【保存版】目にうつる全てのことはメッセージ♬
先日のメルマガの内容が
とてもとても反響大きかったので、
ブログにも載せさせていただきますね!
ときどきいただく そんな言葉に
ふと違和感を覚えたことがありました。
それが、きっかけと言えばきっかけです。
この「繋がる」を、
質問された方はきっと
「ガイドさんや高次元の存在に
アクセスできる特別な状態」
という意味で
使ってらっしゃるのだと思います。
でも、そもそも
本当のことを言うと、
「繋がって」ない人なんて、
いないんです。
すべての命は繋がっているので、
オンオフがあるわけではなく
いわば常時接続状態なんです。
もう一つ。
高次元の存在を感知し、
その言葉をしっかりと
腑に落としていらっしゃる方ほど、
「高次元の言葉」「お友達の言葉」
「家族の言葉」の間に、
線引きをしていません。
どれもこれも「受け取るもの」として
見聞きしています。
とはいえ、
こういう内容をどう話せばいいのか、
そもそも私が言うべきなのかどうか、
といろいろ考えたすえ、
「まあいいか」と思っていたんです。
ところが、そんな折に
メッセージが届きました。
「目に映るすべてはメッセージだよ」と。
それを見て、
「ああ、書くべきなんだ」と分かりました。
ちなみに、届いたメッセージは
次のようなものです。
目に映るすべてのことはメッセージです。
いえ、メッセージになり得ます。
メッセージになるか、
ならないかの違い。
それは、
心に響くように感じられるか、
「気づく」「腑に落ちる」ことが
できるか、の違いです。
気づく力があれば
メッセージには気づけるんですね。
もしかしたらそのメッセージは、
ラジオのセリフや
お店で流れてた曲や
家族の言葉や、
嫌な上司の行動や、
目に映る景色・自然
かもしれません。
気づかない方は、
見過ごすかもしれません。
でも、気づく方は
深く腑に落ちます。
「ああ、この出来事は、
私に○○と教えてくれてるんだ」
というふうに。
高次元の言葉を聞いたり、
尋ねたり、確認したり
するのはいいんだそうです。
ふだんは自分で感じたり
考えたり、試行錯誤したり、
している方にとっては
答え合わせのようなものだからです。
だから、それはいいんです。
メッセージをくれた存在は、
こう言いたいのだそうです。
「身近な人の言葉には意味ない」
と思い込んでないですか?
と。
本来、人は全員
神のような「大きな源」の一部です。
なので、常に繋がってはいるのです。
声を聴けるとか姿を見えるとか
そんなのはどうでもいいんです。
一番大事なのは、
今目の前にあることの意味に
「気づく」かどうか、なんですよね。