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母とのことを癒す✦前編✦因果【ヒプノセラピー体験談】


先日レイキで出てきたのは
おそらく「母とのこと」。


それについて、腹をくくり、「もう何でも来い!」という気持ちで、自分ヒプノをしました。

そしたら、とても一回ではまとめきれませんでした(笑)

順番にお話していきます。

※精神的虐待が出てきます。
トラウマが強い方はご注意ください。


★インナーチャイルドから


「もっと向き合おう、何が出ても」

そう思うと、目の前に白く古い石の扉。
開けると、私は「赤ちゃん」になっていました。
そこは、母の実家。おそらく茶の間。

私は、泣いています。
不快だから、安心したかったのでした。
でも、若い母に怒鳴られます。
「うるさい!」
私はもっと泣きました。火のついたように。泣き続けます。泣くことしかできないから。
「うるさい、うるさい! やめて!」
母に悪気はないのでしょう。
でも、私はただ、安心したかっただけでした。抱きしめてほしかった。それを得られないままに、ずっと泣き続けました……。


少し成長しました。

母は常に怒っています。
「お母さん」と呼んで、「なーに?」と返事がかえってくることは、結局家を出るまで一度もありませんでした。

ある日、弟だけを連れて、母が出て行きました。
父とともに迎えに行きました。
イヤだと言われました。
弟はいいけど、私はいらないのだろうか、と思いました。

「あんたなんか生まなきゃよかった」
何度も言われました。
「こんな服も着れないの? デブ!」
何度も蔑まれました。
毎日愚痴を聞かされました。

ケガをするたびに、「なんでこんなケガばっかするの!?」と怒られました。風邪を引いても怒られ、咳をしても怒られました。私は、咳を我慢する癖がつきました。結婚して家を出てから、ふと「我慢ってしなくていいんだ」と気付きました。

友達やその親の悪口を言われました。
仲良くしてはいけないのか、と思いました。

ある日の母は、遊びに来た従妹を、苛め抜いていました。なんてひどい人なんだろうと思いましたが、私には止めることができませんでした。泣き続ける従妹が不憫で仕方なく、あれが自分の母かと思うと、苦しい気持ちになりました。

私のバイト先で、気が狂ったように怒鳴りつけられました。同僚も先輩もいる中で、大声で罵られました。恥ずかしくて、いたたまれませんでした。
「あれがあなたの親なの……? 信じられない」と言われ、困ったように「そういう人なんです」と答えました。

安心させてもらえることは、なく。
気持ちを聞いてもらえることも、なく。
結局、一度も聞いてもらえることは、ありませんでした。
いつしか、「そういうものだ」と思っていました。


この、積もりに積もった苦しさを、形にしました。
胸に、ぼわっとした丸い、黒い塊があります。
それを、体の外に出しました。

黒い塊くんの気持ちを尋ねてみました。

「安心したかった。安心させてほしかった。それだけだった」

今世の母では、難しい。
私は、「母のハイヤーセルフ」を呼び、この気持ちを伝えました。
今までの思いをすべてまとめたものを、渡しました。

母のハイヤーセルフは謝り、その気持ちを受け入れ、抱きしめてくれました。
辛い思いをたくさんさせてゴメン、と。

少し癒された私は、しかし「これだけじゃない」気がしました。
きっと、まだ、何かある。


★過去世のどこか、言葉が話せない少女


扉が出てきて、くぐると別な時代へ繋がっていました。

どこの時代でしょう。おそらく、古い時代のヨーロッパのどこか。そんなに都会ではありません。
私は少女です。保育園くらいの年でしょうか。小柄で、枝のように痩せて汚れています。

孤児の私は、大きなお屋敷に拾われ、女中見習いとなりました。お屋敷にはたくさんの使用人がいました。女中もたくさん。
女中頭は、大きくていじわるなおばさんでした。母だ、と分かりました。

私は大人しく、愛想よく、素直なたちだったので、屋敷の奥様やほかの使用人からは可愛がってもらえました。言葉の話せない私が、不憫だったのもあるのかもしれません。優しい人が多い印象でした。

