珊瑚のあぶくと星の歌【第3泡】㊦
前回までのお話はこちら↓
★「決意・表明」に力があると実感する
さて、晴れてカラーを
習いに行けることになった私。
そもそも、それすらご縁で、
「私、本気で勉強してカウンセラーになる」
と夫に宣言したら1週間で
良い先生と知り合ったのでした。
一度も出会ったことのない
先生だったのに。
3か月に分けて
月に2日間ずつ
通うことになりました。
本当に本当に面白くて最高で、
こんなふうに生きていいのかと
感動する授業でした。
「必ずプロになろう」と
改めて決意した初日でした。
ところが。
ある授業日に、
具合が悪くなりました。
体が熱いし眠いし、
風邪ではないはずなのに
普通に座っていることすらできなくて、
自分でも「どうしちゃったんだ」と
思いました。
先生は優しくて、
転がりながら受けていいわよと
言ってくださったのですが、
本当にひどい状態で
申し訳ないと思いつつ勉強しました。
帰宅後もずっとそんな感じ。
私は、体の異変を
感じていました。
絶対ありえないけど、
もしかしたら、と。
「もしかしたら」は
現実になりました。
妊娠検査薬、陽性。
そうなのです。
本当に「不思議」としか
言えないタイミングで、
私は妊娠していたのでした。
このときのショックは、
忘れられません。
もちろん
お子さんを欲しいと願い
さまざまな努力を
重ねていらっしゃる方には
「なんてこと言うんだ!」
と腹立たしいことだとは
思うのですが……
それでも私はショックでした。
★過去の澱があふれ出す10か月
あれほどまでに、
「私が親になれるわけない、
子どもを不幸にしてしまう、
だから産まない」
と言っていた私が。
しかも、
プロになるための勉強を
スタートした直後に。
「お前がセラピストになんて
なれるわけがないだろう」
人生にそう言われた気がしました。
命を授かった以上、
それは運命で
しっかり育まねばいけません。
でも、自分のように
幸せな家族の在り方を
知らない人間に、
子どもを育てられるのだろうか。
「あんたなんか生まなきゃ良かった」等
精神的虐待に近い状態で
育てられた自分(たち)は
同じことを繰り返してしまうのでは?
(精神医学や心理学の勉強で、
負の連鎖が起こりやすいと
知っていたのです)
せっかく生まれたいと
願っている子どもを、
不幸にしてしまうのではないか?
そもそも、すでにお腹にいる子に
私の感情が伝わって、
ショックを与えているのではないか?
たくさんの不安と
罪悪感でいっぱいで、
私は毎日泣いていました。
「育てられる自信がない」
「不幸にしてしまうのでは」
「私のような子を、増やしたくない」
「子どもを純粋に欲しがっている人に申し訳ない」
気分だけでなく体調も不安定で、
切迫早産を繰り返しました。
そんな私を支えてくれたのは、
夫と、
カラーセラピーを通じ
ネットで知り合った方々でした。
そんなふうに、
たくさんの方の言葉に
励まされました。
夫は、励ますでもなく、
泣くなと言うわけでもなく、
ただ涙をふいて
寄り添ってくれました。
「大丈夫だよ。
リラックスできる曲かけとくから、
ゆっくり寝てなよ」
などと。
こんなふうに
たくさんの優しさに支えられ、
私は10か月を悩み抜き、
徐々に覚悟も決まってきて、
不安ながらも受け入れて
前を向けるようになりました。
★東日本大震災、そして出産
臨月の、その日。
私は妹とイオンモールへ
出かけていました。
「風が強いなあ」と思っていたら、
ラジオで緊急速報が聞こえました。
風と思ったのは、揺れだったのです。
あの、未曾有の大震災が起こった瞬間でした。
店に着くころに
夫から電話があり、
とんでもないことが
起こったのだと知りました。
私は無事ですが
大勢の方が
心配してくれました。
日を追うごとに
被害の情報が伝わってきて
その凄惨さに
心をいためることしかできず。
私のような臨月の妊婦さんを
目の前で津波に飲まれてしまった
という旦那さんの話を耳にしました。
家族の中で自分だけが助かった
(「助かってしまった」とおっしゃってましたが)
という方の話を耳にしました。
私のお腹には、
今まさに生まれてくる子がいます。
反対に、
亡くなってしまった子がいます。
どうして、
こういうことが起こったんだろう?
