【読書】東浩紀「ゆるく考える」
東浩紀の本「ゆるく考える」を読んだ。過去に新聞や雑誌に投稿した論考(?)をまとめたものであり、明確なテーマで一貫しているというわけではない。その意味でも「ゆるい」と言えるだろう。
しかし、この本での「ゆるい」はそうした意味ではない。あとがきには、「友と敵の境界をクリアにひかず、『ゆるく』考えること」と記されているので(P326)、物事をカテゴリーに分けることもなく分析的に見ることもなく考えることを、「ゆるく」考えるとしているのだと思われる。
こうした「ゆるさ」は現代社会の特徴であり、「現代社会は、他人がなにを信じようとかまわないが、それが自分に押し付けられるのはごめんだとみなが考えている社会です」と明確に述べられている(P140)。あなたが水曜日のダウンタウンを好きなことは尊重するが、それを自分に押し付けるなといった具合であろう。そして同様に、自分はポツンと一軒家が好きだけれども、それをあなたに押しつけることはしないといった形であろう。
その上で、「そのような徹底した『相互不干渉』こそが、まずは正義であり美徳であると感覚される社会」が現代社会であると述べられている。ここまでは納得できるし、むしろそうでない社会を想像し難い自分さえいる。
では、その結果どうなるか。東浩紀は、「『みなが同じ物語に関心をもつべきである』という信念(中略)が消失している」と述べる(P138)。これも仰るとおりで、「皆が見ているテレビ番組」(というより映像といった方が正確か)や「皆が聴いている音楽」が少なくなっているように感じるし、「皆が見るべきテレビ番組」「皆が読むべき本」「皆が聴くべき音楽」といった規範性を伴ったコンテンツもないように思われる。
1人1人が自分の好みに沿った音楽・映像を自由に選べることになったことは幸せなことだと思うが、それに伴いこの時代に皆が見ていた・聴いていた・読んでいたコンテンツ、というものが少なくなるのは寂しいことである。自分は幸か不幸か2019年を生きているので、2019年のコンテンツを幅広く味わっていきたいと考えている。(でも、結局は自分の好みのものしか味わうことはないんだろうな)