【田端信太郎さんVoicy文字起こし】「電気グルーヴについて語る!」(2)
皆さんこんにちは。Likutoです。
引き続き田端さんのVoicyの文字起こしです。
電気グルーヴ回、後半は大学に入ってからの田端さんのことについても語られています。
実はDJとしても活動されていた田端さん。面白い話がこちらでもされています。
※元のVoicyはこちら→https://voicy.jp/channel/622/23678
[目次]
1. 今晩のテーマは電気グルーヴ!
2. 深夜ラジオの教祖としての電気グルーヴ
3. 90年代半ばの電気グルーヴからのテクノどハマり。
4. この放送は、1時間1000円〜初期費用無料、スマホで評判の良いシッターがすぐ呼べる「キッズライン 」の提供でお届けします【田端割あり】クーポンコード:tabata
3. 90年代半ばの電気グルーヴからのテクノどハマり。
はい、そういうわけで今日は私の電気グルーヴ愛について語ってるんですけど。
大学受験に合格して、慶応の経済には受かったんすけど、東大の法学部には落ちて。
3月下旬ぐらいから部屋を借りに、契約をしにいろいろ東京にいたわけです。
で、これまでいろいろリスナー参加のイベントから行きたかったのに行けないなって思ってたんですけど、そうこうしているうちに僕も東京暮らしになるみたいなところで。
またこれで直接1242ニッポン放送の電波が簡単に届くところへ来たと思って、ラジオを3月下旬ぐらい聞いてたら、
電気グルーヴのオールナイトニッポン3月末で終わりまーす、みたいな。
マジかー! みたいな。
そういうことが起こりまして。
それでマジか、と。これは行くしかないと思って。
僕は当時慶応だったんで、日吉の近くにある武蔵小杉に部屋を借りようとしてたんですけど、チャリンコで、武蔵小杉から有楽町のニッポン放送をもう、ハンドルにですねラジオを引っ掛けて、ラジオ聞きながら、キコキコキコキコ自転車を漕いでいくわけです。
最終回の放送を3時過ぎぐらいに2人出てきただけでも、有楽町に着いたらみんな200人ぐらいかな? リスナーが集まってて、出てくる車を取り囲んでバンバンバンバン叩いたりしてたんですね(笑)。面白かったね、あれ。
まあ3時半か4時ぐらいに、しょうがねえかなぁと思って帰って、6時ぐらいに、また借りたばかりの部屋に帰るみたいなことがあったりもしたわけです。
1994年の3月ですかね。
1994年の3月って、すごいね、テクノ好きな人にわかるんですけどセカンド・サマー・オブ・ラブのピークの頃で、いっぱいいい感じのアーティストが来日してたんですよ。
まずゴールデンウィークの頃に、O-EastかWestか忘れたけど、オービタル。
俺も当日券絶対欲しくて昼ぐらいから並んでたよ。
あと、LIQUIDROOMこけら落とし。LIQUIDROOMって今でも恵比寿にあるんだっけ?
LIQUIDROOM新宿のこけら落とし公演のアンダーワールド。
これ最高、ほんと最高。
そこら辺からいい感じのクラブイベントみたいのLIQUIDROOMにいっぱいあって、CLUB VENUSでしょ、久保憲司さん主催の。DJ HIRATA TOMOさんとか。結構テクノになんだかんだハマってほぼ毎週通ってましたね。あと当時は西麻布のYELLOW、南青山のManiac Loveとか。いやー、いい時代だった。本当に楽しかったね、青春の思い出って感じ。
そうこうしてハマってるうちに自分もターンテーブルを買い、色々ミックスするようになり、みたいな。
当時techno-headsっていう、インターネットのメーリングリストがあって、
94年の秋かな?
