大学時代(1)学祭本部編(1)

1996年に大学生になりました。大学では学園祭の実行本部やら競技麻雀やら、アルバイトやらボランティアやら色々手を出してて時系列順にやると訳分からなくなるので、まずは一番思い出が多かった学園祭実行本部の話から。

実は高校の頃にも一回学祭のスタッフやった事があって、それがけっこう楽しかったので、それ専門の組織があるのか、と覗いてみたのがキッカケだったかな。女の子多かったし。大学自体、女子多かったんですが。で、男子校生活もようやく終わったので張り切って女子と仲良くするぞーってね、めちゃくちゃ空回りして結果バチクソ嫌われましたね。

なんとかコツコツ学祭の活動とか続けてですね、なんとか2年に上がる頃には大きなマイナスが小さなマイナスになるくらいまでには復活してたと思うんですが。で、2年生って企画とか中心になってやる学年なんですね。4年になるとほぼ引退するし3年は学祭全体を見るのがメインになるので、現場は2年生が仕切る訳です。

で、更に自分は企画局にいたので企画立案する部署にいました。なので、ミスコンやりたいです!と企画を立ち上げました。これがもうね、かなり無茶な企画でした。そもそも教育学部とかメインの田舎の大学で、ミスコンなんてやった事無いし、求められてないし、やる必要無いだろうと。それはそう。今なら秒で諦める。でも若い頃は突っ走るもんでね。複数やる企画の一つで良いから、なんとか説得して承認してもらう訳です。

まずは衣装が欲しい。前に他の大学でミスコンを見た時に、みんながウェディングドレス着てたのがすごい良かったので、あれ再現したい。でもドレスなんてどうやって用意したらいいんだろ。当時はインターネットもぼちぼち普及してきたかなぐらいの時代で、調べ物には使えません。なんで電話帳で調べて上から電話かけてった。

で、予算が全然足りない事が分かった。もう桁が違う。そもそもお金かかる企画なのに強引にお情けで承認してもらったのでね、お金なかった。次々電話はかけてみるも、予算の話をするとそこで終了です。話にならないってこういう事か、と身をもって体験します。

そんな中、あるお店で、なんか話好きのおばちゃんが電話に出て、まあ、せっかくなら衣装見てみます?みたいな話になったんですよね。大学からちょっと離れた駅にあったので、電車乗って行きました。そこのおばちゃんが良い人でね、なんか息子が俺と同い歳くらいなんだけど留学してて会えなくて寂しい、せめて力になってあげたい、みたいな話になって、息子さんグッジョブと思いましたね。もし息子が穀潰しになってたら門前払いされてた可能性ある。そこでもう、破格の値段で貸してくれることになったのです。もう感謝してもしきれない。帰りの電車の中で考えてたのは、「でもまだ予算足りないんだよなー」という事でした。

しかしもうこの値段で借りられる事はない訳で、なんとかこのチャンスをモノにするしかない。財務局に頼み込むけど予算は増えない。他に何か手はないか。学園祭ではパンフレットを作るのですが、そこに地元のお店が広告を出していました。これ使えないか?編集局に相談して一番広いスペースを抑えてもらって、ここに広告を無料で載せるというのは・・・?地元のお店が学生さんとの付き合いで出してくれるような広告なので、電車乗って行くようなお店で意味があるのか分かりませんが、もうこれくらいしか手段が無い。あとはもうこれで強引に話を進めます。このスペースまだある!?じゃあ下さい!必要なので!おばちゃんにも相談して足りない分は広告で何とか!色々あったけど何とか話は纏まった。後で気付いたけど広告収入減るから財務局にも影響あったなあれ。もう今更だけど。

なんとか一番の難関を乗り切ったぞー、と思ってたらまだ全然だった。参加者が来ない。5人の枠で募集かけてたけど1人も来ない。参加者がいなければ企画はできない。どうしよう?

まだこの後も長いので続く。


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