情報を得えば得るほど思考しない

何も情報が、無かった子供の時の方が感じて考え、生きていた

「一番始めの生命はどのように誕生したの?」
「宇宙の果てはどこ?」
「死んだらどうなるの?」

様々な
疑問に対して、調べるということを知らなかった頃、

どこまでも止めるものなく深く感じて
時間を超えて果てしなく思考していた。

一番知っていた、思考していた、自分を生きていた
と思う。

小学生の時
「宇宙の果ては、ここ」
「マクロはミクロ」を
体験、体感し
思い出したのも、
何の情報も知識も無かったから、
できたこと。

何も知らない
何も分からない
何も持っていない  

全てを知っている
全てを分かっている
全てを持っている

ということ。

思考しているのではない
ただ、情報や知識に
当てはめているだけ
の人たちを見て

(私もそうだったけど、
レッテル、ラベルを
貼ることは
すごくキライだった。)

あぁ
だから、こんな世界になったのね。

と納得する。

思考を放棄した人々が
この従属的、奴隷的
者価値を創り出したのだ。

明らかに。

私は
私の言葉を話し
私は
私を感じて
私は
私を生きてゆく

本当の私は
探すものではなく
創造するもの