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珊瑚のあぶくと星の歌【第2泡】㊥

これは、セラピストLilaこと
にいださやかが、
ぷくぷくと
泡のようにつぶやく
今世の昔話です。

前回まで↓


★デザイン系専門学校へ入学

勉強そっちのけで部活に生きた
高校時代も終わりを迎え、
小学校の先生になろうか
漫画家になろうか
本気で悩んでいた、当時。
(セラピストなんて露とも思わぬ)

小学校って、経験上
すごく大事な時期だと思ったんです。
その頃に、人生や世界をどう思うか、
ほぼ決まってしまう気がしていたので。

悩みに悩んで、
父に相談しました。

すると父は
「迷うときは、楽しめるほうへ行きなさい」
と言ってくれた気がします。
(定かではないけどそんな感じ)

結局、私は専門学校へ。
弟に見下され続けましたが
これが最善の選択だったと分かるのは、
もう少し先のこと。

高校最初期に思いっきり
友人関係に失敗していた私は、
(※たぶん小中高と失敗し続けてる)
「友達はいなくていいや」のスタンスで、
周りの目も意見も気にせず、
自分本位でおりました。

ところが逆にこれが功を奏したのです。

自分を偽っていないせいか、
「そのままの私」を気に入って
仲良くしてくれる子ばかりと
友達になれました。
朝から夕方まで
毎日楽しい日が続きました。

私はこの頃、
父と出かける用事があると
いつも感謝していました。

「お父さん、私、
 学校すごく楽しいんだ。
 学校行かせてくれてありがとう」と。
「そうか、それは良かったな」と
返ってくるのが常でした。


★抱える悩みと言えない矛盾


ただ、並行して
私には悩みがありました。
父が、ずっと私を
宗教に勧誘してくるのです。
高校時代に教会へ顔を出したせいか、
強めに声をかけられることが続き、
断るのも申し訳ないような、
でもとても苦しい気持ちでいました。

私はその当時から、
「一神教は矛盾と違和感がある」
と感じていました。
今までの感覚と直感です。

そんなある日、
江原啓之さんの本を
ふと見かけて購入しました。
そこには、
私が長年感じていたことが
そのまんま書いてありました。
私は驚き、たくさん泣きました。
感じてたけど言えなかった感覚を、
「大丈夫だよ」と撫でてもらえたような
安心感で胸がいっぱいになりました。

ずっと父に否定されてきたけれど、
やっぱり真実はこうなんじゃないか!と。

以前からずっと探求していた
精神世界や見えない世界。
これは、江原さんあたりを境に、
「おどろおどろしい」ものでは
なくなっていきました。

たとえば、
「恐怖!」という血文字が
「あなたのオーラは」などに。
「霊能者」が
「スピリチュアルカウンセラー」に。

私はずっと、
後者が自然で当たり前
という感覚だったので、
この変化は嬉しいものでした。

ただ、世界の変化や
自分の知識に比例するように、
父への違和感も
どんどん大きくなっていくのでした。

★ヒプノセラピーとの出会い


同じころ、
「本当にあったこわい話」
という雑誌で、
「ヒプノトラベル」という
漫画の連載が始まりました。

「前世の記憶がある人」の話や、
実話「24人のビリーミリガン」に
深い影響を受けていた私には
とてつもなく興味深い漫画でした。

さらに、
私が夢中になったのは
そのセラピー内容でした。

前世を知るだけでなく、
生きる目的や理由
生まれた意味
今は忘れている魂の記憶
ハイヤーセルフやガイドさんとの
感動的なやりとり。

なんでこんなに感動するんだろう……?
こんなに深くて感動するセラピー、
他に知らない。
まるで、あの子ども時代の散歩で
感動したときみたいだ……。
もしかしたら、
私が生まれてきた理由も、
分かったりするのかも……!

私は思い切って、
東京へ行くことにしました。
今と違って、
ネット全盛期ではありません。
ホームページなども知りません。
連絡はなんと手紙で行いました。

本の先生は
人気が爆発しすぎているそうで、
教え子さんを勧められました。

満を持して受けた
初めてのヒプノセラピーで
出てきたのはなんと
龍だった頃」の前世。

実感はありましたが、
内容の突飛さに戸惑い、
妄想ではと疑いました。
(今より知識もなかったのです)

