つながる つながれ ん、なにで?
「1122」と「大豆田とわ子と3人の元夫」という離婚がテーマの作品を立て続けにみた。
すごいスピードでみた。
そしていま,井上荒野の「あちらにいる鬼」という小説も読み進めている(これも不倫のはなし)
不倫や離婚にきょうみがある、というよりかは
ひとがなにでつながり,なにではなれていくのかにきょうみがある。
ふたりは一体になれるのか。
パートナーにこんな質問をしてみたことがある。からだではむりだけど、こころはいけるんじゃないかな、って。からだが一体になることがすべてじゃないんじゃないかなって言ってくれた。
だれかとつながっていたい、という欲望は決して24じかん、ねている間まで存在する,というわけではないと思う。しかし、からだがよわくなったとき、さむくなったとき、眠りにおちるまえ、かなしくてかなしくてどうしようもないとき,わたしは誰かとつながっていたいとおもう。
そのときはいつくるかわからない。
だから、ボタンを押したらピュンって
だれかとすぐ繋がれればいいのだけれど
そういうわけにはいかないみたい。
いまのわたしには。
なにでどうつながるかはあまり関係ないと思う。口を挟む問題でもないと思う。
それがオンラインでも,オフラインでも,リアルでも、バーチャルでも,妄想でも,夢でも。わたしのつながりたいという需要とあなたのつながってほしいという供給さえ一致すればいいのだと思う。その一歩が意外とむずかしいから。
口に出すことも,顔に出すことも,こころを出すことも,けっこうむずかしい。じかんがかかる。でも、じかんっていっぱいあるし、そのためのじかんだし。
つながりはそう簡単に途切れるものでも無いし、(よくもわるくも)。
ひとつひとつのつながりにひとつひとつ向き合っていたらいつかいいことあると思う。