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オペラ『ラ・ボエーム』@東京芸術劇場、の巻

ご縁があって、オペラ『ラ・ボエーム』を見てきました。
今作は、2024年の年末をもって引退することを表明していらっしゃる指揮者・井上義道さんのオペラ最後の指揮作品となります。
そんなことが頭の片隅にあってずっと気になっていたのですが、今回はご縁に恵まれての観劇となりました。


ラ・ボエームあらすじ

プッチーニのオペラのひとつとして名高い『ラ・ボエーム』ですから、いまさらあらすじを語るまでもないかもしれませんが、感想を述べる上での様式美として、簡単に。
既にご存じの方は飛ばしてください。

モンマルトルにすむ4人の若きボヘミアンたち。
それぞれに詩人、画家、音楽家、哲学者が、貧しいながらも自らの魂の自由のために、爪に火をともすようにして暮らしています。
物語はこのうち、詩人のロドルフォとお針子娘のミミをメインカップルに、画家のマルチェッロと歌姫ムゼッタをサブカップルとして進みます。

1幕

クリスマス前の寒い夜、モンマルトルの粗末な部屋で、ロドルフォとマルチェッロが、ロドルフォの詩の原稿を暖炉にくべて暖をとっています。この詩を燃やすなんて世界の損失だ!みたいな冗談を言いながら。
そこへ、音楽家と哲学者のいつもの仲間が集まり、音楽家が稼いできた食べ物とワインで酒盛りが始まり、
「クリスマスイブだ!街に繰り出そうぜ!」
とノリノリで出かけようとします。
とそこへ、家賃の督促をしに大家さん登場。ボヘミアン4人組は手持ちのワインを飲ませて大家さんを酔わせると、なんと大家さん、酔った勢いで浮気をしていることを告白。それを理由に
「なんてやつだ!」
と大家さんをおっぱらうことに成功した4人は、今度こそ街に繰り出すことにしますが、詩を燃やしてしまったロドルフォだけは、部屋に残って仕事を続けます。
そこに、蝋燭の火を借りに近所に住むお針子女のミミが登場。
一旦はさるのですが、
「鍵をなくした」
と再び戻ります。うっかり蝋燭の火が消えてしまい、暗闇の中、手探りで鍵を探す二人。冷たい手が重なり、鍵が見つかり、
「私の名前はルチアなんだけど、なぜかみんなミミと呼ぶの」
「刺繍をするのは好き。薔薇の花を咲かせられる」
などロドルフォと言葉を交わし、ロドルフォはすっかりミミに一目惚れします。
そして二人は先に行った仲間を追って、手を携えてクリスマスの街への駆け出していくのでした。

2幕

カルチェラタンのカフェ・モミュスに陣取っていた3人に合流したロドルフォとミミ。
カルチェラタンはクリスマスで大賑わい。
そこへ、画家マルチェッロの元カノ・歌姫のムゼッタがパトロンと共に登場します。
マルチェッロは苦虫を潰したような顔。
しかしミミは鋭く、
「ムゼッタはまだマルチェッロに心を残している」
と看破します。
その証拠に、ムゼッタはマルチェッロを見とめると、パトロンがいるにも関わらずマルチェッロを誘惑に掛かります。
そして、パトロンが席を外した一瞬の隙をついてマルチェッロに寄り添い、抱きつき、二人はよりを戻します。
大騒ぎになったボヘミアン4人とミミとムゼッタ。
カフェの支払いを全てムゼッタのパトロンに押し付けて、カフェを後にします。

3幕

乱痴気騒ぎの幸せなクリスマスから2年経った、ある日のアンフェール門。
看板描きの仕事をしているマルチェッロの元に、激しく咳き込みながらミミがやってきます。
曰く、
「ロドルフォが嫉妬深くてやってられない、二人の生活がうまく行かない。挙句昨日ロドルフォは家を出て行ってしまった。助けて、マルチェッロ」
と。
そんなこと言われても困ってしまうマルチェッロは、「ロドルフォなら奥の部屋で寝てるぜ」
とミミに教えたところ、ロドルフォが目を覚ましてやってきます。マルチェッロはミミに隠れているよう指示して、ロドルフォと話し合います。
「最近ミミとうまくいってないのか?」
するとロドルフォは驚くべき事実を開陳します。
「ミミの病気は日に日に重くなり、もう命の火が尽きようしている。僕は彼女に相応しくない。彼女が生きるためには別れた方がいいんだ」
と。
自分の病状を知らなかったミミは驚き、ロドルフォはそこでミミに話を聞かれたことに気が付きます。

