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大好きなじいちゃん。(後編)

<<前回の続き>>

ある夜、夕飯を食べ終わり、みんなでテレビを見ていた時のこと。

居間のテレビの前には小さな木製の古びたテーブルがあり、そのテーブルを囲むようにみんなで座った。

その日は日曜日で珍しく家族みんなが揃った。

そんなどこにでもある一家団らんがうちでは珍しく、僕にはとても嬉しかった。

しかし、その時。

テーブルの上に置いた僕の手に突然、激痛が走った。

激痛というのか、いわゆる猛烈な熱さ。

あまりの痛さに泣き叫ぶ僕。突然の僕の行動に慌てふためく母とばあちゃん。

「どげんしたとね!」

僕の手を握り2人は右手の甲を凝視した。

右手の甲の端が丸く、そして真っ赤にただれてた。

火傷だ。

そう、じいちゃんは、あろうことか、僕の手を灰皿と間違えて、タバコの火を消したのだ。

母に抱えられ台所の水で冷やされる僕。

それを見て、ばあちゃんは叫ぶ。

「なんしよるね、あんた!さっさとアロエばとってこんな!」

じいちゃんは何が起こったか理解できていないようだったが、言われるがまま庭のアロエを持ってきた。

その日はバケツをひっくり返したような大雨で、庭から戻ったじいちゃんはびしょ濡れだった。

ようやく何をしてしまったのか理解したじいちゃんは「痛いよー、痛いよー。」と泣き続ける僕の元へゆっくり近づいてきた。

そして、膝をつき、僕を抱きしめ、「ごめんな。だいすけ、ごめんな。」と何度も何度も謝った。

じいちゃんは泣いていた。

僕はうつむいたまま、何も言えなかった。

手の痛みよりも、大好きなじいちゃんが母やばあちゃんに大声で怒られていること、そしてじいちゃんが泣いていることが辛かった。

「じいちゃんは悪くない!そげんじいちゃんば怒らんで!」

そう言いたかった。叫びたかった。
でも、幼い僕はただ黙るしかできなかった。

その時のことを、今でも後悔している。

それからというもの、ばあちゃんもじいちゃんがアルツハイマーが進行していく姿を見ることが辛かったのだろう。

その感情をうまく消化できずに、じいちゃんに対してのあたりは、日を増すごとに強くなった。

そして、じいちゃんは少しずつ自分の部屋にこもりがちになっていった。

じいちゃんと僕が話題の中心にいた僕らの家はそれ以降、少しずつ会話も減っていった。

唯一、家族の中でアルツハイマーというものの深刻さを理解していない僕だけが、毎日「じいちゃん、遊びに行こう!」としつこく誘った。

少しずつ身体も弱ってしまったじいちゃんはいつしか自転車に乗れなくなった。大好きな座布団号での冒険はもうできない。

それでも、僕とじいちゃんは毎日散歩に出かけた。「ボケてしまった」と家で言われるじいちゃんだが、道に咲く花の名前は知ってたし、虫も捕まえてくれた。

ただ、何度も通った馴染みの道をじいちゃんは少しずつ忘れていった。

じいちゃんとよく行った「カエル池」と2人で名付けた、ため池の帰りにじいちゃんは立ち止まり、「あら、家はどっちやったかね。」と言った。

その時くらいからだろうか。

いつも僕の手を引いてくれたじいちゃんの手を、僕が引いて歩くようになった。

少し前は「だいちゃん、いつもおじいちゃんにお散歩連れて行ってもらっていいねー。」と声をかけてくれた近所のおばちゃんは「だいちゃん、いつもおじいちゃんについて行ってあげてえらいねー。」と言うようになった。

