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#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門「窓をめぐる物語」第7話 ブラウス(1)

曇りガラスに人影が映りました。木のフレームに縁どられたドアが、静かに押し出されます。
「やあ」
「いらっしゃいませ」
「やっぱりここは違うんだね」
来店されたのは、冬になるとこの町に来られるご夫婦です。以前はスキーを楽しまれたそうですが、最近は別荘で雪景色を眺めて過ごされます。
「この冬も美味しいコーヒーが飲めるんだね」
「はい」
「でもどうして、よそみたいにお休みじゃないのかな?」
この辺りでは雪深くなると休業するお店も少なくありません。私は用意してある言葉を口にします。
「雪の中を来て下さるお客様をお待ちしています」
一年ぶりに、陽だまりのような奥様の微笑みに包まれました。お変わりないご夫婦の様子に私は心からほっとします。

このお店で働く私が言うのもおかしいのですが、建物の作りが少し変わっている以外は、落ち着いた雰囲気のよくあるカフェです。ただ町ごとすっぽり雪に覆われる時季も営業するのは、実は別の理由もあるのです。いえ、それが本当の理由かもしれません。でも私がそのことについてお話ししたところで、すぐには信じてもらえないと思います。言いたい気持ちはあるのです。どうすればいいのか分からなくて、このカフェを開き続けているのかもしれません。

もともとここは私の先生が始めたお店です。小さい頃にピアノを教えてくれた先生は、当時の母よりも若い女の人でした。家が近所で、先生のご自宅に通ってレッスンを受けていました。先生のお宅には画家のパートナーがいましたが、私が顔を合わせることはほとんどなかったと思います。

何年も続けたレッスンでしたが、学習塾に通いだしたり友人と過ごす時間が長くなったりして、私はピアノから遠ざかりました。そして進学のためにこの町を離れた頃は、ピアノも、先生のこともほとんど忘れていたと思います。それから社会人になって、会社を退職したタイミングで、私はこの町にしばらく戻ることにしました。確か、その冬に初めてお店を訪ねたのです。先生がカフェを開いたことは聞いていましたので、雪が深まる時季も営業しいている、という話を確かめるような気持ちだったと思います。お店は町の小さなスーパーや郵便局、花店などが何軒があるだけのメインストリートの外れでした。歩道より1mほど高く入り口が作られ、その両側に階段とスロープが設けられています。もちろん雪の季節も営業するためです。

まぶしい。
初めてこのカフェのドアを開けた私は思いました。
「まあ、いらっしゃい」
なつかしい声です。カウンターの中に先生がいました。
「先生、お久しぶりです。わあ、すごい景色」
視界の右に、壁一面の大きな窓が飛び込んできました。
「あら、この町からしばらく離れていても見慣れた景色でしょう?」
面白がりながらやさしく笑う、昔のままの先生に緊張がほどけます。ただ私が歩いて来た方向からは、メインストリートを左に曲がった道に面しているこの大きな窓が本当に見えなかったのです。
「こんなに大きな窓を見たら誰でもビックリしますよ」
「そうかしら、もう大げさね」

ガラス窓の向こうは、山のふもとまで畑が広がっています。真ん中に細い道があって、民家のほかに別荘が数件ほど。そしてガラス窓の手前には、横向きにグランドピアノが置かれていました。子供の頃、先生の家でレッスンを受ける時に弾いたピアノです。

はじめは気がつきませんでしたが、あらためて考えれば、お店の中の配置は少し変わっています。一面のガラス窓から外を眺めるのは、お客さんではなく、カウンターの中にいる先生になるのです。お店に入ると左側のカウンターと、右側のガラス窓の間を奥に進んだところにテーブル席が3つありますが、そこから外を一番よく眺められるわけではありません。

それにしても、天井部分まで届く本当に大きなガラス窓です。冬の日差しと雪明りが混ざり合いながら、お店をほんのり明るくしていました。
「帰ったばかりなのに、このお店にも寄ってくれるなんて本当にうれしい。さあかけてね」
「すっかりご無沙汰してごめんなさい、先生」
カウンター席の真ん中あたりの椅子に私は座りました。先生は後ろの棚に美しくに並べられた中から、コーヒーカップを選び始めます。もともと体の細い先生でしたがさらにほっそりとしたようです。
「これがいいわね」
カウンターからは見えない作業スペースに、つややかな白地にフルーツや小花の描かれたカップとソーサーを先生が置きます。そのかすかな音を合図に、波が引くようにお店の中から光が失われました。

曇ってきたのかな。

後ろをふり返った私は、さっきとまるで違う光景を目にしました。冬の陽と色をすっかり失った景色が広がっています。その代わり山への一本道が、くっきり浮かび上がっています。一面を覆う雪は、音まで吸い込んだようにふくらんでいました。カウンターに向き直ると、先生も黙って窓の外を見ています。ようやく雲が切れたのか、お店にまた光が入り始めると、カップからコーヒーの香りが立ち始めました。

その日から、私は先生のカフェによく行くようになりました。ピアノの前に並んで座っていた先生は今、ダークブラウンの厚いカウンターの向こうにいます。 

第8話 ブラウス(2)
https://editor.note.com/notes/n2c24bf08d4e4/edit/

第9話 ブラウス(3)
https://editor.note.com/notes/n1e42539a09c4/edit/

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