一方で、自由奔放なムゼッタに手こずっていたマルチェッロも、ムゼッタと激しい口論になり、ついには、
「ほなさいなら!」(※これは、今回の字幕そのままです)
と喧嘩別れ。

ロドルフォとミミも別れを決意します。

4幕

ミミと別れたロドルフォ、ムゼッタと別れたマルチェッロ。
モンマルトルの部屋で二人は意気消沈しています。
そこへ、すっかり衰弱したミミを抱えて、ムゼッタが飛び込んできます。
「子爵の家をでたミミが行方不明になってたんだけど、道端で倒れているのを見つけたの。ロドルフォに会いたい、どうしても会いたいというから連れてきた」
と。
ミミは、自分の命が尽きることを悟り、最後は愛するロドルフォの胸の中で死にたいと、モンマルトルを目指したのでした。
その切ない胸の内を知ったムゼッタは、
「彼女は死ぬべき人じゃない。本当にいい子。神様彼女を助けて」
とかつての奔放さが嘘のように真摯に祈りを捧げます。
ムゼッタは自分のアクセサリをマルチェッロに渡し、これでミミのために薬を買って医者を呼ぶように依頼。
自分は、「手が冷たい」(これは1幕のリフレイン)というミミのために、毛皮のマフを買いに走ります。
二人きりになったロドルフォとミミ。
二人はかつての楽しかった思い出を語り合い、互いにまだ愛し合っていること確かめます。
ムゼッタがマフを持って戻ってくると、ミミはそのマフを受け取り
「温かい。ありがとう。少し眠るわね」
と言って眠るのですが、そのまま息絶えます。
異変に気がついたロドルフォは、ミミを胸にかき抱き、悲嘆に暮れるのでした。

青春の春夏秋冬を歌うオペラ

このように、ラ・ボエームは二組の恋人たちを巡る青春群像劇ともいう話です。
1幕が恋が芽生えた春とすれば、2幕クリスマスの大騒ぎは夏の活気。
3幕ではパリの哀愁漂う秋にも似た恋の終わりを語り、4幕は生命が死に絶える冬を象徴するようにヒロイン・ミミが息を引き取ります。
ボヘミアン4人組はいずれも、今だったらニートというか、フリーターというか、とにかく自由に行きたいモラトリアム。
ミミの死をもって青春の四季をひと通り経験したロドルフォには、きっとまた春が巡ってくるのでしょうが、それはこれまでとは意味が違ってくるのでしょう。

マエストロ井上と今回の演出・舞台デザイン・衣装デザイン・振付を担当なさった森山開次さんは、ひたすらポップで軽やかに、そして抱きしめたくなるような愛おしさを込めて、彼らの青春の四季を描いていたと思います。

とにかく可愛い衣装、そして藤田嗣治

『ラ・ボエーム』は19世紀前半を想定した物語です。
衣装デザインは、19世紀終わりから20世紀初めくらいのイメージでしょうか。
とにかくカラフルでかわいい。
女性の衣装は華やかな色をふんだんに使い、所々クリスマスオーナメントをつけたりして、キラキラしているし、男性の衣装も長めのフロックコートにリボンタイだったり、ギャルソンはシュッとしてるし、舞台全体がパーソナルカラーで言えばイエローベース系のオレンジやゴールドにあふれた色味で統一されていました。元気でかわいい。

カーテンコールは撮影可能でした
舞台下手奥のバンダの皆さんの衣装もかわいい~

今回の演出の特色のひとつは、画家マルチェッロを藤田嗣治の見た目に仮託したことでしょうか。

一番上手にいるのがマルチェッロです
ひとめで「あ、藤田嗣治だ!」とわかるいでたち


20世紀の初めに、モンマルトルに住み着いた日本人の画家・レオナール藤田(藤田嗣治)。
彼の特徴的な髪型と丸眼鏡をマルチェッロに託したことで、いち日本人観客としてはぐっと「モンマルトルの画家、そしてボヘミアンたち」が身近に感じられるようになりました。
藤田のコスプレって、本当にキャッチー。

藤田といえば猫好き!とピンとくる方も多いのではないでしょうか。
猫もいました。それもたくさん!

