谷桃子バレエ団「ラ・バヤデール」@上野文化会館 1月18日夜公演、の巻
はじめに
本日は谷桃子バレエ団の新春公演「ラ・バヤデール」をみて参りました!
・・・と、一行目から「!」が文末につくところからしても、ワタクシの「楽しかった!」という気持ちがあふれ出ているわけですがw
びっくりしたのが、この写真です。
アンコールのあと、「撮影会があります」と場内アナウンスがあり、何のことだろうと(一部お客さんは帰り始めていた)思っていたらなんともう一度幕が上がりまして・・・
このように整然と並んだキャストの皆様が現われた訳です。
すると日原永美子先生が、
「どうぞ皆様ご自由に写真・動画をお撮りください。
本日撮っていただいた写真・動画は全てSNSに利用可能です。
どうぞ今日の思い出を、世界に発信してください!」
なんて仰るじゃないですかw
これを聞いて歓声と笑いが場内を包みまして、そのあとそれなりの長さの撮影会となりました。
途中でキャストの皆さんがポーズを変えてくださったり(マグダヴィアがジャンプしていたり)して、サービス満点。
終始和やかな撮影会でした。
そう、この「和やかさ」が、お客様の満足度の高さを象徴していたのではないかと、私は思ったわけです。
上野文化会館という場所
ところでこの上野の東京文化会館も、都内の劇場・コンサートホールのご多分に漏れず、老朽化による改修工事が入るんですよね・・・
来年(2026年)5月~2028年まで閉まってしまうそうで。
帝劇も閉まるし、国立劇場は既に閉まっているし、文化会館も閉まる・・・
本当に、都内の劇場は取り合いの状態だと思います。
この状況に、私はちょっと不安を覚えていたりします・・・
”谷桃子バレエ団版”ラ・バヤデールあらすじ
さて、谷桃子バレエ団の「ラ・バヤデール」は、谷桃子先生による演出で世界の標準的な構成から大胆な変更を加えられているだけでなく、今回は高部先生の演出で物語性が深まっていましたので、念のためあらすじも書いておきます。
1幕1場
苦行僧マグダヴェアが、ニキヤの”面影”(と私は理解しました。実際には、ちょっと暗めの照明で、マグダヴェアにとっての夢、もしくは宗教的にいえば偶像(ダブルミーニングで”アイドル”でもあるのかもしれません)のような佇まい)とともに登場します。
マグダヴェアのニキヤへの愛が切々と語られたのち、はっと我に返ったマグダヴェアと仲間の苦行僧とともに聖なる火をおこします。
一方で、仲間からの虎狩りに行こうぜ!という誘われた若き貴族にして戦士ソロルはそれを断ります。仲間が去ったあと、一人になったソロルは、マグダヴェアにニキヤを呼び出せ、といいますが、マグダヴェアは断ります。でも、貴族にして血気盛んな戦士ソロルのいうことには逆らえない・・・
やがて僧侶たちによる火祭りの儀式が始まります。
大僧侶(バラモン)が現われ、美しいニキヤを連れてこいとマグダヴェアに命じます。
ここで初めて実体ニキヤ登場。かぶっていた白いベールを取り去ると、絶世の美女が現われます。ニキヤが落とした白いベールを拾い上げ、愛しげに頬ずりするマグダヴェア・・・
美しさと優雅な踊りで場を浄めたニキヤに大僧侶は、
「自分のものになるなら、お前にこの寺院も地位もやろう」
と上から目線で激しく言い寄ります。
宗教者であるバラモンと、同じく巫女である自分はそのような関係にならない、と毅然として断るニキヤ。
一旦諦めた大僧侶は引き上げ、舞台上は静まりかえります。
誰もいなくなったところにニキヤとソロルが再登場し、二人は短い逢瀬を楽しみます。
ソロルは聖火に、ニキヤへの永遠の愛を誓い(婚約し)、二人は幸せの絶頂を味わいます。
しかしそれを物陰からみていたのが大僧侶。