「これで……合ってるんでしょうか?」
不安になりつつ尋ねると
「はぁ…いいんじゃないですか~?」
というセリフ。

その受け答えに不安が残り、
「あれで良かったのかな」
と複雑な気分で帰路につきました。

★恋愛のブロックを壊したら……ひぃぃ


私は長らく、
恋愛感覚に悩んでいました。
子ども時代からあった違和感は、
成人後にハッキリ自覚するように。
それは、
「自分を好きになってはくれない」人を
好きになってしまう癖。

いつも相手がいるとか
手が届かないとか
自分を好きになっては
くれない人ばかりを
好きになってしまうのです。

真面目なせいか
恋愛も懸命になりがちで、
逆に縮こまってしまったり
態度が丸わかりになったりで
気まずくなることも。

カレシというより
人生のパートナーのような人と
出会えればいいな、と思いつつも
今のままでは無理と感じる日々でした。

ヒプノセラピーで
「ブロックをはずす」ことができる
というのを知っていたので、
「今度は別な先生から受けようかな」
とぼんやり考えていました。

同時期に知った
オーラソーマという
カラーセラピーも気に入り、
本を買って勉強していました。

するとちょうど
どちらも行っているセラピストさんが
東京にいらっしゃるのを発見し、
思い切って行ってみたのです。

このとき、
「見えない存在や天使が
本当にいるのなら
分かるように示してみろよ」
(↑今の私なら言わないセリフ 笑)
と挑む気持ちで受けたら、
選んだカラーリングが
守護天使」だった、
というオチまであります(笑)

恋愛観は、私にとって
「本質そのもの」に
深く関わっている課題だと
このときに分かりました。

というより、
家族関係へのトラウマが
影響していることは明白で、
それもハッキリわかるセラピーでした。

「あなた、男性が寄ってこないように
自分でバリア張ってるんですよ。
「来るな!」って。
可愛い服装してても、
雰囲気で分かります。
それじゃ男性は寄って来れないですよ」
と言われました。

残念ながらこのときのセラピストさんは
「こんなことも分からないんですか!?」
とキツイ言い方をする方で、
ショックを受けた私は
しょんぼり肩を落としながら
帰りの新幹線に乗るのですが……。

なんと、
この時の新幹線で事件が!

疲れてうとうとしている時、
途中の駅で
隣におじさんが座ってきました。
自由席とはいえ
平日でガラガラなので、
少し違和感がありました。
でも私はそのまま
眠ってしまいました。

「なんか押されるな……」
と感じたので目が覚めました。
足が当たって邪魔くさいな、と。
50代くらいのおじさんの
視線を感じます。
振り返ると逸らしますが、
目を瞑るとまた感じます。
妙な気配だったので
薄目をあけておくことに。

通路を誰か通りかかると離れて、
いなくなると私に近づく。
窓側の私が窓へ寄っても、
おじさんは足を広げて
私の足にぶつかってきます。

挙句の果てに、
起きない(ように見えた)私に
エスカレートしたのか、
腕を触り始めました。

これは……明らかに痴漢だな、
どうするかな、と考えました。
騒ぐのは悪手だし、
睨んで逆上させたら面倒だし。
前の席も男性だから、
トントンってして助けてもらうか?
う~ん……。

とりあえず、
悩んだあげく
しっかりと起きて
携帯をいじることにしました。

すると
「あっ……起きましたか?
 ずいぶん寝てたので、
 寝過ごさないかな~と心配で!
 どちらまでですか?」
などと慌てた様子。
「はぁ」と適当に答えると、
挙動不審なおじさんは
「ぼ、僕ここなので!」と
長岡駅でいなくなりました。
(事実かは知らない)

とてつもなく気持ち悪い経験でしたが、
私は同時に考えていました。
これって……ブロック外れた証拠が
 目に見えて現れたんじゃないの?
」と。

そしてそれは思い過ごしではなく、
その後しっかりカタチをもって
私の人生に現れるのでした。

休憩して可愛いニャンコをどうぞ

★「悪魔の子」事件


東京でのカラーセラピーにも
はっきり表れていた
家族(両親)のトラウマ。
それが実体を持ったのは
新潟に帰った直後の冬でした。

2つめの★でも書いていた
父への違和感が大きくなっていた私は、
あるとき思い立って
父に手紙を書きました。
詳しくは忘れましたが、
要約するとこんな感じ。

「私は万物にエネルギーというか、
 八百万の神のようなものが
 宿っている気がする。
 もちろん「神」はあるけど、
 特定の神様だと思わない。
 これは論理的でなく感覚だから、
 説明するのは難しい。
 
 ただこれは私の考えだから、
 お父さんが信じているのを
 否定する気もないし、
 自由に好きにしてほしい。
 でも私はそう思っているから、
 もう勧誘しないでほしい」

