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賽の河原について、思う

いきなりですが、
つい先日、日帰りで
日光に行ってきました!

今回は、
(というか今回「も」)
私は行き先に
口出ししてなくて。
「便乗~!」
みたいな気分で
ついていきました。

ところが。

「あ、私はこのために
 来たのかもしれない」
と思うことがあったのでした。


★中禅寺湖と華厳の滝

いろは坂、
怖かった~……。
ほんっと怖かった~……。

何が怖かったかって、
私、高所恐怖症なんです。
なんでかも分かるんですが
そんなもん治るわけなくて。

いろはにほへと、
なんて数えてる気分
じゃなかったです。

夫の安全運転なのに、
ジェットコースターに
乗ってる気分で
耐えておりました(笑)
夫と子どもは
楽しかったようで何より。

そしてその頂上の
ロープウェイに乗って、
中禅寺湖を上から
眺めに行きました。

男体山と、中禅寺湖と華厳の滝


ちょっとズーム

まだ雪が残っていたんですが、
この時期の中禅寺湖って
実は一年で一番
青くて綺麗なんだそうです。
知らなかった。

華厳の滝の水量が
小学校時代の思い出と違い
めっちゃ少なくてビックリ。
時期的なものかも。

私が他の家族連れに
「写真お撮りしましょうか」
と声をかけていたら、
夫も別なご夫婦に
「お撮りしましょうか」
と声を掛けていて、
(似た者同士だなあ)と
改めて思いました(笑)

いろは坂を下って、
華厳の滝に近づきます。

水量すくな!(笑)
でもとにかく空が綺麗なうえに、鳥が崖に巣を作っていて、すごく癒されました

華厳の滝って
「自殺の名所」とか
言われてるんですよね。

でも、そんな感じが
全然しませんでした。
確かに、監視カメラは
たくさんあったけれど。

ここに来て感じたのは、
「ああ、自然ってこんなにも
浄化してくれてるんだ」
ってこと。

もしかしたら、
雪解けの時期というのも
あるのかもしれませんが、
とにかく清々しく
美しい景色でした。

写真には撮ってませんが
近くの「涅槃の滝」が
めちゃくちゃ綺麗で。
撮れば良かったなあ。


★修験道と、賽の河原

ロープウェイで
上から見て感じたのですが
ちょっとこの辺り一帯
特殊な場所。

「一般人が気軽に立ちいる所
ではないんだろうな、本当は」

と感じるような場所。
山はだいたいそうですが。

あとで説明を見ていて
「修験道の場だった」
と知り、納得しました。
そういう雰囲気でした。

その感覚を
裏付けるような光景が、
ふもとにも広がっていました。


中禅寺湖
その湖畔

何か感じません?

実は我々、
湖畔のカフェで
お昼を食べよう、と
歩いてたんです。
湖が見えた瞬間、
すぐに思いました。

「あ、賽の河原だ」
って。

なんていうんでしょう。
川ではないはずなのに、
湖をはさんで対岸が
浄土のような
気がしたんですよね。

そう思ってみていると、
畔に異物があるのに
気づきました。

見えますか?

中央、石積みがあります

そう、石積み。
きっと私たちのように
「あ、賽の河原だ」
と感じた方が、
いらっしゃったんですよね(笑)

事実、
奈良時代に
勝道上人という方が
山岳信仰の場に
ふさわしいとして、
各寺院を開いています。

さもありなん、
といった感じ。
めちゃくちゃ納得。

私は
「こんな感じかも」
と景色を眺め
風に吹かれていました。

ふとそのとき何か、
腑に落ちるものを
感じたんです。


賽の河原といえば、
子どもの積んだ石を、
鬼が崩しに来る場所。

※親より先に死んだ子どもが、そこで石を積み上げることを強要され、でも積みあがったと思うと鬼に崩される、といわれています

あれって、何故だろう?
って思ったこと
ありませんか?

「しょせん寓話でしょ」
と言ってしまえば
それまでなのですが、
寓話にも
何らかの意味が
こめられていても
おかしくないわけで。

でも、おかしくないですか?

なぜ、鬼は崩しにくるのでしょう?

鬼は、地獄の獄卒
と言われてます。
でも、
よく考えてみてください。

獄卒たちは、
「悪人を懲らしめる、
 分からせる」ために
心を鬼にして
責め苦を与えてるんです。

極悪人ならまだしも、
子どもをいじめるって
おかしくないですか?

え?
「親より先に死んだ子は
 親不孝だから、
 怒られるんだ」
ですって?

んなわけあるかい。


あら……
失礼しました、
私としたことが。
ついつい、
目次になってしまうほどの
大きな文字で
突っ込んでしまいました。
うふふ。

親より先に死んだ子が、
不忠だとか親不孝とか
そんなわけ
ありませんよねえ?
はい、ありません。

じゃあ、なぜなのか?

