見出し画像

珊瑚のあぶくと星の歌【第1泡】㊤

これは、セラピストLilaこと
にいださやかが、
ぷくぷくと
泡のようにつぶやく
今世のお話です。

珊瑚の呼吸は泡となって、星の響きが光となる。などと考えてつけた名前。

先日、お客さまから
「さやかさんが、これまで
 どういう人生を歩んできて
 なぜヒプノセラピーをしようと思ったのか
 知りたいです」

と、なんだかじんわり
心があったまる言葉をいただきました。

けっこうお喋りな自覚があるので
どこかしらで、そして何かしらを
話している気でいたのですが、
過去記事を振り返ってみても、
ホームページのプロフィールにも
細かな昔話はたしかに
載せていませんでした!

そんな過去の話、
興味ある方なんているのかな?
という素朴な疑問やら、
「もう、かなり過去書き換わってるしな」
というヒプノ経験者特有の疑問やら
ありますが、

「読んでみたい!という
 ありがたい君子さま向けの
 特殊記事
があってもいいかな」
と思い直し、
とりあえず書き始めてみました。
(※君子とは:五徳を備えた品格ある素晴らしい人)

ご興味あれば、
ご覧になってください。
何泡(話)になるか不明ですが
不定期でお送りします。
(人気がなければ打ち切りかも 笑)

※ちなみに……タイトルの
「珊瑚のあぶく~」は
私が成人前から書いていた
ブログのタイトルです。 
当時は「珊瑚」と名乗ってました。
(現在は削除済み)

これはあくまで、
私というメガネを通して感じた
ひとつの世界です。
他の人から見たら
また違うということを
ご理解のうえご覧ください。

★ぷくぷくほっぺ生誕

1982年8月11日(水)、
午前11時40分頃。
新潟県五泉市の今はなき病院。

素朴でぷくぷくした子……
つまり「私」は
そこで産声をあげました。

もちろん当時の記憶はないので
聞いた話ですが
予定日より遅れに遅れて
7月末→8月半ばになったそう。

※のちにそれを聞いた小学生の私↓
(よほどイヤだったんだろうな~)〇o。(´-ω-`)

新潟県新潟市(旧白根市)の
わりと貧しいY家。
(実名だと弟妹が身バレするので伏せます)
長子として生まれたときは
そりゃあもう可愛がられたようです。
実際、かわいかった(昔は)。
ほら。

2歳のお墓参りの頃
同じ年。花火。おむつ取れてない

それが今や……
いえ、そんな話は置いといて。

★幼少期から大荒れな家庭

我が家は貧しくて、
きょうだい3人とも
全員、高校生から
奨学金を借りています。

もともと、私の曾祖父が
ひどい博打打ちで
畑も田んぼも全~部
なくなったんだそうで。
(相当な色ボケでもあったらしい)
戦争にも行った祖父は
それはもう苦労したそうです。
そのへんは別な話になっちゃうので
端折ります。

そんな感じで貧乏なのも
理由の一つとなり、
我が家は
それはもう常に誰かしら
喧嘩してました。

私が覚えているのは、
たぶん2~3歳頃から。
(弟が生まれた頃に
  物心がつき始めた)

母が、台所の床で
うずくまって泣いてるんです。
心配した私が
「お母さんどうしたの」
と聞いても、何も言わない。
ねえねえ、と引っ張っても無視。

その後、母は
裸足で家を追い出されたそうです。
靴も靴下もなく、
五泉まで。
20キロほどの道のりを、
歩けば3~4時間の距離を。
(信じられないDVだ……)

もちろん、
母の父(私の祖父)は
カンカンですよね。
(当然だバーロー)
父の土下座でなんとか
帰ってきてもらったらしいです。
このへんは記憶にないです。
でも、こんなことは
一度や二度ではありませんでした。

なかでも強烈に覚えていることが
2つあります。

1、
母が「出ていく」と言ったある日、
祖母が私だけを止めたこと。
「お前は行かないって言え、
そしたらお母さんは
出ていかないから」と。
それを素直に信じて
泣きながら「行かない」と
言い張りました。

母は怒り泣きしながら
「なんで!来なさい」と
言ってくれたのですが、
私は家族がバラバラになる気がして
頑固に断ったのです。
結局、母は家を出て行って、
私は心底失望したのでした。

2、
父が祖父を殴って、
流血沙汰になったこと。
警察は来ませんでしたが、
「お父さん捕まっちゃうのかな」と
それも怖くて泣きました。
とにかく怖くて、
まだ赤ちゃんで何も分からないきょうだいと
茶の間で泣いてました。

2の件は、
ヒプノセラピーで乗り越えてます。
こちら↓

家の喧嘩が終わるまで、公園でブランコに座っている幼少期でした

★ずっといじめられ続ける子

すみません、
つまらないお話が
続くかもしれませんね。
ちょっとここで可愛い写真でも
はさみましょう。

きゃわいい

さて、こんな感じで、
精神衛生上いいとは
とても言えない環境で
育った私なのですが、
保育園や学校に行けば
楽しいのかというと
それも違いました。

ちょっと考えれば
当然とも言えるかもしれません。

・適切な人間関係の築き方を知らない
・平和な家庭を知らない
・自分のせいで家族の仲が悪い、という刷り込みで自信がない

こんな感じだったわけなので、
保育園からなぜか
執拗にいじめられました。
ホント、何でなのか
全然わかりませんでした。
「いじめやすそう、すぐ泣くし」
ってことなんでしょうか?