さらにそれをみたマグダヴェアが、ソロルとニキヤに危険を知らせ、二人は夜陰に紛れて去って行くのでした。
1幕2場
場所が変わって、今度は王宮内。
王ドゥグマンタは自分の娘ガムザッティとソロルを結婚させると心に決めていました。
ガムザッティにソロルの肖像画を見せると、ガムザッティは凜々しさと精悍さを備えた美しいソロルの姿に、結婚を快諾。
そこへ、何も知らないソロルが呼び出されます。
王はその場でソロルに、「ガムザッティと結婚しろ」と命じます。
ニキヤという永遠の愛を誓った恋人がいることを告白できないソロル。
と同時に、初めて会ったガムザッティの美しさに、心が揺れます。
ソロルの気持ちも整わないうちにその場で婚約成立。
そんなとき、大僧侶が現われ人払いを要求します。
王と二人きりになった大僧侶は、ソロルに婚約者がいることを密告します。
大僧侶としては、ソロルとニキヤを別れさせることが目的の密告だったのですが、苛烈なドゥグマンタ王は密告を聞くや「ニキヤを殺せ」と命じます。
この会話を物陰で聞いていたガムザッティは、ニキヤが気になってしまい、ニキヤを密かに呼び寄せます。
ニキヤの美しさに驚くガムザッティ。
しかし気を取り直して、「ソロルは私と婚約した」とニキヤに告げます。
驚き混乱するニキヤ。
どうすればソロルを諦めてくれるのか、と、その場にあった宝石を与えようとするガムザッティ。
その振舞がニキヤの激情を益々駆り立てます。
ガムザッティも気持ちを高ぶらせ、花嫁のベールを見せつけてニキヤを挑発します。
完全に取り乱したニキヤは、怒りに我を忘れてガムザッティにナイフを振り下ろそうとします。
しかし、自分が巫女であるということを思い出し、「人にナイフを向ける」という己の振舞におびえ、その場から走り去ります。
ナイフを向けられたガムザッティは、ニキヤを必ず殺して亡き者にする、と誓うのでした。
2幕
ソロルとガムザッティの婚約パーティ。
女官、戦士たち、扇子の踊り、壺の踊り、太鼓の踊り・・・様々な舞踊が披露されます。
その一方、大僧侶はドゥグマンタ王に命じられるまま、何やら仕掛けの入った花かごを用意していました。
踊りが進んだところに、マグダヴェアが飛び込んできて、
「ニキヤが来た」
と知らせます。
ニキヤは、婚約祝いの踊りを奉納するためにやってきたのでした。
ニキヤは悲しみを抑えて踊りを披露します。
その舞の見事さに、「ソロルから」とニキヤに大僧侶が仕込んだ花かごが渡されます。
ソロルの真心だと感じたニキヤは喜んでその花かごを受け取りますが、その花かごから蛇が現われ、ニキヤの喉笛に食いつきます。
全身に毒が回るニキヤ。
王とガムザッティの命令で蛇を仕込んだとはいえ、ニキヤの死を望んでいなかった大僧侶は、用意しておいた解毒剤をニキヤに渡そうとします。
しかしその時、ガムザッティがソロルへ手を伸ばし、手の甲への口づけを求めます。
その仕草を目撃したニキヤは、絶望のあまり解毒剤を飲むことを拒否。
その場で絶命するのでした。
3幕1場
ニキヤの死を目撃したソロルは、絶望のあまり自室で苦悶しています。
そこへぬっと現われたマグダヴェア。
「気分転換に」とソロルにシーシャを進めます。
シーシャ(水たばこ)は通常、香り付けされた煙を吸うだけなのですが、マグダヴィアの進めたシーシャには、アヘンが仕込まれていました。
次々とシーシャを勧めるマグダヴェア。
マグダヴェアは、ソロルをアヘン中毒死させるつもりなのです。
ニキヤの愛を、死後成就させるために。
眠り込んだソロルに、マグダヴェアはかつてニキヤが身に付けていて、マグダヴェアが大切に保管していた白いベールをかけます。
ソロルは既に昏睡状態です。
マグダヴェアはそこで、高位の僧侶の衣装を身につけます。