私は、ふと思ったんです。

これは、鬼の優しさじゃないか?って。

ちょっと語弊があります。
もっと丁寧にお話します。


子どもをたった一人で
あの世に行かせる前に、
「そこで何かに気付かせる」
ためなんじゃないか?
って思ったのです。


亡くなったとき、
かなり悟った方ですと
すぐに自分の
立ち位置に気づき、
行くべき場所へと
向かうのですが、

ときおり混乱する方も
いらっしゃるようなのです。

年端もいかないうちに
亡くなられる方は、
かなり魂の年齢が高く
悟っている方が
多いそうですが、

なかには
混乱してしまう方が
いらっしゃっても
おかしくないですよね。

だから、
賽の河原は
成長しながら待つ場所
なのではないか?
と思ったのです。


どういうことか、というと。

子「もう少しで高く積めるぞ……! やっと終わる!」
鬼「オラァァ! そうはさせるか!」
子「やめて、やめてよ! ……なんで僕はこんな目に遭うんだろう、うう……」
鬼「親が来るまで積んでろ、いいな!」
……
子「ああ、僕は、何のために産まれたのかな? 何をしたかったのかな? ……そういえば、お父さんお母さんと、何かを約束したような……。もしかしたら僕は……先に死ぬことまで、決めて生まれてきた……?」
親「○○! 待っててくれたのか!? 来たよ!」
子「お父さん! お母さん! 会いたかったよ~!!」
……
<舞台裏にて>
鬼「うう、良かったな、親御さんが来てくれてよ……。やっと一緒になれるなあ、よく頑張って、色んなことに気づいたなあ。俺もやっと嫌われ役を終われるぜ……」
鬼、鬼の仮面を取る。その仮面の下は……。

……と、これは私の妄想ではありますが。

こんな感じの意味が、
あるのではないかな、と。

もちろん鬼は、
「そうと気づかれては」ダメです。
嫌われ「役」に
徹しなければいけません。
心を鬼にして、
その子が気づくまで、
そしてタイミングが来るまで、
見守り続けているのです。

……なんてことを
感じておりました。


★東照宮で龍の腹を見る

続いては、
夫が一番行きたかった
日光東照宮。

まずは輪王寺。

立派

この「輪王寺」の
説明を読んでいて、
すごく面白いことが
分かりました。

日光山では山、神、仏が一体のものとして信仰されていた。輪王寺本堂(三仏堂)に三体の本尊(千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音)を安置するのは、このような信仰形態によるものである。

この、
もともとは一体である
ということを、
きっと開祖は
分かってらっしゃったんだなあ、と。


東照宮


陽明門

実は私、
東照宮は3回目。
1回目は小学生のとき、家族で。
2回目は夫と二人で、15年前。
そして今回。

昔に比べて、
ずいぶんと
絢爛豪華になったなあ、
という印象です。

世界遺産になったから
なのでしょうか。
それとも時期的に
改修のあとだったから
なのでしょうか。
「鳴龍」が好きなのですが
流れ作業になっていて。
(私は前のほうが好き)

五重塔

でも、昔では分からなかったことが、今では分かるようになっていました。

ああ、やっぱり
ここの方は
「皆のために」
という気持ちが
大きかったのだなあ、
ということです。

そういう気配が、
東照宮全エリアに
満ちていました。

もちろん、
自分たちの繁栄も
考えていたはずです。
でも、天下太平の
庶民が暮らしやすい世を
作ろうと思っていた、
それが感じられる場所でした。

そしてこの「場所」は、
日光という場所の
特殊なエネルギーを
集める装置になっていること。

上空を、大きな龍が
通って行ってる気がしました。

私のことをよく知る方は
わかってくださると
思うのですが、
私は雲を見て
「龍だ💖」「天使だ💕」
とはあまり言いません。
たまに言う、くらい。
「ラッキー」くらいに
留めてることが多いです。

でも、この場所は確かに、
強くて大きいエネルギーが
通ってる場所。

二荒山神社のエネルギー
(私はこっちのほうが断然好き)
と、男体山・女峰山の気も
引っ張ってきてる感じ。
ほかにもいろいろ
細かい細工が
施されてるんだろうな、
と感じました。

輪王寺といい、
東照宮といい、
昔はすごい術者が
いたものだなあ、と
感服してました。


帰りは「やしおの湯」
という温泉で、
疲れを癒しました!


3回目の日光。
改めて、
人生を何周かしたんだなあと
感じる旅となりました。
日帰り弾丸ツアーでしたが(笑)

息子も、中学生。
あと何回
一緒に出掛けられるだろう、
と思ったのが大きいです。

本当にいい旅でした。

日光、栃木界隈の皆様、
お世話になりました!!

最後までご覧いただき、ありがとうございます😊✨

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