父と私とCo-Active
「コーチングで、Co-Activeで何ができるんだろう」とため息をついたのも、「あぁこの瞬間本当にコーチングやCo-Activeの側にいてよかった」と感謝したのも、どちらもCTI上級コース受講中、横たわる父の傍だった。それを覚えておきたくて書きました。
※このnoteはCo-Active Advent Calendar 2024の16日目の記事です。
※Co-Activeってなんやねんという方はこちらをご覧ください。
いったい私に何ができる?
今年の夏、実父が入院した。
はじめは別の症状で診断を受けて治療を開始したのだけれど、元々の持病も相まって脳梗塞を併発してしまった。あんなにおしゃべり好きだった床屋の親父が、これまでガンや心筋梗塞などの大病を患っても気丈に話すことだけは止めなかった人が、次に会った時には以前のように話せなくなっていた。右半身には麻痺が残り体が動かなくなっていた。
意識があるから何か言おうとしてくれるのだけど、声にならない。声になる前の何かが漏れるものの意図が拾いきれない。互いに伝えたいものが届かずじっと見つめ合う時間の心許なさったらなかった。
「相手と自分の間に言葉がなかったら、いったい私に何ができる?」
月並みな表現だけれど、こんなことになって初めて当たり前に話せること、聴けることのありがたさや尊さを知った。と同時に、自分がどれだけ話し言葉・書き言葉に寄りかかって生きてきたかも痛感した。だって言葉なしにこれから先どう父とコミュニケーションを取ればいいのか、その時は本当にわからなかったし途方に暮れていたのだ。
触ってもいいの?いいのか!
いわゆる峠を越え、父も何とか一言二言であれば発することができるようになってきた頃、リハビリの先生が「触ってあげてくださいね」と私たち家族に声をかけてくれた。とはいえ、まだ様々な医療機器につながれたままのからだを前に、どう手を伸ばしたものかと何となく躊躇っていると、先生は慣れた様子で「大丈夫、手を握ったり、さするだけでもいいんですよ」とそっと私の手を引いて誘導してくれた。
かさかさと乾いて骨が目立ち、動かなくなった父の右手。でも入院する前日まで現役でお客様の髪の毛を切っていた職人の手。子供のころ手を繋いだ以来であろう触れ合いは、最初こそ少し気恥ずかったものの、「触ってもいいんだ!」という発見、朗報を手に入れたよろこびの方が勝り、その日以降面会の際は必ず手を握るようにした。
話すことも、聴くことも大事だし叶うならばそうしたい。ただ、何かを伝えるための方法はそれだけではない、そんな当たり前のことを父の体温は教えてくれたのだと思う。
五感を使っていいんだ、もっと使えばいいんだと気づいた。
ただともにいる
入院生活が長引き、暑さが和らいできた頃には「話せない」よりも意識的に「話さない」でともに過ごす時間も増えてきた。じっと父の表情を見て様子を読み取って、思い出したように手をさすって、子ども(孫)が描いた絵を見せて。たまに私がひとりごとのように「外はだんだん涼しくなってきてね」とか「引越しの準備が全然終わらなくてさ」とか適当なことを言い放つ以外は、静かな時間が流れていた。面会に行ったら父が眠りについている日も当然あって、そういう日はベットの傍らでぼうっとして過ごした。
このあたりで私はようやく、Co-Activeの学びの中で体験した「言葉を用いないコーチング」について思い返していた。コース受講時は正直何のこっちゃと戸惑っていたあれ(これから受講される方もいるかもしれないので多くは記載しないけれど、本当に言葉を用いないでコーチングを行う)。お互いの表情や目線、呼吸、仕草、まとう空気感のようなものまで含めてよく見つめ、手探りでコミュニケーションを試みる。時に相手に委ねつられるままに、時に自分が好き勝手遊ぶように。そういえば、足の裏から指先にいたるまで意図を込めるあの不思議な時間を「相手の幸いを祈る神楽舞のようだ」と表現したっけ。
父がくれたもの
回復を信じ祈ること。
変わりゆくものを受け入れること。
閉じた命を敬意と感謝を持って見送ること。
これから先、これらの時間を思い出すとき、そこには父の手の感触が必ずあると思う。事柄や思考だけでなく、感覚やその場の空気ごと誰かとの時間を味わうと鮮明にからだが記憶するのだとこの身を持って知った。自分が思っているよりもずっと五感というものは鋭敏で、聡く、そしてやさしく人と人とをつないでくれる。
父と私とCo-Activeで過ごしたあの病室を、私は生涯覚えていたい。