帰り道を間違えるじいちゃん。
たばこやさんでお金を払わず出ようとするじいちゃん。
全然違う人の家に入っていこうとするじいちゃん。

そんなじいちゃんだったけど、僕は毎日の散歩が楽しくて仕方なかった。

ただ、ある時。じいちゃんはトイレで立てなくなった。

それだけ、筋力も体力も衰えていたんだと思う。ほとんどの時間を部屋で過ごし、トイレに行く時は、ばあちゃんか姉ちゃんが支えて連れて行った。

そして、僕と散歩に行くこともなくなった。

ほぼ寝たきりに近い状態。もうじいちゃんに残された時間はわずかだった。

冬のある日。
僕は保育園から帰るや否や、猛烈にダダをこねたことがあった。

クリスマスだ。

友達みんなは「最新のゲームをサンタにもらうんだ」とか「俺は新しい自転車をもらう」とか一様に自慢していた。

我が家にはサンタクロースが一度も来たことがない。

「僕が悪い子だから来ないのか?」とばあちゃんに聞くと「そうじゃない。うちは日蓮宗だからサンタは来んと!」と一蹴された。

そんな理由では納得できるはずもなく「ラジコンが欲しい!サンタさんからラジコンをもらう!」と泣き叫んだ。

ばあちゃんはさぞかし困ったことだろう。うちにそんなお金はないのに。

その時、廊下のガラス戸がスーと開いた。じいちゃんだった。ヨタヨタとしながら居間に入ってきた。

手には湯飲みを持っている。

「あら、お茶ね。今入れます。」

ばあちゃんは手早く台所へ走った。

じいちゃんは椅子にゆっくり腰掛け、今にも消えそうな声でこう言った。

「だいすけ、なにを泣きよるんか?ほら、こっちおいで。」

僕はじいちゃんの膝の上に座り、うちにはサンタクロース来ないという文句、どうしても船のラジコンが欲しいという要望をぶちまけた。

うんうん、と優しくうなずくじいちゃん。
じいちゃんだけが僕の味方だった。

すると、じいちゃんは思い立ったように
「ばあちゃん、工具箱はどこあったかね?」と言った。

「もう使わんけん、2階に片したよ。」
お茶を入れながらばあちゃんは答えた。

その答えを聞くとじいちゃんはゆっくり立ち上がった。

そろりそろりと居間を出て行く。
階段を上がる音がした。ギシリギシリと音が響く。

僕は心配になってじいちゃんの後をおった。

真っ暗な2階の裸電球をつけると、使わない荷物や段ボールがたくさんあった。

その端から、古びた大きな鉄の箱を見つけ
「あった、あった」と嬉しそうに言った。

じいちゃんでは到底運べそうにない大きな箱。

「僕が運ぶけん、下に降りとって。」と言った。

僕はその箱を持ち上げることができず、引きずるように運んだ。

「だいすけ、その箱を庭裏に持って行ってくれんか?」

そう言われたので、めんどくさいなーと思いながら、どうにか外まで運んだ。

「ありがとう。」そう言ってじいちゃんはヨタヨタと草履を履き、外に出て行った。

居間に戻るとばあちゃんが「あら、じいちゃんは?」と聞いたので、外にいると答えた。

なにかまたばあちゃんが怒り出すかとヒヤヒヤしていたら、意外にも「あら、今日は調子良いみたいやね。」と言った。

それから2〜3時間経ったころ、「ご飯だからじいちゃんば呼んできて。」と頼まれた。

6時のアニメを楽しみにしていた僕は「今始まるとこなのに!」とふてくされながらじいちゃんを呼びに言った。

庭を抜けて、敷地の隅っこにある2m四方ほどの狭い場所にじいちゃんはいた。

なにをしてるのかと目を凝らすと、頭にヘッドライトをつけ、何やら黙々と作業をしていた。

じいちゃんは裏庭に生えていた木を切り落とし、その切り落とした木にカンナをかけていた。

シャー、シャーとじいちゃんが手を動かすたびに、薄く削られた木片がカンナの隙間から勢いよく飛び出した。

傍には綺麗に四角形に整えられたいくつかの木材が几帳面に重ねられていた。

歩くのさえままならないじいちゃんが、それはそれは見事な手つきで木を削る姿に僕は驚いた。

そして、その目つきはいつもの優しいおじいちゃんの目ではなく、キリッとした棟梁の目に戻っていた。

