薄ミュに思うことつらつら-2つの風間篇-

さて、ここまで書いてきましたがまだ書ききれていません。
ですが大筋は書いたので良いかな(笑)

私の薄ミュの入り口は沖田篇ですが、本格的に見た薄ミュは前の記事に書いた初代風間篇です。
薄ミュは各個人篇をやってきましたが、その中で何故風間篇が好きかと言うと...

「吸血シーンがない」

私はこの一択に尽きます。
薄桜鬼ファンの方にしたら、薄桜鬼向いてないと言われても仕方がないかもしれません。吸血シーンは薄桜鬼の見どころの1つですしね。
というか、そもそも乙女ゲームに向いていない気がする(笑)

今言えることですが、今まで一応薄ミュ見てはきましたがちゃんと最後まで見たのは後にも先にも風間篇だけです(小声)
後の作品は所々飛ばしたりしてしまったりしているので(小声)

そんな私が薄ミュが好きだ!と名乗って良いものか甚だ疑問ですが、風間篇は鬼がメインとなることもあって、原作ゲームでは特に後半戦はほとんど新選組は出て来ないとのこと(※原作ゲームは一度もしたことがありません)
それに恋愛要素も少なめ。薄桜鬼からすると少し物足りないのかもしれませんが、それが私にはドンピシャだったのです。

特に風間篇で一番突き刺さったのは

『沖田総司の療養姿』

これがもう...性癖でした。

あの姿で出て来られたら駄目だ...。風間篇と全く違う視点で申し訳ないけど、それが目当てと言っても過言ではありませんでした。

私は初代と志譚と両方の風間篇を見ていますが、やはり水鏡で心奪われてしまった人間なので、志譚の方を見がちです。初代は勿論良いし、初代があったから志譚は違う結末を用意出来たんだろうし。と思っています。

志譚は何よりド迫力。
演出が西田さんに代わったことが一番です。まず水鏡見たら分かります。
特に池田屋は障子を使ったりして表現していたのがとてもカッコ良かった。
後個人的には、沖田目線になって申し訳ないのですが千鶴ちゃんが江戸に来て沖田さんの元に来た時に障子から出て来たところ。
ちゃんと療養しているんだと分かるシーンですよね。もう1つ、近藤さんの死を聞いて慟哭するシーンもちゃんと伝えに来ている人いるじゃん!と思いました。初代版はいませんでしたから。
ただ可笑しいと思うことも勿論あります。水鏡がOPに来たことでヤイサがEDに来ることは仕方がないのですが.......

「何故踊る」

これはもう永遠に解せないですよね。ろくに見ていない私でさえも、そのヤイサは可笑しいだろうと突っ込みました。
志譚風間篇は振付師さんが変わっているので、所々扇子を使ったり刀使用せず踊っていたりと...違和感はたくさんありました。初代から見ている人は物凄く辛いだろうなぁと思わずにいられません。

演出が西田さんになったことで、志譚は桜が多用されていました。
新選組の散っていく様は、よく桜に例えられますよね。西田さんはその演出に強いこだわりが見えました。私が毛利さんの薄ミュを語ることはあまりしない方が良いと思うのでそこまで深くは語りませんが、毛利さんは新選組の生き方を、西田さんは新選組の散り際をより表現したかったのかなぁ...と思いました。

いずれにせよ、どちらの風間篇も新選組は皆散っていきます。
私は新選組の散っていく様が好きです。羅刹になった新選組を見届けようとする風間も。
敵対関係でありながら、相対する存在なんだと風間篇を見ると思います。



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