【映画の感想】「結婚は合法だった」の一言の重さ。
皆さん、こんにちは、こんばんわ
素敵な下着屋さん(裏方)のひとです。
本日も閲覧くださり、ありがとうございます。
今日は、ランジェリーとは離れた話を投稿します。
久々に、SATCのザ・ムービー2を見ました。
この映画を初めて見た時、私は高校生でした。
なぜか、ドラマでもなく映画の1でもなく2から見始めたのは
配信していたものがこれだけだったからだとは思います。
当時の見た感想はとても煌びやかで、華やかで
ああいう学歴や年齢やパートナーのいるいないの関係のないソウルメイトがいるということに憧れたりもしました。
あれから月日が経ち、見返してみると全く違った感想でした。
今の私としては、とてもショックでした。
お話の始まりは、主人公のキャシーとその友達のシャーロット
それぞれのゲイ友が結婚をするというところから始まります。
ここの部分に驚きました。
高校生の時の私は気づかなかったけど、同性同士の結婚はできるかどうかが大切なのです。
異性愛者はそんなことを考えないのに。
当時の私は、そこに対する知識や理解がなかったのか
性別を気に留めることがないくらい好きな者同士の結婚当たり前に考えていたのか
それは両方の要素を持っていたからか、今となっては微妙なところがあります。
ここ3年ほどの日本でLGBTの結婚についての話題を目にするようになりました。
LGBTのこと自体もやっと社会に浸透し、理解が進んできていると思いますが
SATC2の公開はなんと2010年!
15年近くも前の話なのです。
配信はこれよりも少し後だとしたら約10年前に私が見ていたと仮定すると
多感な時に、この映画を見れて、社会の情勢、ムーブメントよりも前に
自然と触れられたことは本当にラッキーなことだったと思います。
この手の話をすると、家族形成の話や出生率の話を出してこられる方もいますが
まず、前提として同性愛者であろうと異性愛者であろうと
子供が欲しい人もいれば、いらないと考える人もいるわけです。
もし、それを押し付けるのであれば同性愛者、異性愛者、両方に失礼な話です。
異性愛者であり、女性である私は子供を産む機械だと思っているのか?
と尋ねたくなります。
それと同じ意味です。
私には、自由に人生を設計する権利があるはず。
子供を持つ、持たない、いつ何人持つか自由に設計できる権利がある。
なぜ、異性愛者にしかこの権利がないのか?
だからこそ、子供を望む同性愛者にも養子縁組や不妊治療の適応をして
社会的なバックアップを図るべきだと思います。
話はそれましたが、SATC2は差別的な要素があったりもしますが
それでも、見直してよかったです。
自分がどのように生きてきて、知識を得たのか気づくきっかけになりました。
最近、映画を見るほどの時間がないのが残念なのですが
また何か見たいなと思います。