初めて見るそんなじいちゃんの鋭い眼差しを少し怖いと感じてしまうほどだった。

僕は恐る恐る声をかけた。
「じいちゃん、もうご飯げな。」

じいちゃんは急に我に返ったように「あぁ、もうそんな時間か。」と道具を置いた。

その日は、普通通り夕食を囲み、眠りについた。

そして次の日。

保育園から戻ると、ノソノソと奥からじいちゃんが居間へやってきた。

じいちゃんはなんとも立派な木製の船のおもちゃを手にしていた。

「だいすけ、船おもちゃ作ってみたぞ。どげんか?」

大きさ約15cmほどのその船は3階層になっていて、1番上には立派な煙突が立っていた。2回層目には細かい窓が彫ってあり、とてもリアルだ。

そして、ビスや釘がひとつも見当たらない。どうやって木と木を止めているのか不思議に思った時、じいちゃんは「ちょっと貸してごらん。」と言った。

なんとその船は大工の技術でそれぞれのパーツが凸と凹になっていて、全てバラバラになる作りだった。

じいちゃんは器用にそのパーツを一つずつ外し、全てバラバラにしてみせた。

そして、僕の手を取り、また一つ一つパーツをはめ込んでいき、見事にその船を完成させた。 

手触りもサラサラしていて、角は少しだけ丸みを帯びていた。今だからわかるが、僕が手を切ったりしないよう、一つ一つ丁寧にヤスリをかけてくれたのだろう。

僕は驚いた。
こんなすごいおもちゃを見たことがなかった。

友達のどんなおもちゃよりカッコ良かったし、立派だった。

「じいちゃん、すごい!これ、すごい!」と僕は叫んだ。そして、じいちゃんに思いっきり抱きついた。

しかし、じいちゃんはこう言った。
「だいすけ、まだこれは完成しとらんぞ。だいすけが持っとるゴム付きのプロペラ飛行機ば持ってこんね。」

僕は子供部屋へ走った。

もう遊ばなくなったプロペラ機のおもちゃをじいちゃんに手渡した。

「これ、もう遊ばんか?バラしてよかか?」

「うん、遊ばん。」

そして、じいちゃんはプロペラ機からゴムとプロペラの部分を取り外した。

そして、船そこにある小さな突起にゴムを引っ掛け、プロペラ部分を船尾に固定した。

プロペラを巻いていくと、グルグルとゴムが締まっていく。

「よし、おいで。」

じいちゃんはその船を持ち、ゆっくりと立ち上がろうとした。僕はじいちゃんを腕を握り、転ばないように精一杯支えた。

どこに行くのかと思ったら、じいちゃんは風呂場へ向かった。

そして、溜まったままの残り湯にその船を浮かせた。

「よう見とけよ。」

じいちゃんがプロペラから右手を離した途端、プロペラは勢い良く回転し、船はまっすぐ前に進んだ。

小さな波を船首を上げて、超えていく様はまるで本物の船のようだった。

「すごーい!船だ!本物の船だ!」

もう僕は大騒ぎだった。

じいちゃんにやり方を教わり、何度も試し運転をした。最初はプロペラが水に付かない位置で手を離してしまい、プロペラだけが空を切った。でも、慣れてくるとうまくできるようになった。

あまりの嬉しさにすぐさまお風呂を沸かしてもらい、早速風呂に入った。

じいちゃんは洗面所の丸椅子に座り、僕がその船で遊ぶ姿を笑顔でずっと見ていた。

最高のプレゼントだった。
もうラジコンなんていらない。
そう思った。

世界で1番のサンタクロースは僕のじいちゃんだった。

その夜、相変わらずというか、なんというか。

裏庭の木を勝手に切り倒したのが、ばあちゃんにバレて、「借家の木を切るやつがおるかー!」とじいちゃんはまたこっぴどく怒られていた。

そんな最高のクリスマスから数日。

ある朝、救急車のけたたましいサイレン音で目が覚めた。

眠い目を擦りながら子ども部屋から出ると、知らない白い服を着た人たちが、何人かドタドタと入ってきた。

じいちゃんの部屋に入ったその人たちは、何かわからないが、大声でじいちゃんに声をかけていた。

そして、じいちゃんをストレッチャーに乗せて運び出し、あっという間に救急車に乗せた。ばあちゃんは見たことないくらいの慌てようで、何度も「じいちゃん!じいちゃん!」と繰り返した。

