#武将列伝〔織田 信長〕
打撃 90
統帥 95
智賢 93
内治 97
魅力 100
義心 27
※能力値は、100を上限とする。
※内容は、変更される場合が多々あります。
〔史実〕
尾張の戦国大名 織田 信秀の長男。
重臣 平手 政秀が傅役として、信長を後見した。
信秀から家督を継承した信長は、尾張統一を目標に掲げ、
実弟 織田 信行、叔父 織田 信友らと戦った。
尾張一国の統一を果たした頃、
三河・遠江・駿河を領有する大大名 今川 義元の侵攻を受けるも、
桶狭間の戦いにて、空前絶後の大勝を勝ち取った。
今川家の家臣となっていた、松平 元康こと、
後の徳川 家康を強く信頼し、これと同盟を結んで、
後顧の憂いを取り除いた。
美濃攻略戦では苦戦するものの、当主 斎藤 義龍が急死すると、
斎藤家の混乱に乗じて勢力を拡大し、
ついに、美濃全土を制圧する事に成功した。
稲葉山城を改名して岐阜城とし、
井ノ口の町から現代にまで繋がる岐阜の町に改名した。
この頃、放浪将軍 足利 義昭から上洛の要請に応じ、
北近江の浅井 長政へと妹のお市を嫁がせて、これと同盟を結び、
京への上洛戦を展開、六角、三好・松永らを撃破し、
京の街に織田の旗を翻し、正式に義昭は征夷大将軍となった。
名門 朝倉家を攻めれば、同盟者 浅井 長政は突如として造反、
摂津一国を与えた荒木 村重にも造反され、
対立した本願寺一向一揆らにも終始悩まされ、
各地を転戦し苦戦を続けたものの、
信長のみならず、織田家臣団が奮闘努力を続けた。
琵琶湖を背とした南近江の地に、天下の名城 安土城を建設する。
1582年 本能寺の変にて、家臣 明智 光秀の裏切りに遭い、
燃え盛る本能寺にて、散る。
享年49歳だった。
信長の首級は、ついに発見されていない。
楽市楽座の実施等、優れた両国経営を次々と展開、
甲斐の虎 武田 信玄や、越後の龍 上杉 謙信を尻目に、
畿内で大勢力を築き、天下統一への足掛かりを作った。
家臣の羽柴 秀吉は、後の豊臣 秀吉となり、
盟友の徳川 家康は、後に徳川幕府を成立させた。
後に裏切ってしまったが、能臣 明智 光秀を大抜擢し、
蒲生 氏郷、掘 久太郎ら、非常に優秀な戦国武将を多数輩出した。
晩年は忠義を欠いた行いをしたり、
後年に生きる様々な作家たちによって、
さも恐ろしげな印象を持って描かれる事が多いが、
家臣たちの内輪話にも耳を傾け、
これに書状をしたためて、それとなく仲裁する等、
非常に人間味のある戦国大名である。
小姓で信長の身の回りを世話した、森 蘭丸を愛した。
蘭丸には美濃岩村城を与えて、甲斐の武田襲来に備えている。
生涯、戦い続けた日々を送った。
〔空想宇宙〕
織田 信秀の嫡男。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?