vol.046|「質問」をするということ
どうも、くじらです。
今朝、「どうやったら質問してもらえるんやろう」という内容のツイートを見かけて、くじらも考えさせられました。
今回は、くじらなりに考えた「質問」をするということについて付箋。
そもそも「質問」って何?
これは辞書で見るような定義とかじゃなくて、なんのために質問するの?というような問いかけなんですが、
質問とは、相手の主張(意見)を自分なりに理解をするためのツールだとくじらは考えてます。
「質問」ってどんな時にする?
考えてみたんです。
いつもどんな時に質問してるかな〜って。
よく、講義やプレゼンなんかの最後に「質問はありますでしょうか」みたいなことを聞くし、実際に自分でも発表をするときは質問ありますか?って聞きます。
でも、こういう場であんまり質問をしたことがないなって思ったんです。
いつもくじらが相手に質問をするとき、それは、対話しているときだなと気がつきました。
「どうして?」「どうやって?」「どういうこと?」って
相手が話してくれていることって、たぶん、全容の一部分を断片的なんですよね。だから、自分でわからなかったところを聞いて、その断片的なピースをつなぎ合わせていくイメージ。
そう、なんかパズルピースを作っていくみたいな。
どういう「質問」の仕方があるか
簡単なので言えば
「眠い〜」
という一言に対して
「よく眠れなかったんですか?」とか「どうしてですか?」
って聞くようなイメージ。
なんで眠いの?なんかしたん?みたいなツッコミをしていく。
こういう時はなんかカウンセラーになったような気持ちで聞くと、相手の話を聴くことにもなるし、どういうことが言いたいのかを汲み取る力も身についたりする。
もうちょっと自分の意見とかを交えたような会話だったら
「それはどういう意味ですか?」
「さっき〇〇って言っていたけど、それはこういうことで合ってますか?」
「こういう風に受け取ったんですけど、合っていますか?」
みたいな、認識の確認をするような質問をする感じ。
「あなたの話はどういう方向にいくんだ?」という気持ちを持つのもいいかもしれませんね。
でもこれって、難しいんですよね。
どうして「質問」をすることが難しいか
答えは簡単。
受け取るだけの教育を受けてきたから。
質問をしようものなら、周りの空気とか気にしてたり、的外れな質問せんかな?と思ってしまったり。
質問をするという習慣がないからなんじゃないかと。
りんごを例にすると
たとえば誰かが「りんご」って言ったらみんな同じりんごをイメージするかってわからない。
りんごにだっていろんな品種があるし
別に切ったりんごだっていいわけだし。
りんごジュースだって、りんごのお菓子だって、なんでもいいわけ。
だから、「りんご」って言われたら「何りんごですか?」とか「もぎたてりんごですか?」とか「お菓子ですか?」ってなんでも聞いてしまえばいい。
受け取る側が感じたことが、発信者と同じであればNICE!!!だし、
同じでなくても、OH!!!そういう捉え方もあったか!!!なんて発見になると思うんです。
どうやって「質問」することを習慣づけるか
質問をすることに間違いはなし、
質問そのものにも正解や不正解はないと思います。
じゃあ、どうやって「質問」することを習慣づけるかっていう話になると思うのですが、最初は意識をして質問するといいかもしれません。
「どういう質問をしよう」と考えながら話を聞いていれば、出てくると思います。慣れないうちは小さな質問でいいと思います。「それ、どういうことですか?」みたいな。
さっきあげた、パズルピースを合わせていくような形。
相手が言ったことを、今度は自分の言葉で話せるくらいに理解をするための「質問」。という意識で
文章でもできる、「アクティブラーニング」
実は、文章を読みながらも練習はできます。
何かを読みながら、読んでいるものに対して問いかけをする。
「この文章、何が言いたいんやろう。」
って疑問を持って、読み進めて
「あ、さっきのはこのことか。んじゃ、これこういうときどうなるの?」
という感じ。
こうやって、文章を読みながら文章と対話するような勉強法を「アクティブラーニング」というのですが、こちらを習慣にしてしまえば、会話になっても同じようにできると思います。
周りの質問できる雰囲気も大事かもしれないけど、それよりも、「質問をすること」の意味を考え、それを習慣化することがポイントになるのではないかとくじらは考えます。
ぜひ
「あ、そういうことだったんか!!」
を体験してください
くじら
20.02.20