しかし、女中頭はそれが気に入らなかったようです。

「こんなことも出来ないのか!」と怒鳴り、
「前にも言ったろう!」と殴り、
「親の顔が見てみたいね!」と嘲ります。

私は孤児で、親なんていませんでした。なぜこんな風に言われるのか理解できず、泣いて耐えるだけでした。

私が周りに告げ口できないせいでしょうか。いじめは徐々にエスカレートしていきます。

真冬に、汚い冷たい水の中に落とされました。いや、水をかけられたのか、落とされたのか分かりません。冷たくて信じられなくて驚いたのだけは覚えています。

声も出せないので、ずぶ濡れのまま、誰にも気づかれず物陰で震えていました。冷え切って弱って、発見されたときにはもう、手遅れでした。

私は、死にました。

女中頭はさんざん私をいじめていたのを知られていたので、すぐに疑われ、解雇されました。どれだけ否定しても、誰も取り合いません。

それでも彼女は、自分の正当性を訴え、周りのことを悪く言い続けました。反省はあまりせず、「殺すつもりなんてなかった」とだけ言い続けました。周囲へ文句を言い続ける人生だったようです。

★「私」が欲しかった言葉

少女は死んで、天へと昇りました。
「私」は思います。
なぜこの子は、こんな思いをせねばいけなかったんだろう?

会ってすぐに、私は少女を癒しました。とても清らかな子で、自分が何で虐げられたのか、分かっていませんでした。

二人で、当時の女中頭の内心を覗きにいきました。

あのおばさんは、少女が憎いというわけではありませんでした。
実は、ただ「怖かった」のです。いつもずっと恐怖していたのでした。

彼女は、人から好かれる方法を知りませんでした。仕事がとても出来るわけでも、賢いわけでもありませんでした。人望もなく、ただただ、長く勤めているというだけでした。もう年齢も年齢で、「いつ辞めさせられるだろう」と不安だったのです。辞めてからの生き方なんて、まったく知らなかったから。

そこに少女がきました。口が利けないことで不憫に思われ、可愛がられます。
「そうだ、こいつを役立たずと罵れば、自分が辞めさせられることはないだろう」と思いつきました。いらない人間を減らせば、自分はここにいられる、そう思ったのです。

そのうちに、その行為が「スッキリする」と思い込みはじめました。不安もモヤモヤも、全部ぶつけるのです。どうせ告げ口なんてされません。

そしたら、死んだのです。
そんなつもりはなかった。そんなことになるとは思いませんでした。
だから自分のせいじゃないと言いましたが、もう遅すぎました。彼女は既に、屋敷の全員に嫌われていたのです。

「親の顔が見てみたい」と女中頭は少女をバカにしました。

彼女は死んでようやく、自分のしたことの惨さを知り、反省したのです。その結果として、彼女は体験することになりました。

「自分が親となってこの子を育てたとき、どうなるか」を。


どれだけ酷い人間に育っても、もうその言葉で罵れません。親は自分だからです。「親の顔が見たい」は二度と通じません。
彼女はある意味、報いを受けたような形に見えます。

でもそれは、自分で決めたこと。
自戒と反省と、そして自分を乗り越えるために、私を娘にしたのです。


「母」が目の前にいます。


私の感情は、静かです。苦しくも悲しくもなく、それを我慢しているという感じでもありません。凪いでいました。


私はどんな娘だった?と尋ねました。

「あんたは立派だよ。私の子とは思えないくらいに、優しくて思いやりがあって、賢くて」

こんな理由で親子になって、後悔してる?と聞きました。

「あんたが娘で良かったよ。あんたを産んで良かった」

その言葉を聞いて、私の心の奥の何かが溢れました。涙とともに。

――そうか。私は、「その言葉」が欲しかったんだ。

ハッキリと分かりました。
「あんたなんか産まなきゃよかった」……何度もそう言われ、過去には殺されていて、「私はこの人にとって必要ない、迷惑な存在なんだ」と感じていたから。

「あんたを産んでよかった。あんたが私の娘でよかったよ」

ただ、それだけを求めていたのでした。
母から愛され、必要とされたかったのでした。


それに「気づいた」ので、私の奥にあった檻の、鍵が開いたのでしょう。そんな気がしました。



しかし、まだまだ続きはあります。
長くなったので、続きは次回です!


続き⇩


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