はじめてのnote/クリスマスマーケット
朝が来た。
私を苦しめる家庭環境とは大きく、両親と姉に分類される。
今朝は姉がいた。死にたくなった。
あ、食卓で髪の毛をとかし始めた。死にたい。
紅白の出場歌手の発表を見た。
予想外な人選と、名前の聞いたことない歌手の多さに驚く。私だけまた社会から取り残されている。
世間のリアクションが気になって、Twitterをヤフーリアルタイム検索から覗いてみる。なるほど、荒れている。
おすすめに並ぶポストにざっと目を通す。トレンドに目を通す。みんな、明日になれば自分が何をつぶやいたかなんて覚えてないだろうに語気荒く誰かを罵っている。言われた側は一生覚えてるのにね。
「出なくて良い紅白歌合戦歌手」なんて嫌なランキングを見てしまった。アンケートに答えている人を見ると、なるほど皆幸せじゃなさそうだ。幸せじゃないとうまく行ってる人が妬ましく感じるのだろう。私の姉なんてその最たる例で、名前が同じ年下の女優兼タレントさんのことを妬み嫌っている。彼女は美しく、頭が良く人格者だ。羨ましいのはわかる。でもなんで嫌うのだろう。汚い汚い汚い。
アイドル、女優、芸能人、表に出ている人に何を言っても良いと思っている人の数に驚く。伝わらないとでも思っているのか?エゴサしたら瞬間でたどり着くのに。
1人1人、人間どんな環境で育ったかなんて知らない。知る由もない。ただ貴方が吐いた言葉しか知らない。他人が傷つく言葉を吐くことに違和感を感じない環境で育ったんだろうね。心ない言葉を見かける度にそう思うけど、そう思うけど、そんな事言ってしまったら結局育ちが全てだって認めてしまって自分の首を絞めることになる。そんな事ない。どれだけ良いものを見て、豊かに沢山の感情を体験して、どれだけ思考したかで人となりは構築されるはずだ。「人となり」とはその人の人生を表すのだ。何を見たの?何を聞いたの?それで何を思ったの?どんな経験をしたの?それで何を得たの?
大丈夫、親から純粋な愛を受け取らなくてもきっと大丈夫。でも、結局私が憧れる穏やかで感情豊かなあの人は親から沢山愛されていた。
自分が過敏になっているのを感じる。これは理解してもらえるか分からないけれど、インターネットには広告が多すぎる。勝手に知りたくもない情報が脳を犯す。お金を出すからChromeだけでも広告消させてよ、お願い。
不安で脳みそがイカれそうだ。
クリスマスが嫌いだ。
なんか浮足立った雰囲気が好きじゃない。きっと受験で脳みそが受け入れないだけだけど。親に愛されている実感がないから、クリスマスという聖母マリアに愛されたイエス・キリストの誕生日が羨ましいのかもしれない。いやそんな理由じゃないよね、単純に幸せそうな人を見るのが辛いだけ。結局姉と同類か。
クリスマスを好きになりたいから、来年ドイツにクリスマスマーケットを見に行く予定を立てた。一人で海外に行くのは中学1年生ぶり。全く話せないのにイギリスに語学留学に行って、話せなくても生きて帰って来れた!という経験を得た。そこから急に勉強意欲が湧いて英語が得意になった。英語は好きだ。ドイツ語を勉強しよう。どうでもいいけど韓国語はほぼネイティブレベルに話せる。読めないけど。
そういえば、2週間ほど前妹と口論になった。親の望む進路に拘るな、と年下から叱られた。妹は両親の圧から上手く逃れて自分のやりたいことを見つけたらしい。「やりたいことないの?語学得意じゃん」そう言われたけど、私は本当にやりたいことがない。強いて言うなら小説を読んで美しい言葉に触れていたい。でもそれを学問としてやろうとは思わない。何のしがらみもないから楽しめるのに、課題やら成績やら絡んできたらきっと嫌いになってしまう。
一瞬、映像関係に行こうかと迷った。どうやら武蔵美に共通テストだけで入れる学部があるらしい。でもそれも、学問を絡めてしまったらきっと単純に楽しむ事ができなくなる。うーん、やりたいことないな。
もしこれを読んでくださっている方にこれから共通テストを受ける方がいらっしゃったらこれだけお伝えしたい。
絶対マスクを持って、半袖で行こう。
今年共通テストを受けたとき、ガンガンの暖房+密閉された部屋+色んな芳香剤?香水?フレグランス?が合わさって地獄を見た。部屋に入った瞬間から吐き気が込み上げてきて、それでも頑張って耐えてたら、始まる前に一度そして、試験が始まって20分後に倒れた。座った状態で倒れるのは人生で初めてだった。まあ元々心臓が弱い(?)から緊張による動悸のせいでもある。どぅくどぅく心臓が痛くて、思い切り空気を吸い込もうにも、なんとも言えない汚いぬるい空気が肺を犯す。脳みそが酸欠を起こすのを感じた。それでも頑張って一生懸命歴史上の偉人の思想を思い出していた。まさか彼らも受験勉強のためだけに消費されるなんて思っていなかっただろうな。ごめんね。せっかく素敵な思想を思い出していたのに、息を思い切り吐いた瞬間体の中で何かが切れた。糸が切れたマリオネットのように倒れて、かろうじて手を挙げて自力で退室した。退室した瞬間に足が立たなくなって、廊下にいた監督の方達が車椅子を持ってきてくださった。次気付いた時には医務室で泣いていた。試験会場の大学の養護教諭の方々が忙しく病院を探してくださって、病院に行った。休日診療に対応してくださった先生が、何かありがたいことを言ってくださった記憶がある。なんだっけ、安心して号泣しちゃった記憶もある。