生きられた人と亡くなった人とは
何が違ったんだろう?
生きるって何だろう?
そんなふうに考える毎日でした。
その約1か月後の朝、
私は元気な男の子を
産みました。
抱かせてもらったとき、
「この子が本当にお腹いたの?」
と、実感が薄かったのを覚えています。
でも、その夜のこと。
そこで目が覚めました。
夢だったのです。
こわい夢でした。
息子は、
隣で寝ています。
取り替えようとする人も
入ってはきません。
この子が正真正銘、
私の息子です。
心底ほっとして、
涙がこぼれました。
「私はもう二度と、
この子と離れることはできない」
と悟りました。
あれだけ「不安だ」「怖い」と
言っていた私が、
母親になった瞬間でした。
★ふたたびヒプノセラピー
あんなに「子育てが怖い」
「子どもを愛せるだろうか」と
言っていた私ですが、
子どもが可愛くて愛しくて
仕方ないと思うようになりました。
(もちろん大変は大変でしたが)
どんなに大変で
しんどいなと思うときでも、
震災でお子さんを失った方を思うと、
「むしろ幸せなんだ」と思えました。
「大変だなあ」と思えること、
世話できる子どもがいることが
すでに幸せなんだな、と。
ところが。
息子が少しずつ大きくなるにつれ、
「少しの時間でも離れるのが怖い」
という心理状態が強くなっていきました。
ちょっと異常なほど、
目を離したくないのです。
他の大人に任せることも
不安で不安で仕方なくて。
また、息子が生まれた後から、
霊感のある友人との交流が
増えていきました。
遠方の友人なので会えませんが
不思議なことや
自分の感覚が開いていくことが
実感できるようになっていました。
いろんなことがあり、
私は久しぶりに
ヒプノセラピーの扉を叩いたのです。
その頃にはネット環境も
かなり発達していて、
新潟でも受けられると知りました。
ここで私は、
そののち師匠となる先生に
出会います。
Hiroko先生です。
今まで受けた、
どのヒプノセラピーとも違い、
今までで一番感動し、
一番満足する答えが得られました。
即効性はないですが、
その後気づけば
子どもとの解離性不安は
なくなっていました。
やっぱり、ヒプノセラピーってすごい。
そんなふうに実感し、
「必ずヒプノセラピーも習おう」
と決意しました。
カラーセラピーだけではどうしても
本当に知りたい最奥の部分まで行けず、
「足りない」と実感していたからです。
無意識に直接アクセスする
ヒプノセラピーは、
絶対に私のセラピーに必要だ
と思いました。
★育児と仕事の日々
それからは、
仕事と育児の両立です。
家を建てて独立したのもあり
育児に両実家は頼れません。
出産前から激務な夫は
深夜にしか帰ってきません。
ほぼワンオペでの
育児家事がはじまりました。
でも私は(めっちゃ大変でしたが)
一番そばで子どもに関われることを
うれしいと感じていました。
カラーセラピーの講座には
相変わらず通っていましたが、
現実を生きるのに必死で
スピリチュアル的な分野からは
(一見)遠ざかっていました。
でも、講座に行くと
「そうか、これでいいんだ」
と腑に落ちることが
多くなりました。
知識や感情だけでなく、
「実際にそう生きてみる」ことで
ようやく血肉となって
「腑に落ちる」のだと
実感していきました。
そして
見えない世界も
見える世界も
どちらも同じく大事で、
両方をバランスよく生きることが
なによりも魂を成長させるのだと
知っていきました。
また、
あんなに悩んでいた育児。
毎日を重ねるうちに
気づいたのです。
「育児をしなければ、
私はセラピストになれなかった」
と。
子どもは、私に
たくさんのことを
教え・育ててくれました。
ある日、
「解った」ことがあります。
私は息子を育てながら
「過去の自分」をも
一緒に育てているのだと。
息子が成長し
会話できるようになったある日。
ふと、
過去にいじめられたり
実家で悲しかったりした
話をしました。
すると、息子が
こう言ったのです。
「ひどい!