位が上がったのです。
地べたを這うように動いていた低位の苦行僧から、すっくりと立ち上がることができるようになったマグダヴェア。
昏睡状態のソロルを見下ろし、
「お前は、死ね」
とハンドサインで告げ、ソロルの自室を去って行くのでした。
3幕2場
黄泉の国。
32人のバヤデール(舞姫)立ちが天から降りてきて、ソロルの魂を迎え入れる準備をしています。
そこにニキヤも現われ、ソロルを導きます。
ニキヤとソロルの愛が成就したとき、天から白いベールが降りてきます。
白いベールでソロルを導き、ニキヤはソロルとともに天上界にあがっていくのでした。
キャストに関する短い感想
以下、キャストの皆様に関する短い感想を述べてまいりたいと思います。
順不同…と言いたいところですが、これは私の思い入れの順番!ということでご容赦くださいませ。
書きたいことがたくさんある方から、どうしても書いてしまいます…
マグダヴェア=二山治雄
二山さん!二山さん!二山さん!(心の中で声の限りに叫んでいるw)
YouTubeでお稽古の様子を見た時から、もう目が釘付けでした。
本番で見ても圧巻。
あの柔軟性はなんでしょう?
苦行僧マグダヴェアは、地位の低さもあって地べたを這いつくばる、蜘蛛のような姿勢で常に移動するのですが、その姿勢からの大ジャンプ!
しかもぐにゃっとしたような歪な形で飛ぶのに、なぜかそれが美しい…
ふと、西洋絵画のジャンルであるマニエリスムを思い出しました。あの、ぐにゃっと歪に不自然に引き延ばされた肢体…けれどマニエリスムは、美しさを追求して結果本来の身体ではあり得ない不自然に伸びた人間の体を描いていたわけで。
まさか、人間マニエリスムが現れるとは思ってなかったですよ、二山さん…
初めての実体ニキヤ登場シーン、他の苦行僧ともどもマグダヴィアも平伏しているのですが、他の苦行僧がただただ恐れているのと違って、ひれ伏すマグダヴィアからは畏敬と憧憬が全身に満ちていることがわかる。
ただ平伏しているだけなのに。
これってすごいことですよ。語彙がなくて「すごい」としか言えないのが口惜しいのですが。
この谷版ラ・バヤデールでは、高部先生の新解釈でマグダヴィアが「影の主役」のポジションになっています。
谷版マグダヴェアを二山さんで見られたのは、幸せなことだと思いました。
ニキヤ=永橋あゆみ
以前にも書きましたが、私は永橋さんがだいぶお若い頃から谷で主役を踊られているのを見てきました。
ご結婚なさり、お子さんも生まれ、失礼ながら年齢的にもそろそろ「踊り納め」みたいな舞台も増えてくるのだろうなと…
そう考えると、どうしても永橋さんのニキヤを見ておきたい、という思いに駆られました。
プログラムの中で永橋さんがおっしゃっていた通り、1幕、2幕の人間ニキヤと3幕黄泉の国で死人(しびと)となっている冷たく無表情なニキヤが明確に踊り分けられており、ベテランの風格を感じます。
それでいて、1幕で登場するニキヤは、どこまでも可憐で少女のようで、その一方で巫女らしく神々しいのですよね…
2幕以降、錯乱していくわけですが、1幕の神々しさが失われていく様は哀れの一言で、ひたすらに悲しい。
永橋さんを見ている間、私は「姫役者」という言葉を思い出していました。
可憐で美しく、それでいて気品と威厳を備えているプリンシパル。
谷の姫役者は、間違いなく永橋あゆみさんです。
果たしてこの後継者が出てくるのだろうか。
他人事ながら少し心配になりました。
ソロル=今井智也
今井さんも、思い入れのある方です。
永橋さんとのコンビは、本当にホッとするというか…実家に帰ってきた気持ちになりますw
今回の今井ソロルは、とにかく型が美しかったです。