そういえばあの日は初めて行く会場で迷っていたら、知らないおそらくどこかの高校の先生が「君共通テスト受ける?迷った?」と会場まで送ってくれたのだった。人の優しさに触れて、自分の軟弱さに腹が立った日だった。
5月に、駿台で共通テスト模試を受けていた。国語からだったっけ?記憶が定かじゃないけれど、国語が始まって文章を読み始めた。やはり日本語が理解できなかった。読んでも読んでも異世界の言葉のように感じる。やばい、あと10分からいで次の大問行きたいのに。焦る。焦った。現代文なのに古文くらい意味が分からない。漢字もひらがなも読める。でも文が意味わからない。ねえ私国語大得意だったのに。そのうち、文を構成する文字達が分解されて踊りだしたように見えて本格的に私はもう無理だと思った。
お手洗いに行くと試験監督官に告げて、廊下に出た。あの試験監督さん、もしかしたら同い年だったのかも知れない。同い年で片方は受験生、片方は監督。なんて残酷なのだろう。全部自分が悪い。チューターを探した。他クラスのチューターがやってきた。「どうした、体調悪いの?」説明しようとした瞬間、涙が溢れ出てきた。あ、泣きたいわけじゃない。体調悪いから振り返り受験したいって言いたいだけなのに。言葉が出てこない。よくあることなのかも知れない。チューターは鼻くそをほじっていた。
校舎を出ると、5月の日差しが眩しかった。釣り堀で真剣に濁った水面を覗き込むおじさんたちが見えた。
その場から消えていなくなりたくなった。
そういえば2月にとある大学の入試を受けた。朝から夕方まで学力テストを受けたあと、基礎学力テストと言って中学受験の算数やら日本語の要約、データの読み取りの試験があった。1時間半か、1時間か。正直午前中数学でやらかした自覚があったからどうでもよくなっていて、とりあえず解ける問題から埋めていた。周りは時間が少ないからか、すごい速度で書き進めていた。残り15分位になったとき、急に会場の明かりが消えた。非常灯と、プロジェクターの映し出すスクリーンの光しか無かった。目が慣れるまで10秒ほど。その10秒でさえも、周囲の鉛筆のカリカリ音は消えなかった。なんというか、活力を感じた。数分で明りは元通りになり、試験時間は延長された。
試験が終わり、解答用紙が集められた後試験監督の代表らしき人から謝罪があった。
「皆さんはコロナ禍に高校生活を過ごされましたよね。その中で我々の職業を夢見て、一生懸命勉強してくださったこと、とても光栄に思います。本日、トラブルがあった中真っ暗な状況でもなんとか目を凝らして解き進める皆さんの姿に感動しました。是非、みなさんと一緒に働きたいです。この度はたくさんある大学の中から、本校を選んで受験してくださりありがとうございました。」こんな事を言っていたと思う。(実際はもっと長かった)その方が頭を下げた瞬間誰かが拍手を始めて、気づけば会場の全員が拍手をしていた。私も拍手をした。不思議な空間だった。落ちていた。
母が焼いたアップルパイを食べる。レモンの効いたフィリングが美味しい。
幼少期から父が試験や勉強のたびに「貴方はパパとママの娘なんだから頭良いの。上手くいく」と言っていた。
小学校受験で落ちた学校の系列の大学を受けようか。トラウマは乗り越えなきゃいけない。そこを合格したら、親と私はトラウマから解放されるのではないか。夢はない。やりたいこともない。でも目標はある。この目標を乗り越えて、新しく夢を探そう。
受験が終わったら、家を出る。そして働こう。
でも正直親の気持ちがわかる。自分も数千万円かけて育てた子供が失敗しかけたら、そうなるかも。親にかけてもらったお金の分くらいは結果を出さなきゃ。
それこそ、この前飼い犬を抱きしめていたら横から来た母が「赤ちゃんや犬を抱きしめると幸せホルモンが出るのよ。だから『お母さんは子供が3歳になるまでに、もう十分恩返ししてもらえるの』とお義母様が言っていた。でも私はまだ不足してるわ」と言っていた。まあそうだよね。
noteから通知が来て、初めて色々見てみた。どうやら初めての投稿には「はじめてのnote」と書くそうだ。知らなかった。3作目だけど、書いてみよう。詐欺です。でもこれを読んでから、1つ目を読む方が理解できる気がする。読んでくださった貴方へ、ありがとう。