小学校に入ってからも、
相当いじめられました。
帰り道に一つ年上の子達に
囲まれて蔑まれるのも
日常茶飯事。

ランドセルの中身を
道端にぜんぶ出されたり
下水の泥を服につけられたり、
押されたり足を踏まれたり。

なぜか一緒に歩いてる
同級生も止めてくれなくて、
止めてよと言っても変わらなくて、
しかもクラスでも浮いてしまって、
本当に学校に行くのが
ほとほとイヤになって
人間不信になってしまいました。

思い悩んで、
泣きながら祖母や父に
相談しました。
「学校に行きたくない」
「行くといじめられるから」。

返ってきた言葉は
「お前が弱いからだ。
 言い返せ、やり返せ。
 バカなこと言ってないで
 学校行け」。

こんな感じで、
私は、家でも学校でも
居場所をなくしていきました。

★本の世界と見えない世界

徐々に人生に絶望し、
しかも外界の助けは得られない
と分かったので、
私は生きている意味が
分からなくなっていました。

そんな時、ある雑誌に
なぞなぞが載ってました。

問題:ヒトラーが今も生きていたら、世界はどうなっていたでしょう?

答えは「人口が一人増えている」。
確かに、と思うと同時に、
「じゃあ私が生きてても死んでも、
 人口が一人分増減するだけだな」
と気づきました。

家でも怒られてばかりだし、
学校では友達から無視されたり
いじめられたりするし、
人口が減るだけなら
死んだほうがいいかな、
どうやったら迷惑じゃなく
消えられるかな、
などと考えていた小学生でした。

そんなある日、転機が。

本気で
「自分は何か呪われてるんじゃなかろうか」
と思っていた私は、
(毎年 大怪我していたこともある)
その頃、心霊現象やら
前世の記憶がある話やら
宇宙人妖怪の話やら
とにかく当時でいう
「オカルト系」の本を読んでいたのですが
その中に、
こんな一節があったのです。

自殺は、一番やってはいけないこと。
魂にとっての罪となる。
自殺した魂は成仏できなくなる。

これを知った瞬間、
衝撃が走りました。
「なんで!?」と。

人に迷惑かけないために
死のうと思ったのに、
それすらも許されないの?
と絶望するような気持ちでした。

その後、仕方ないと諦めつつ、
改めて思ったのです。

「じゃあ、私はなぜ生きてるんだろう?」
「なにか意味があって生まれてきたのかな?」

小学生のその瞬間から、
「生まれた理由を知る」ことが
私の生きる目的になった
のでした。


小1で入院(怪我)したときも、先生がお見舞いに本をくれました

そこから私の読書欲と好奇心は
ますますブーストしていきました。

朝の学活前に
前日の本を返却し、
新しいのを借りて
昼休みまでに読み終わり、
次の本を借りて
帰ってから読み切る。

クラブや部活で
忙しくなる頃まで、
そんなふうに過ごしていました。

通知表には毎回、
「いつも一人でいますね、
 もっとお友達と遊びましょう」
と書かれていて、
「余計なお世話だな」と
感じていました。

先生が直接声をかけてくれたり
いじめを見咎めたりしたことも
なかったので、
「叱られる要素が増えるだけ」な
文章はいらないと思っていました。

5年生の先生だけが
本当に心配して
声をかけてくれたのですが、
そのときも私は
言ってる意味が理解できずにいました。

先生「どうして一人でいるの?
  皆と遊ばないの?」
私「休み時間は本読みたいから」
先生「友達と遊ぶと楽しいよ」
私(……? 本読むのも楽しいから
 読んでるんだけど)

元気で友達が大勢いたタイプの
その先生には、
私の言ってることが
分からなかったようです。
でも、とても親身になって
本気で私を心配してくれました。

記憶は薄いのですが、
それから徐々に
他の子と遊ぶことが増えていったので、
きっと先生が声をかけたり
友達の輪に入りやすいよう促したり
してくれたのだと思います。

★友達との関わり方を学ぶ学生時代

ほかの子から見て
私はずいぶんと
変わった子だったでしょう。
付き合いづらいはずでした。

でも、友達と遊ぶのは
楽しいとも思えたので、
しかもそのころには
好きな子ができる等したので、
私はなんとか周りに合わせようと
頑張っていました。

ただ合わせようとすればするほど
自分が浮くのを感じていました。
家族に愛されてる子や
ワガママ放題な子を
羨ましく感じました。

ふつうにしているだけで
友達の輪の中心にいられるタイプ。
そういう子から
声をかけてもらいたいと思いました。
「なんか違うなあ」と感じながら。

占いやら心理学の本を
たくさん読みました。
読めば皆の気持ちが
少しは分かるのではないかと
考えたのです。
純粋な興味もありました。

心理テストから心理学
星占いからの西洋占星術
トランプ占いからのタロット
アロマテラピー星座神話
妖怪の話や幽霊の話。
前世天使神さまなどなど。

タロットは当たりすぎて怖くなり、中学でやめました。「当てる」ことが必ずしも良いことではないと分かったからです。
その頃には「運勢占いは矛盾するから当たらない」ということにも気づき、性格や才能、意識を深く探る系しかしなくなりました

