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vol.34|英語ができるってこんなにも辛かった
こんにちは、りーのすけです。
一番最初の投稿 vol.00|りーのすけって何者 にちらっと、インターナショナルスクール育ちであることを記しました。
日本人です。日本語は母国語です。でも、最近第一言語は英語なんじゃない?と確信を持ち始めました。
今回は、そう思い始めた理由や自分のことについて少し共有できたらと思います。
ここで注意事項は
1)誰のことも批判したり、攻撃しようと思って書いていません
2)こんな人もいる、という感じで受け止めていただけたらいいな
です
もし、気になったところや聞きたいことなどあれば、コメントなどで聞いてください。答えられる範囲でお答えしていきたいです。
ーー
りーのすけが受けた英語教育
3歳からインターナショナルスクールの幼稚園に通っていました。朝の8時からお迎えがくる18時頃までの間、毎日英語。
今でも覚えているのは、朝から英語で歌を歌い、アルファベットを学び、発音の仕方や単語を学び、お昼休み後には一人一人呼ばれて自分のレベルに合った絵本を先生と一緒に読み進めていったこと。
そして、昼寝をしたあと、テレビで見るのは海外の子供番組やポケモンやセーラームーンなどの日本アニメの英語吹き替え。
通学途中の車内はいつも英語のCDが流れていました。
小学校も、同じようにインターナショナルスクールに通いました。
朝の8時から18時まで英語漬け。幼稚園の時と違ったのはバイリンガル教育だったこと。英語と日本語、両方を学びました。
幼稚園の時から、車の中で流れている曲は英語の童謡や海外アーティストのアルバム。初めて買ってもらったCDアルバムはAvril LavigneのThe Best Damn Thing。
母の教育方針としては、映画も英語。日本語で映画を見てもいいのはジブリ作品だけ。映画館で「字幕で」という言葉にカウンターの人によく驚いた顔をされていたという話を思い出します。
両親は英語を話せないので、家での会話はおのずと日本語。
そんな感じでした。
感じ始めた違和感
自分が日本語をうまく話せないと感じ始めたきっかけはいくつかあります。
1つ目は小学生の頃、国語の宿題で出された音読を母に聞いてもらっている時。教科書で取り扱っている作品を決められた範囲の音読です。
母にはなんども「もう一回」「読み直し」と怒られました。よくは覚えていないけど、いつもあやふやに発音をごまかしていたように思います。
うまく舌を回せていなかったのかも。今でも、日本語の曲をカラオケで歌うと口が痛くなるので、この頃から英語を話す舌になっていたのだと思います。
2つ目は会話の途中、日本語が出てこなくてつまっていることに気が付いたこと。特に、日本語を使わないと伝わらない母に、伝えたいことが伝えられなくて自分に対してなんども苛立ちました。
どうしても日本語が出てこないときは英語を使い、同じようにインターナショナルスクールに通っていた妹に通訳をお願いしていました。
私って何者。
こうして違和感を感じながらも、英語は続けたくて、英語教育に力を入れている私立中学校を受験し、入学しました。
そして、ここで初めて自分が何者かを問い、苦しみました。
英語教育に力を入れている学校を選んだ私は、英語のレベル別クラス振り分けで帰国子女に混じることになりました。
高水準な授業を受けられることはとても嬉しかったです。
だけど、ここで帰国子女。すなわち、それぞれ日本国外に住んできた人。を目の当たりにするわけです。
中学から初めて英語を学習する人に比べると、私は英語を自由に使える。
だけど、単語や表現の仕方の数で比べると、帰国子女の方が何十倍にも上でした。
英単語テストの英単語もレベルが高く、扱っている教材(本)も難しくて理解するのに一苦労。そもそも読書が苦手だったので、本当に苦でした。
ここで、日本語に長けているのであれば自信を失くすことはなかったかもしれませんが、実は国語も社会も苦手で、赤点ギリギリでした。(学内の補修にも通いました)
だから、自分は日本人で日本で生まれ育ってきたのに、日本語ができない。かと言って、英語がバリバリできるのかと言われればそうでもない。という中途半端な自分を見たわけです。