ところが、これを渡したことを
私はすぐに後悔するハメになったのです。


数日後、
父がいきなり私の部屋に
踏み込んできました。
「これは何なんだ」と。
「オレをバカにしているのか」と。

私は馬鹿にしてなどいないし、
でも自分にはお父さんのように
思えないだけで、
それを分かってほしいと言いました。

すると父は
私の本棚の隅で埃をかぶっていた
聖書を引っ張り出して投げつけ、
「読みもしないで何がわかる!」
と怒鳴るのです。
(ふだん部屋に立ち入らない父が
聖書を置いてた場所を知ってるという
ストーカー染みた恐怖を感じました)

話は平行線で、とうとう父は
「お前は悪魔だ!
 お前の中に悪魔がいる!
 悪魔よ、出ていけ!」

泣きながら怒鳴ったのです。

私は、あまりのショックに
放心しました。
ここまで歩み寄れないとは
思ってもみなかったのです。
「親」だから、
多少は認めてくれるはず、
と思っていた甘い自分を
恨めしく感じました。

父はその後、まったく
口を利いてくれなくなりました。
用事があって
声をかけても無視されます。

でも、どれだけ考えても、
私は自分の感覚に
もう嘘を吐けませんでした。
謝る気も訂正する気も
起こりませんでした。

ほかの家族が気づいたか分かりませんが
多少は不思議だったかもしれません。
わりと仲の良かった私と父が、
一夜にして険悪になったので。
(一方的に父が私を避けていた)

家を出るのも考えましたが、
薄給だったので
すぐに引っ越し費用を捻出できず、
「お金たまるまで」と
麻痺したように過ごしました。

そう、「麻痺」が一番しっくりきます。

それから何年ものち。
妹には話すことができるようになり、
(当時の手紙を今も父が持っており偶然見たので)母も知った、
という変化はありましたが、
おそらく弟は知りません。
そしてその件を、
私と父が語ることは、もう二度とないでしょう。

もともと家が苦手で
帰宅拒否症のような私ですが
さらに輪をかけたように
帰りが遅くなりました。
とはいえ
遊び相手もいない真面目っ子なうえ
田舎だったので行ける場所もなく、
もっぱら本屋に行ったり
車で星を眺めたり、
そんなもんでした。

老いてきた愛犬の散歩だけが、
私を実家に繋ぎとめる
たった一つの気がかりでした。

シェルティーでした。私に一番懐いてた。

ヒプノセラピーで
父との関係性を見つめた話はこちら

ちなみに、
あんまり触れていませんが、
母も相当な人です。
トラウマ製造機みたい(笑)
……が、最近ではかなり
受け入れられてきました。
間違いなく、以前と変わってきています。

そんな母に関するヒプノセラピーはこちら


★「久しぶり」の真実

大晦日の食事中も、
父は私を無視し続けました。
年始になっても
心は晴れないまま。

そんな感じで
鬱々と過ごしていた正月休みに、
元同級生でもあり
共通の知人のいる友達①(女性)から
連絡がありました。
「これからカラオケ行くけど、来ない?」

相当なカラオケ好きの私。
家にいたくなかったのもあり
二つ返事で向かいました。

でも、そこで待っていたのは
友達①②だけではなかったのです。
知らない人がいます。
しかももう一人増える……だと?

私は強烈な人見知りだったのです。
心の中は「帰りたい」でいっぱい。
でも、せっかくの友達の誘いだし…(モンモン)

結局、小心者ゆえ我慢してそのまま
友達②(男性)の車に乗りました。
後部座席にいたその見知らぬ人に
「こんばんは」と一応挨拶。
(友達の友達だもんね、と)
するとその知らん人が朗らかに
返事しました。

「あーこんばんは! 久しぶり~!」


「……?????」

初めて会った……よね? の顔

運転席の②が
「お前、初めてだろ。ナンパか?」
と突っ込んでくれたので
はっと我に返った私。
顔はひきつっていたことでしょう。

心の声
(だだだだよね?初めてだよね!?
 顔覚えるの苦手だから
 もしかしてどっかで
 会ったことあるのかと思った!
 ていうかコワッ!
 もしや、そう見えないけどチャラ男?)

