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【子育てから変態が育つ】

おはようございます。

私の服についている茶色いシミは、
ウンコかな?チョコかな?ソースかな?
と思って匂いを嗅いだら
95%くらいはウンコじゃないのに、
先日はとてもラッキーなことに、

「うんこ」でした

絶賛トイトレ中フルチンボーイが垂れ流しうんこで私をハグしてくれていました。

トイトレ言うても、トレーニングしてないんやけどね、フルチンでおらしてるだけなんやけどね。
うまいこと行ってます!(どやさ!)


師匠No.2こと私の長男、The出来る男。

若干2歳にして、
「魔法かけてあげる〜」と疲れた私にハグをし、
(まっすぐ走れないが)
頭痛がすれば頭にバンソーコを貼ってくれ、
(階段降りれないが)
大好きだよ、会いたかったよ、と自己肯定爆上げの言葉のシャワーを毎日毎日惜しみなく注いでくれる。
(ヤッホーがダッホーになるが)


そんな彼は、
親として安心感がある。
出来ることは少ないが、無邪気で素直で愛を伝えるすべを知っている。

面白いことに笑い、
愛しい人に大好きと言い、
人を思いやり、
嫌な時には怒る。

その姿が人を惹きつける。

いわゆるコミュニケーション能力、社会性とやらがビシバシに身についた2歳なのである。


その真逆をいくのが 
師匠No.1、長女だ。


出来ることが多い。
教えずとも、文字(ひらがな、カタカナ、Alphabet、漢字…)を覚え、
片手側転をし、
連続逆上がりで回り続ける。
見様見真似で色んなことに挑戦し、習得するまで一人でやり続けるのである。

が、癇癪がすごい。
小さい頃から塗り絵をはみ出してはブチギレ、
靴下のかかとが合わないとブチギレ、
今やろうとしていたことを先回りして言われたとブチギレ、
それはそれはもうあの泣き叫び声で

イチハヤク、
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行きになるんじゃないかとヒヤヒヤ。
そのギャップにもはや天才・カリスマのような代名詞を付けたくなる。


同じ親が育てても、こうも違う。

「特性✕環境」

で、人の出来ることや生きやすさが変わってくると思う。


特性は変えられないが
環境は変えられる

あんたたちがのびのび出来る抜群の環境を用意してやるから笑顔で特性を自信に変えて生きていけー

と、こう思っているわけです。

そして、それは何も我が子に限ったことやないんですね。

みんなにとってそうであってほしいと思って仕事してるんです。


エジプトではきっとあのでっかいでっかい石運んで一生終えた人が山ほど居るやろし

フランス革命の時には歯や髪や体を売ってお金稼いだ女性がいっぱい居るやろし

アフリカからギチギチに船に詰められてアメリカまで運ばれるあいだに死んだ奴隷が山ほど居るやろし

コロッセオで死ぬまで戦わされた戦士が居るやろし

そんなこといいよったら
今も戦争してる国があって、

「環境」が爆裂にクソッタレな状況もあり得るってことナンよね。


ところが今の我々の状況はどないやろ。

石運ばんでええし
歯売らんでええし
船乗らんでええし
刺し合わんでええ

やろおもたらやれるんちゃうか。

その人が
自分らしく生きていく環境
作ろおもたら作れるんちゃうか
出来るのにやらんのはアホなんちゃうか

やれることからやりましょか


子どもらから
こんな飛躍した
妄想をする私は
だいぶ変態やな

自覚アリです

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