下線部、関連記事リンクあり

小学校高学年から中学生の間に、
私はそういうものを
深く深く考えるように
なっていました。

中学の理科室で同級生が
「おれ、死んだらどうなるかって
考えるようになったんだけどさ。
生まれ変わりってあるのかな」
と言っていたのを聞き
「これまで考えなかったのかな」
とビックリしたのを覚えています。

私が中学生の頃に
父が洗礼をうけ
キリスト教徒になったのもあり
神さまとは」「宗教って
なども深く考えるようになりました。

宗教を熱心にしていた父は
さらなる家庭の軋轢を生んでいて、
それを家族の無理解のせいだと
言っていましたが、
そんなところからも
いろいろなことを思いました。
(私は「個人の自由だから」と
尊重していましたが)

いじめは時々受けていましたが、
(なんと高校でも起こった!)
以前よりは気にならなく
なってきました。

真面目だったとはいえ
本当にいろいろやらかし(笑)、
失敗も挫折もうんと味わい、
相変わらず迫ってくる
自死願望に悩まされる
中高校生時代でした。

こんな経緯があるので、
自傷行為や自死願望のある方からも
「否定されなくてラク」「受け入れてもらえる」
と思われるのでしょうか。

振り返れば、すべて
人間関係を学ぶための時期だったな
という気がします。

この頃読んだ本はぜんぶ、
人生を支えてくれました。
影響が大きかったのは
(たくさんありますが)あえて挙げると、
マンガなら「ONE PIECE」。
小説なら「十二国記」。
この二つは、格別に
私の生き方と考え方を成長させてくれました

ほかにも「シーラという子」シリーズ、京極堂シリーズ、「カードミステリー」、宮沢賢治、「24人のビリーミリガン」……挙げきれない

★きっかけは、祖父の死

私が高校生のときに
かわいがってくれた
祖父が亡くなりました。

その頃に初めて
不思議なことがあったり
弟や母に霊感があると
知ったりしました。

ちょっとだけこちらに載ってます↓

私には霊感はないと
思っていましたが、
今振り返ると、
そうではなかったのかも……
というようなことが
始まったのもその頃。

つまり、
きっかけは祖父の死でした。
「おじいちゃんに会いたい」
そう泣いていた時でした。

祖父が亡くなってから、
私は犬の散歩中に
泣くようになりました。
家ではなるべく泣かないように
していたからです。

日課のように長時間散歩して、
自問自答を繰り返しました。
そんなある日、気づいたのです。
散歩中、「誰か」と話せることに。

「誰か」はあきらかに
男性のイメージでした。
(※祖父ではなく若い男性風)
特別そうしようと
意識したわけではなく、
なんとなく「そうなのだ」と
感じていました。

「誰か」はいつも優しく、
私が失望していても、
世を憂えていても、
家族のことで悩んでいても、
自傷願望に苦しんでも、
「人を愛せない」と泣いても
「誰からも愛されない」と決めつけても、
常に一定の穏やかさで
話をしてきました。

「誰か」のくれる言葉は、
いつも「シン」を捉えていて、
(※芯、信、真、神などを混ぜた意味。
 なんとなく分かったらしい)
私はいつも泣きました。
どんなに泣いても苦しんでも
感動で洗い流された気持ちで
帰宅する
……そんな習慣ができました。

その言葉の深さ、素晴らしさは
すさまじく、
いろいろなことを教わり、
知りました。

今ならわかります。
私はこの頃、歩きながら
自問自答を繰り返すことで
瞑想状態となり

ハイヤーセルフ(マインド)に
自然とつながっていたのです。
(※スポーツの「ゾーン」のように)

基本的に私はつねに
ぼーっとしたタイプというか、
半分こちらの世界にいるのに、
半分別な世界に行っているような
性格でした。

だから本の世界にも
自分事のように入り込んで、
何人もの人生を生きたような
気分だったのでしょう。

でもそれだけでは
「気づき」は足りず、
練習をしていたのかもしれません。
「繋がる」ことと
「繋がった状態の感覚」を。

ちなみにこの頃に影響された
インナーチャイルドは
こんな感じで癒しました


近日公開予告……
・とうとう出会ったヒプノセラピー!
・「悪魔」事件勃発!
・恋愛へのブロック外した瞬間、ヤバすぎ案件
・カラーセラピーの勉強開始! etc.

最後までご覧いただき、ありがとうございます!😊✨

続きはこちら↓


いいなと思ったら応援しよう!

さやか🌻ヒプノセラピストLila の「魔法の隠れ家」
どうぞサポートのお気持ちは、ご自分へのご褒美に使ってあげてください♡

この記事が参加している募集