秋葉原にモデムを買いに行って初めてインターネット触れるっていうところがあったんですけど。
そこら辺から、インターネットの活動も始め。
そうこうしてるうちに、Q'HEYさんっていうDJ、今でも活動されてるんですけど、DJの前座みたいな感じでAutomatixっていう、当時新宿の花園神社の近くに確かあったクラブで、前座DJみたいなのを(やりました)。
クラブって夜遅くまでやってんじゃん、大体。
夜の9時ぐらいから2時間ぐらいやるのがだいたい前座なんですよ。どうでもいいようなね、ほんと。幕下みたいな、相撲でいうとそんな感じですけど。
それを、デモテープを送ってやらせてもらうようになったりとかね、そういうことがありましたね。
懐かしいなあ、本当。今でも俺サラリーマンとかどうでもいい、たまにDJになりてぇなみたいな。
最近のEDMのDJはすごいよね。
年収30億円とかすごいよね、俺もなりたいわ(笑)。そういうふうに思ったりもするんすよ、本当。
最近のPCDJの機材見るとビビるよね。俺みたいにアナログのヴァイナル盤でしかDJしてなかった人間としては、本当。
ピッチも自動で合うしさ、超ループも自動で組めるし、何なのこれ? みたいな。卑怯じゃん! みたいな思うんだけど、別にそれは全然悪くないです。
クソ重いレコードも運ばなくていいし、みたいな感じで。
やったらいいじゃないですか、最近の若者は。
って言いながらやっぱ、当時は良かったねぇ、本当。
あと、RAINBOW2000っていうフェスもあったな、俺行ったな。
あと始まったばっかりのFUJI ROCKとか。
FUJI ROCKの1回目とか超ひどかったんだよね。台風直撃して2日目か3日目が中止になったんだっけ?もうよく覚えてないけど(笑)。
2回目が、今は笑うけど豊洲でやったんだよね。
新豊洲のあたりのグランドがグチャグチャになりながら。豊洲駅がグチャグチャのドロドロになってたのを覚えてます。
そういうフェス文化も黎明期、DJカルチャーもまだまだ浸透してないみたいな頃を乗り越えて、今があるわけですよね。
そんな中で何だかんだいいながら25年以上やってる電気グルーヴってすごいなと思います。
瀧と卓球がコアメンバーで、そこに砂原良徳さんとかいろいろ絡むわけですけど。砂原さん僕すごい好きですよ。
好きなんだけど、瀧と卓球の静岡つながりの、おっさんになったけど高校の悪友同士みたいな。
「土、食え!」って(卓球さんが)言ってた何君だっけ?(笑)※
そういうこと言ってた悪友同士みたいなのがやっぱ最強だなと思って。
結局散々思うんだけど、中田ヤスタカと石野卓球の差はモテるかモテないかなんだけど、モテない奴なりの怨念がクリエイティビティに昇華したっていうのが石野卓球さんじゃないのかなと。
最近、砂原良徳さんの「LOVEBEAT」っていうのも、結局そんな電気グルーヴ的なお笑いの要素を脇に置いた素晴らしいアルバムだけど、2年ぐらい前の2016年に言ってんだけど、石野卓球の「Lunatique」って。これもね、すごいんですよ。
石野卓球さんのお笑い要素を全部脇において 、ミュージシャンとしての石野卓球を極めるとこうなる。
シンセ野郎だなあミュージシャンって。本当あれはすごい。
DJやってるときの石野卓球さんはそんなふざけた曲書けないですけど、電気グルーヴとかいると常に照れ隠しみたいにね、そういう歌詞とか曲ばっかりでちょっとフレーバーが常にあるんですよね。
だけど、「Lunatique」っていうアルバムはマジでミュージシャンとしての石野卓球さんが、初めてかな? わかんないけど、本当の照れ隠しなしで普通にミュージシャンやったみたいな感じになっててすげー良かったと思います。
※「野沢君」という方と思われる。詳細不明。
4. この放送は、1時間1000円〜初期費用無料、スマホで評判の良いシッターがすぐ呼べる「キッズライン」の提供でお届けします【田端割あり】クーポンコード:tabata
はい、そんなわけで、今回は電気グルーヴについていろいろ語りましたけど、やっぱり僕にとって電気グルーヴは永遠のヒーローです、本当。
高校生からの大好きなバンドで、バントっつーかユニットで、ユニットつーか、なんだろうね(笑)。
本当にね、ヒーローなんですよ。瀧さん卓球さん、2人ヒーローなんですよ。高城剛もヒーローなんだけど。
そんな、ほんと2人、二十数年経ってもやっぱり2人かっこいいね。
やっぱりなんだかんだいって継続って、長く続けるって大事だなって思います。
METAFIVEとか入ってるごちゃごちゃ言ってる連中より瀧と卓球の方がかっこいいもんね、ホント。
笑われようが何しようが続けないと駄目だね、25年でも30年でも、ホント。
炎上をしようが何しようが淡々と、面の皮厚く自分のやりたいことを貫くって。
それが正しいよね。
この放送は1時間1,000円〜初期費用無料、スマホで評判の良いシッターがすぐ呼べる、デリヘルじゃないですよ、「キッズライン」の提供でお届けします。
【田端割あり】クーポンコード:tabataで5,000円プレゼント頂けるそうです!
いやー、経沢さん超太っ腹ですよね、本当。
男の中の男、女の中の女過ぎますよね。
そんなわけで電気グルーヴについて語った今日どうだったでしょうか?
本当、僕75年に生まれて何が良かったかって、インターネットと最初の電気グルーヴのピーク(が)18歳で来て、ってこんな幸せなことなかったですよ。いまだにそう思います。
それではCiao!