高校時代(3)
高校の山岳部では色々活動してたのもあって、色んな人と知り合いました。変わった人は「最近どこ登りました?」って聞いたら「大阪城」って言ってた。なんで?「いや・・・登れるかなと思って・・・警察とかマスコミとか来て大変な事になりました。」天守閣の外壁を登っちゃったかー。
でもまあ気持ちは分かる。うちもリポビタンDのCMに出てきそうな所でロッククライミングとかもやってたので、今にして思えば高校生をよくそんなとこ連れて行ったなと思いますが、そうなると若さも手伝ってけっこうどこでも登れる気になってくる。
俺もある夏の夜、その日はすごい雨だったんですが、深夜だし雨だし今なら外は誰もいない・・・地元の中学、確か屋上にプールあったな・・・今なら入れるのでは・・・?と登って泳いで帰ってきた事ある。流石に途中は非常階段使ったけど、最初と最後はよじ登ったんだよな。一回だけね。30年くらい前の話なので許して下さい。
山岳部の話はこんなもんかな。他に当時何があったかな。そういえば平成ガンダムが始まったの、高校の頃だった。まず1993年にVガンダムが始まって、まあそれは今までのガンダムの延長だったので普通だったんだけど、その次(1994年)のGガンダムがヤバかった。俺は当時リアルタイムで見てなかったけど、周りのガノタ達が発狂してたのは覚えてる。いや本当に当時の荒れっぷりは凄かったですよ。ネットが普及してたのは大炎上してたのは間違いない。
実際、今川監督の当時のインタビューとか見ても叩かれまくって辛かったってあるし、バンダイの人も最初のうちは商売にならなかったと振り返っているので、本当にヤバかったんだろう。もうガンダムは終わりだ。それが共通認識になりつつあった。東方不敗が登場するまでは。
そこでもうみんな手のひら返して絶賛はじめましたね。それまで発狂してた友人のガノタも「見ろーーーッ!」つってビデオテープ押し付けてきたし。なんだかんだ言って録画してたんかい。まあ俺もまんまとハマったけど。
今にして思うとGガンダムの功績は凄まじく大きいと思う。その後のガンダムを「何でもアリ」にしたという意味で。Gの後にやったWもVまでと比べたら十分特殊ですが、「なんか普通のガンダムに戻った」って評価でしたからね。戻ってないよ。Gがぶっ飛び過ぎてたからそう見えるだけだよ。その後のガンダムは呪縛から解き放たれて自由に作れるようになり、「水星の魔女」もGが無かったら作られていなかった可能性が高いのです。
そして平和な1994年も終わり、激動の1995年が幕を開けるのでした。