできたのでまあ、ヨシ!
そして浅草六丁目まで戻り行き忘れていた市村座跡の石碑へ。ここももうめっちゃマンション、めっちゃ住宅街です。
このへんはもうほとんど山谷堀なので…最初によればよかったですが、
その昔は現在では何もない浅草のはずれの方まで人も熱気も往々にして飛び交っていたんだなぁ、と思うと…「古地図がほしい」この思考に辿り着きました。
明日は古地図を手にして浅草を再訪しようと思います。蕎麦屋リベンジもあるので。
夜の浅草、電気が減ってしまいましたがそれっぽい写真が欲しかったのでとりあえず撮ったそれっぽい2枚。
明治では電気ではなくガス灯だったのでもっとゆらゆらして妖しく危うい光だったんだとおもうと、もう勢いが江渡貝くんレベルになって手がつけられないキモいオタクになるしかなかったです。
最後は今っぽい居酒屋で日本酒と蕎麦でシメ。
いつから冷そばが主流になったのか、明治後期の流行りの蕎麦はなんだったのか、軍人さんの酒事情とか、気になることが爆発した夕食になりました。
ジャンルにおいてはめちゃくちゃニワカなので鼻で笑われてもまあいいんですけど、ひとまず人格形成以前の百之助を探る旅としてはまずまずの出だしを切ったように思います。
茨城の田舎についてもリサーチを繰り返し目星をつけて向かってみようと思っています。
北海道に於いては夕張、網走方面がキツいのですが回れるだけ回ってみてまた書き散らそうと思います。
推敲無しの乱文でしたが、最後まで目を通してくださった方に感謝です。わたしはこれからも勢いだけで生きていきます(*˘︶˘*)
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