
思考を奪う言葉、引き出す言葉
最近、〇〇砲という言葉をよく耳にします。そして、私がかつて推していた世界のいくつかが、砲弾を浴びました。
その真偽はさておき、長いこと言葉を扱ってきた人間として、少し想うことを書いてみたいと思います。
私は、言葉には2種類あると思っています。
人から言葉を奪う言葉
人から言葉を引き出す言葉
少々、なぞなぞめいていますかね。
そもそも、言葉とはなんでしょうか?
私は、情報を伝え、自身の思考や想いを表明するツールだと、自分なりに定義しています。
情報、思考や想いといったカタチのないものを、文字や音声といったカタチにする道具です。
そして、冒頭の〇〇砲といったもので連ねられている言葉は、人から言葉を奪う言葉だと感じています。
真偽が定かでないモノを、センセーショナルな言葉を畳みかけることで、人々の思考や感情を麻痺させる。
麻痺した人々の発するモノは、もはや言葉ではないと私は考えています。
言葉に見せかけた、得体のしれない記号です。
そしてここ最近、この得体のしれない記号が増殖し、その空気感が人を裁くようになりました。
法という中立とされている言葉(これについては、また別の議論がありますが)で人が裁かれるのではなく・・・。
不気味さを感じているのは、私だけでしょうか。
一方で、人から言葉を引き出す言葉。
最近、こんなことがありました。
ある人の行為に対して、異議申し立てのクレームの言葉を発した人がいました。
それを受けて、行為の主が考えや想いの言葉を表明し、さらにクレーム主がそれに対して返答の言葉を発する。
さらに、そのやり取りを見ていた人々が、それぞれに自分の考えや想いを言葉で伝える。
それぞれの言葉に筋が通っていて、健全だと思いました。
行為の主とクレーム主、平行線のままなのか、歩み寄りのポイントが見つかるのかはわかりません。
けれど、それは問題ではない。
個人によって、主義や思想、志向が異なるのは当然のことです。
たとえ相容れないとしても、健全な言葉のやり取りが行える場があるということ。ここが肝心だと思うのです。
noteを始めてから1週間ほど経った頃。
りらの花という名前の後に、ことばヒーラーという名称を勝手に創って、こっそり足しました。
noteでの人格の表明です。
ヒーラーとは、癒す人の意。そして、癒す・癒しという言葉は、やすらぎを与えることや、痛みをやわらげるという意味合いでよく用いられます。
それに加えて、癒す・癒しには
人間のもともとある良いバランスに戻すこと
という捉え方もあります。
ことばヒーラーとして目指すのは、まさにこの、よいバランス。ポジティブに偏るのでもなければ、ネガティブに陥ることもない。
こちらの記事でも触れましたが
陰陽のバランス。ことばによってそのバランスをとる。それが、ことばヒーラーに込めた私の思考と想いです。
なにか、ピンとくるところがあったら、フォローやスキをいただけると、りらの花もほころびます。コメントもお気軽にどうぞ!✿ 今日も、ごきげんよう✿