ジャンプは高さはもちろん空中での姿勢、着地の安定感、全てにおいてお手本のように美しく、魅了されました。
基本に忠実であるということに、私は憧れと尊敬を抱きます。
今井さんのソロルは、とにかく気高く、気品に満ちていました。
それゆえに、戦士というよりは貴族のおぼっちゃま風味が前に出て、あらごとが苦手で優しい人なのかな?という雰囲気が漂います。
誰とも荒波を立てず、穏和に過ごしたい。そんなふうに思う人。
だからこそ、ニキヤも裏切れない、王の命にも背けない、ガムザッティを悲しませたくない…そんな悩みも深くなったのでしょうか。
ガムザッティ=山口緋奈子
YouTubeで見ていて、成長著しい!と感じたのはひなこさんでした。
役に引っ張られたのでしょうか。気品に満ちた、気位の高い、美しい姫がそこにいました。
先程、永橋さんのところで「谷の姫役者は現れるのか?」と書きましたが、私はひなこさんにその片鱗を見ました。
ここにいるじゃん、姫役者…!って。
役が強くしたのか、元々ひなこさんの勝気な面が出たのか、それはとてもいいことで、「姫を踊る根性がついたなー!」と感じました。
アラベスクの姿勢の時、足のあげ方がちょっと足りないな…と感じたのは、体を壊していらっしゃるのでしょうか。
そういう小さな引っかかりはあるものの、ニキヤと対峙するシーンの迫力は、「キャットファイト」とは言えないほどの迫力があり、姫同士のプライドと愛と生死をかけた争いに、目が離せませんでした。
ひなこさん、頑張って欲しいです。谷の姫役者を目指して…!
ドゥグマンタ王=齊藤 拓
斎藤さんが…王様…!!!
うん、いや、年齢的にはそうなのかもしれませんが、衝撃を受けました。
斎藤さんのドゥグマンタ王は威厳というより優しさが先に立ち、娘の幸せを願っている父、という雰囲気がしました。
そういう王様もありですよね。
その他短く
トロラグヴァ=昂師吏功
若々しくて、まだ少年と青年の間という感じで、ソロルの同僚というより弟分、という感じでした。それはそれでフレッシュで可愛いw
壺の踊りのミツバチちゃんたち
小さい子たちがトゥシューズ履いているのを見るだけでなんだか泣けてしまうのですがw ミツバチちゃんたち本当にお上手でした!
この子達の中から、将来有名なダンサーが出てくるのでしょうか…楽しみです。
ネタバレ感想を少々
さて、ここからはネタバレです。
3幕2場、黄泉の国から天上界に上がっていくニキヤに、天から白いベールが落ちてきます。
その時、イヤホンガイドでこんな解説が流れました(以下、大意です。正確ではありません)
「天から降ってきた白いベール…それはマグダヴェアを象徴しています」
…え?
「ニキヤはソロルを白いベールで導き…ニキヤの望みをかなえたことで、マグダヴェアの愛は成就したのでした」
はあああ?
これって…マグダヴェアの物語だったのか…………!
この高部先生の新解釈、痺れました。
まるで推理小説みたい。
そう言えば白いベールってどこからどういうふうに、誰の手に渡っていたっけ?
ニキヤが殺される花篭の移動にすっかり気を取られていたけど、白いベールの行方だってみておかなくちゃじゃない!!!
うおーー最初から見直したい!
この新解釈、ある意味魔改造なのだと思います。
しかしそれは、「源氏物語」のような、人の想いが複雑に交錯し、小さな小道具や自然に想いを託す物語を、千年に渡って読み継いできた、日本人だから発想できる、そして日本人だから納得できる…そういう類の魔改造。
私はここに、「日本でバレエが上演される意味」を見出しました。
新しいですよ、これ。
そして不思議なくらい納得が行きます。
今後もこのくらい、美しい新解釈でわたしたちをおどろかせてください。
楽しみにしています、高部先生!