黒猫ちゃんたちです
たくさんいます、黒猫ちゃんたち

2幕のカルチェ・ラタンのシーンに登場するコーラスの子供たちは、全員黒猫ちゃんの衣装をきて歌っていました。
かわいい。
そして2幕の、パリのクリスマスのキラキラした輝き!
クリスマスマーケットに行った時ってああいう風にわくわくして楽しかったなぁ・・・
パリのクリスマスの空気感がとてもよく再現されていて、2幕はとても良かったです。

今回の公演のイメージポスターにも、実は黒猫ちゃんがいます!


他にも、オペラだと歌手だけが舞台上で棒立ちになって歌うようなシーンでは、歌手の心情を視覚化するために、コンテンポラリーを踊るダンサーが配置されていました。
この人たちは、時に黒子の役もこなしていて、段幕のない舞台の舞台転換をスムーズに進行したりしていました。
こういう、小粋な人の使い方が本当に心憎い。

わかりやすさと敷居の低さ~日常につながるモンマルトルの青春

黒猫ちゃんたちにせよ、コンテンポラリーダンサーにせよ、また3幕冒頭に登場した白いフード付きマントを着た人たちにせよ、私は見ていて古代ギリシャ劇のコロスを思い出していました。
コロスは動かないんですけれど、役割としては似ている。
登場人物の心情を代弁したり、説明したり。
それが効果的で、観客の理解が進む。

今回の井上・森山チームの『ラ・ボエーム』は、総じて「とてもわかりやすかった」です。
片意地張らずに見られる気安さや見た目のキャッチーさだけでなく、初見でも観客がちゃんと理解できるような補助装置ができている。

それは、マエストロ井上が手がけた日本語字幕にもあって、日本語字幕は本当に若者が言っているような言葉が繰り出されていました。
3幕、マルチェッロとムゼッタの口論の楽曲、最後の捨て台詞が、
「ほな、さいなら!」
だったのは、笑うというか、一気に毒気が抜かれましたw

このように、一貫してオペラに対して一般的に感じる「敷居の高さ」がない、とても親切で見やすい舞台だったのは大変好感が持てました。
舞台を見終わってからマエストロ井上のインタビュー記事を見つけたのですが、その中の、
「僕は”芸術は非日常“という言葉が大嫌いでね。芸術は”日常“でなければならないんです。」
という言葉が、とても印象的でした。
井上さんのその企み、しかと受け止めました。

最初にも書いたとおり、この『ラ・ボエーム』はマエストロ井上道義の現役最後のオペラとなります。
これは、井上さんの置き土産。
最後のオペラが、この軽やかで愛しい、自由人たちの青春群像劇であった意味を、もう一度考えてみたいと思います。


マエストロ井上と、演出・舞台&衣装デザイン・振付の森山さんのツーショット
いい舞台でした!

『ラ・ボエーム』はこれから宮城(名取市)、京都、西宮、熊本、金沢、そして最後にミューザ川崎を回ります。
お勧めです。

最後に~私の名はミミ

「私はミミ。でも本名はルチアというの。どうして人は私をミミと呼ぶのかしら」
ヒロインのミミはこんな自己紹介をします。
しかも1幕目と4幕目で2回も。
ルチアとミミじゃ全然違うんですけどねぇ。
なんでそんなにダメ押しするほど、「ミミ」という名前にこだわってるの?

ざっと調べたのですがあんまり出てこなかったので、ここからは私の妄想です。
・・・なんとなくなんですけど、これって多分18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパを席巻していたという「ミニヨン」ブームから来てるのかなぁ・・・と。
そうです、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」に出てきて、「君よ知るや南の国」で単独の話としても伝わっている、薄幸の美少女ミニヨンの物語。
ずいぶん昔に、「けなげでかわいくてかわいそうな美少女ミニヨン」が大流行して、いっときヨーロッパにはミニヨンがあふれかえっていたと・・・あれは英語の文献だったのかな、読んだ記憶がありまして。
時期的にも一致するし、薄幸の美少女が結核ではかなく死んじゃう、なんて「プッチーニ好みのヒロイン」(原作のミミはもっとふてぶてしいらしい)、名前からして薄幸っぽいほうが受けがいいですもんね・・・なんて、オペラを見ながらふと考えていました。

ミニヨンが流行ったのは概ねゲーテのせいだし、ラ・ボエームといいマダム・バタフライといい「けなげでかわいくてかわいそうな美少女」はプッチーニの性癖なんだな、なんてねw

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