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水筒をおろす。


水筒を買った。KINTOというブランドのちょっといいやつ。

といっても、水筒というものを自分で買うこと初めてで、そもそのの相場があんまりよくわからなかったので(こういうものってどれくらいするものなのか、あんまりよくわからない)僕のなかではちょっといいやつという感じ。

買ったのには、ちょっとした理由があった。

先月、友人と家に集まってだらだらとゲームをしていた時のこと、ある一人のやつに、「ごめん、そこの俺のかばんから水筒をとってくれない?」
といわれた。
「これ」
「そう、ありがと」
「これってさあ、なか何が入ってんの?」
「ん、水。水道水だよ」

これに僕はかなり衝撃受けた。
み、みず?

まず、やつは朝、僕らと会う前に喉が渇くかもしれないからと水筒を洗い、水を入れ、鞄に入れるという動作をしたことになる。それがまず驚きだった。
“喉が渇いたら、ペットボトルを買えばいいじゃない”という思想の持ち主だったので、自分と同じような自堕落さを持ち併せていると思っているから変にドキドキさえする。

大人になってやがる。

水筒を持っている=大人になっている、というとなんだかすごい飛躍なのかもしれないし、もうどちらも20代半ばで、全然大人なのだけれど…。
でも、なんだかそう思ってしまった。
なんというかそういう“ピタゴラスイッチ的”な他者の行動をみると急にその人に自分とは違う大人の匂いを感じてしまう。たぶん、僕がそういうことがまだ全然苦手だから。

お腹が空いたら牛丼屋に入ってしまうし、休みの日は飽きるまで眠るし、文章だって書きたいときは気まぐれ。そういう脊髄反射的な生活に慣れてしまっている。それにどこか、そういうのがいけているような気さえしていることもある。宵越しの金は持たねえぜ、みたいな。そういうキャラクターってかっこいいでしょう。

でも、あのときなぜか僕にはその白い水筒が馬鹿みたいにかっこよくみえた。

友人との会話は大学の話題から仕事の話や積み立てNISAのやりかたへと変わっていっているのだけれど、でもそういったところではあんまりそれは感じなかった。だってそんなこと話していても、今でも音楽やお笑いや少年ジャンプのことが変わらず僕らは好きだから。

でもあの水筒だけは別で、そこからテレビゲームをし続けている間も頭のどこかにその白い水筒があった。

次の休みにLOFTで買ったそれはなんだか見た目より重く感じる。でも、そうやって人にすぐに触発されてしまうのは、本末転倒気味なのだけれど…。

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