母は、慌てるばあちゃんに何か伝えた後、走って救急車に乗り込んだ。

サイレンの音が再び鳴り響く。
そして、その音は次第に小さく、遠くなっていった。

玄関で立ち尽くす姉と僕。
姉が泣いているのを見て、なぜか僕も急に怖くなり、わんわん泣いた。

それからじいちゃんは2駅先の聖マリアという大きな病院に緊急入院した。

どのくらい入院していたのかは定かでないが、2日に一回、僕はばあちゃんと電車に乗って、お見舞いに出かけた。

その頃のじいちゃんは意識は辛うじてあるものの、もう起き上がることさえできないそんな状態だった。

アルツハイマーも同時に進行し、僕の叔母(母の妹)がお見舞いに行った時、その叔母のことも孫(僕のいとこ)のことも全く覚えてなかったと聞いた。

でも、僕が行く度、じいちゃんは「だいすけ」と絞り出したような声で言った。手を握ると弱い力で握り返してくれた。

一重の細い目は笑っていた。

そして、じいちゃんはある日の夜中。
ばあちゃんと母に看取られながら、苦しむことなく、眠るように天国へと旅立った。

76歳だった。

その日からもう30年以上。
僕はじいちゃん、そしてその数年後に天国へと旅立ったばあちゃんを忘れた時はない。

右手に残ったまん丸な火傷の跡。今でもこれを見れば、自然とあの日のことを思い出す。

今では世界中のどんなタトゥーよりもクールだと思っている。

そして、野球の大切試合、高校受験、仕事での大きなプレゼン。

お願い事は神様ではなく、いつも「じいちゃん!ばあちゃん!力ば貸して!」と祈った。

特に、子どもが生きるか死ぬかの状態で生まれてきた時、手術室の前で「じいちゃん、ばあちゃんお願いします。どうか妻と子どもたちを守って下さい。」と何度も何度も祈りを繰り返した。

今もそう。
バリ島の噴火で大量のキャンセルが出た時も、今回のコロナショックも。変わらず、じいちゃんとばあちゃんの顔を思い浮かべ、空に向かって祈る。

もしかしたら、かれこれ30年以上、お願いばかりしてくる孫に嫌気がさしているかもしれない。

いや、「だいすけ、今度はどげんしたとか?」とじいちゃんは優しく聞いてくれているに違いない。

もしかしたら、その隣でばあちゃんが「死人ばまたこき使ってから。」と怒りながら、お願い事を叶える手続きをしてくれているのかもしれない。

いずれにせよ、ずっと近くで見守ってくれていると信じている。

さて、冒頭に話した「人は2度死ぬ。」という話だが、今回書いたようなじいちゃんとばあちゃんとのエピソードの数々は、すでに何度も娘たちには話をしているし、なんとも不幸なことに、じいちゃんからの一重垂れ目遺伝子は僕を経由して、見事に娘たちに遺伝した。

それを「パパのせいじゃない。パパのじいちゃんのせいや。」とこっそり責任転嫁をしているので、少なくとも僕の代、そして娘の代までは、その存在は忘れ去られることはない。

つまり、じいちゃんとばあちゃんはまだまだ2度の死を迎えるまでは長く、これからも孫の僕や、ひ孫の娘たちから無理難題のお願いをされ続け、忙しい天国LIFEを送ることだろう。

少しかわいそうな気はするが、それは僕がそっちに行った時に謝ることにしよう。

多分、またいつもの細い垂れ目で笑ってくれるに違いない。

最後に。

大好きなじいちゃん。
たくさんの愛と思い出をありがとう。

では、また。

<<おしまい>>

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