知らん人「あ~そうだっけ? ごめんごめん😊」
私「……!?!?!?(ノリ軽ッ)」

そのとき、瞬時に
私のバリア(人見知り)が
発動しました。
印象最悪です。
この人含めてお出かけするの
めちゃくちゃ気が重いな、
とダルーイ気持ちになりました。

に、苦手だ~と思った
(もともと男性恐怖症もあり)

さて
皆さんお察しかと思い、
早めにネタバレですが、
この「知らん人」は
にいだ君といいます。
つまり、今の夫。
実は出会いの印象は
最悪だったのです(笑)

後日、
なんやかんや奇跡が連発して
(奇跡的なことばかり起こった)
付き合うことになったのですが、
まあそのへんは端折ります。

しかし、ずいぶん経ってから
初対面のことを尋ねると
夫はこう言ったのです。

あれね。
おれ、本当に「久しぶり」
って思ったんだよね。
なんか知ってる気がして、
「おー、久しぶり~」って
つい言ってた。
でも「お前初めてだろ」って言われて、
「あ、そういやそうか~」って。
不思議だよね~。

つまり、ふざけたわけでも
チャラかったわけでもなく、
真面目に言ってたらしいのです。
今思えば、
これも奇跡なのかもしれません。
(ちなみに夫はチャラ男ではなく
けっこう真面目で仕事熱心でした 笑)

そこから私は、
自己肯定感の低さを
まざまざと思い知り、
どうにかしていくターンに
入っていくのですが、
これもくどいので割愛。

今思うと、
カラー&ヒプノ後からの
変化が怒涛すぎる(笑)

★結婚~カラーセラピーを学ぶ

高校時代から
ずっと書き続けていた
負の遺産のようなブログ。
今でいう「黒歴史」ですが、
夫はそれを全部読んだうえで
私を好きになってくれたので、
そこでようやく心を開きました(遅)。
(文を読むのが苦痛な人なので、
相当苦労したはず)

その頃、愛犬ポポが亡くなり
もう私を実家に縛るものは
なくなりました。

実家がアレだったので
私は成人前には
「子どもは産むまい。
 必ず不幸にしてしまう。
 それを理解してくれる人なら
 結婚できるかな」
と決めていました。
それも理解してもらったうえで
結婚に踏み切ったのですが、
最初の難関は夫の実家での同居。

無理だよ、無理無理。
だって実家でも気遣って
死にかけたんだよ?
(ヾノ・∀・`)ムリムリ

と私が抵抗した通り、
最初は苦しみました。

義母はお嫁さんではなく
その家の一人娘で、
ずっと「ウチのルールはこれ」
と合わせるよう求めるタイプ。
私は「自分時間」がないと
充電切れになるタイプ。

深夜に寝て5時半に起き
毎日残業する生活に
ヘトヘトになり、
私って「家」と結婚したんだっけ?
とぼんやりするように。
平日も休日もすべて
細かなルールに縛られて
息ができない感じになりました。

でもどんなに辛くても
実家よりずっとマシでした。
眠れない夜には玄関から
よく空を見上げてました。
私が安心して帰れる場所って、どこにもないんだなあ
と思いつつ。


動物好きな私のために、夫が勧めてくれたのはウサギ。ひざ乗りになったが気が強かった(笑)

ところで
結婚してからも
私はカラーセラピーの
独学を続けていました。

当時、GREEという
ゲーム系SNSの中で、
私はゲームはせずに
ブログを書いていました。

かなりの年数、
毎日投稿だったんですよ。
すごくないですか!?(笑)

カラーセラピーについての
ブログでしたが、
内容は今みたいな感じ。
色の意味や神話、星の話、
自分の考えなどを書いたり
無料でカラーセラピーしたり。

そうなんです。
「プロになるため練習させてください」
と称してブログで募集して、
知り合った方々の
カラーセラピーを
たくさんしていました。
かなり好評で、
順番待ち状態でした。

そんな感じの私を
はたから見ていて、
夫はある日
こんなことを言いました。

「プロの話し方をしてる。
 本気なんだね」

スピリチュアルやら
見えない世界やらを
ハナから信じていない夫が、
私の味方になった瞬間でした。

そこから、堂々と
カラーセラピー講座に
行けることになりました。
フルタイムで仕事しているうえ
とついだ嫁の立場なので、
月に2回、休みの日だけ。

それを3か月。
そんなふうにして
私のカラー勉強は始まりました。

近日公開予告……
・カラーの勉強をはじめた矢先
・これまでの全てが溢れ出す10ヶ月
・東日本大震災
・ふたたびヒプノセラピー
・子どもが救ってくれた日 etc.

最後までご覧いただき、ありがとうございます!😊✨

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さやか🌻ヒプノセラピストLila の「魔法の隠れ家」
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