おれがその時そこにいたら、
ママを助けてあげるのに!!」
私はその言葉を聞いた瞬間、
自分の中にいた
小さな自分が、
一気に救われたのが解りました。
成長し、大人になってからでも、
過去の自分を救うことは
いくらでもできる。
そして、子育てとは
自分育てなんだ。
それが実感として
理解できた瞬間でした。
★カラーセラピーで開業する寸前に
ちまちまと
長らく続けてきた
カラーセラピー。
子どもも大きくなってきて
「今度こそ開業しよう!」と
準備しはじめました。
ところが、そんなおり。
私がずっと勉強してきた
カラーセラピーの協会の
規則が変わってしまったのです。
時間もお金も気持ちも
たくさん込めてきたのですが、
資格更新が現実的でなくなり、
言ってしまえば
(何も落ち度はないのに)
資格取り消しです。
(また、寸前で。何度目だろう…)
さすがに、しょげました。
私だけでなく、
ずっと応援してくれていた
夫もがっかりしていました。
でも、私は思いました。
「今こそ、ヒプノセラピーを
ならうタイミングなのでは?
必ずいつかは勉強しようと
思っていたし、
それが今なのでは」
思いついて即行動しました。
当時、講座をお休みされていた
Hiroko先生に直接お願いし、
講座を再開していただきました。
そして、とうとう
ヒプノセラピストに。
お客さまのあても
ツテも何もありませんでしたが、
何度もヒプノセラピーを経験し、
その時にはもう決めていたのです。
何もしないで死んだら
後悔する。
人が死ぬとき一番後悔するのは
「やらなかったこと」だから。
だから、
ダメでも無理でも、
私はやりたいからやる!
夫は長年勉強した
カラーセラピーじゃないことに
「大丈夫なの?」などと
心配していましたが、
私は気にせずに、
お部屋の内装や家具の配置換え、
ホームページ作成など
どんどん進めました。
そのうちに夫も
私の本気度を感じ、
応援してくれるようになりました。
★どんどん自分が開いていく
その後の私は、
あなたがご存知の通りです😊
おかげ様で、
開業してから今までずっと
不思議なくらい
お客さまに恵まれ続けています。
本当に、
毎回のセラピーが感動で、
私にまで素晴らしい気づきを
もたらしてくれています。
気づいたことは他にもあって。
今までの私の経験すべて……
好きだったことや嫌いなこと、
家族とのことや自死願望、
就いてきた仕事の知識やスキル、
そしてカラーセラピーで学んだこと。
全部が、ヒプノセラピーをするために
必要だったのだと分かったのです。
さらに、
ヒプノセラピーに長時間
深く何度も関わることで、
私の直観力(一種の霊感)が
どんどん開いていきました。
お客さまの感じた情景や
感覚を感じるようになり、
ヒーリングの力を授かり、
高次元の存在と会話できるように。
そして とうとう、
小学生の頃に
泣くほど知りたかったことに
気づけたのです。
でも、気づいて終わりでは
ありませんでした。
気づいた私の目の前には、
「本当の幸せ」と
「安心できる帰る場所」が
ありました。
子どもの頃から
ずっとずっと望んでいたものは、
とうに手に入れていたのです。
「青い鳥」の話のように、
幸せを探しに行くのではなく、
「今が幸せ」だと腑に落ちたのです。
そして、
私はこれからも
この幸せへの扉となるセラピーを、
ワクワク楽しみながら
続けていきたい!と
望んでいます😊
長い長いお話でしたが、
最後までお付き合いいただいた
そこの最高なあなた。
本当に本当に、
読んでくださって
ありがとうございます!
あなたが読んでくださって、
私はとっても幸せです。
あなたは私に、幸せを配ることが
できる方なのです。
そんなあなたの幸せを、
心からお祈り申し上げます✨