高校時代(1)

高校は男子校だったんですが、かなり早い段階で後悔してました。少なくともこの時点では人生最大のミスだったと言えます。男子しかいないのキツ過ぎる。女子の声!?と思って振り向いたら声変わり前の中等部の生徒だったりする。先生も男性しかいない。当時は男女雇用機会均等法が厳しくなる前だったので、男性教員しか採らないという事ができたんですね。もっと早く厳しくしといてくれよ。(俺が卒業した直後に女性教員入ってきてた)

で、一年生の入学直後に、遠足がありました。遠足て。死ぬ程どうでもいい。つまんないし早く帰りたいな・・・とか考えてたかは覚えてませんが、この遠足で運命的な出会いをします。なんかね、ガスコンロ持ってきて、ラーメン作ってるやつがいるんですよ。今だと別に珍しくない気もしますが、つい先日まで中学生やってた自分にはめちゃくちゃ珍しくて、他のクラスの男子だったけど即食いついてしまった。何それ!?

「これは山で使うガスコンロなんだけど、君、山岳部とか興味ある?」

これが高校生活でずっと、卒業後もチラホラ腐れ縁が続く、泉君(仮名)との出会いでした。山岳とか全然興味ないけど、最初に興味あって覗いた放送部は自由が全くなくて面白くなさそうだし、他の運動部みたくしんどくなさそうだし、試しにやってみるかー。と入部することになります。

そして始めた山岳部は、けっこう面白かった。それまで運動とか苦手で避けてたけど、山岳は運動神経いらないんですよ。これなら俺でもできる。泉君がけっこうバリバリやるタイプだったので先生方もやる気を出して、色んな所に連れてってもらった。今にして思えばけっこう危険な岩場とかも登ってたので、先生もこのチャンスを待ってたのかもしれない。

知らない人も多いと思いますが、山岳部にもインターハイとかあります。最初に都大会があって、関東大会があって、全国だったかな。登山競技では登るスピードだけでなく、テントの張り方とか、パッキングの仕方とか、一泊二日で登山に関わる行為全般が審査されて、点数化されて順位を決めます。

そんな都大会にうちの山岳部も出る事になりました。泉君率いる本命のAチームと、残りのBチームです。主力はAチームに固めたので、Bチームは記念参加みたいなもんです。主力がバラけて両方落ちるより、確実に1チーム勝ち残る作戦です。俺はBチームでした。

が、Bチームに熱いやつがいて、「みんなAしか残らないと思ってるの悔しくない!?ここはBが勝ち残って目にもの見せてやろうぜ!自分達だけで自主練やろう」とか言い出した。正直、勝てなくても別にいいじゃん、そもそも一人だけSSRみたいな泉君がいるAチームに勝てる訳ないんだし、適当にやろうよ。と思ったけどそんな事言うともっとめんどくさい事になりそうなので、しぶしぶ自主練にも付き合う事にしました。まあ、やるだけやるかと。

そしたらですね、本番直前にもっかいチーム編成があって。俺はAチームに抜擢されたんですよね。あれ、ほんとに?いやー、悪いなー。俺もどうせ参加するなら勝てる方が良いとは思ってたのでさくっと寝返る。まあBチームのみんなも頑張ってくれよ。きっと良い思い出にはなると思うから。

とか余裕ぶっこいてて本番、一日目が終わって二日目の朝。Aチームのメンバーの一人が体調を崩す。えっまじで?なんとか山には連れて行くも荷物とか持てそうにない。他のメンバーで手分けして持つ。いや、このメンバーなら多少荷物が増えても大丈夫、体調不良でも手ぶらなら何とか・・・ならない?(今の常識だったら棄権してたと思いますが当時の体育会系はこんな感じで特に誰も疑問に思いませんでしたね)

それでもなんとかゴールして競技は全部終わったんですけど。ボロボロでしたね。そして結果発表、まさかのBチーム勝利。こんな展開あるんだ。Bチームめっちゃ喜んでる。まあ、Aチームも一応足切りラインよりは上だったので、結局両チームとも関東大会には進めましたが。勝負は蓋開けてみるまで分からないもんだなと思った。

いいなと思ったら応援しよう!