これぞ、自分を見失うアイデンティティクライシス。
今振り返るりーのすけの幼少期
インターナショナルスクールとは別に、週末預けられていた院内保育所。ここではいわゆる認定幼稚園などに通う同年齢のお友達と時間を過ごしていました。
本を読む時間、お友達は読めるのに私は読めなかった。母語の日本語の本なのに。
母は、どうやって日本語を覚えさせようかと考え、悩み、日本語パズルを買ってくれました。あの時、楽しく遊んでいたアンパンマンパズルにはそういう意味があったのだと知ったのは最近のことです。
そんなこんなで平日毎日10時間もの間を英語で過ごしていたら、そうなっても仕方がないかもしれません。(インターナショナルスクールには日本語の本さえもありませんでしたから)
卒園と入学。本当の意味でのインターナショナル
卒園する時。園長先生に「(りーのすけ)は英語を続けた方がいい」と言われたことをきっかけに小学校もインターナショナルクールに入学しました。
6年間在学したから担任の先生は合計で6人。と言いたいところですが実は短期間で自国へ帰ってしまう先生がいたりなんだりで今までお世話になった担任の先生の正確な数は覚えていません。
そこで私は出会いと別れを数多く経験し、いろんな国からきた先生と時間を過ごしたわけです。
インターナショナルクールという名の通り、本当にいろんな国やいろんな文化圏からきている先生ばかりでした。
アメリカ、カナダ、イギリスに始まりオーストラリア、ニュージーランド、エジプト、スイス、フランス。
本当に様々。
私はここで、いろんな国の言葉や文化にふれあい、英語の発音や綴りが色々あることを知り、担任の先生の出身国の独立記念日を祝ったり、文化を調べて作文やプレゼンテーションを書いたり作ったりしたわけです。
りーのすけの英語はいろいろ
ここです、私が声を大にして言いたいところ。
ちらっと前述しましたが、私の英語は完全にアメリカ英語ではない。
イギリス訛りが少し入ったり、アメリカの訛りが入ったり。
イギリスやオーストラリアで使う言葉を使ったり。
たまにアメリカで使われている言葉を使ったり。
本当にごちゃまぜなんです。
だから、You're so American って言われるのは、本当は、好きじゃない。
だって、そうじゃないから。
そして決定的にYou're so Americanって言われて辛いと思った瞬間は、
オーストラリアに留学中、自分の英語に自信満々のシンガポール人に言われた時でした。
言っている相手はきっと、私の英語を褒めたかったのかもしれない。
でも、実は彼自身、自分の英語を完璧だと思っていたから(実際には自分の知っている英語しか知らない。つまり、他の国では言葉が違うことや発音が変わったりすることを知らない)すごくけなされたように感じたわけです。
私の生まれ育った背景を知らないままに、そう決めつけられてしまった。英語がネイティブ並みに話せるというだけでそう言われてしまった。
自分がAmericanだったかどうだったかというよりも、自分自身を知ってもらえていない段階でそう決めつけられ、その後何回弁解してもそのままなおらなかったことはとても苦しい経験でした。
よく言われる言葉
よく、英語が話せていいねって言われます。
そして、よく、You're so American (アメリカン人みたいだね)と言われます。
でも、少し言いたい。
英語が話せていいね
>本当にそうなんかな?
どういう気持ちで言ってるんやろう?
You're so American
>私、アメリカ人ちゃうし。そもそもアメリカに住んだこともないし、アメリカンスクールに行ったこともないねんけど。
インターナショナルスクールで学んだ英語はいろんな国の発音が混じってる。文化も様々なものを体験してきているから、特定の国には染まっていない。
だから、決めつけられると嫌な気持ちになる。今でも。
ーー
英語が話せていいね、って言われるとちょっともどかしい気持ちになる。
頭では英語で考えてるのに、日本語に変換する手間がかかる。
日本語を自由に使えない(よく表現を間違えたり、意味の違う言葉を使ったり)から人を無用に傷つけてしまうこともある。
だから、結局何ができていいねとか何ができて正解とかってないんやなって思う。
自分のことを少しでも知ってもらえたらいいなって思うから、こうして残してみた。
03.09.18
りーのすけ