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8.思い出の金木犀のオレンジ色と香りの郷愁は大衆の

今年は台風が過ぎると一気に秋らしい気候になった。まだ、よく晴れた日の日差しは突き刺さる様に鋭いが、日陰に逃げ込むと、あの、秋らしい冷気がもうそこにいるようだ。

秋になると「金木犀の花が咲くのはいつ頃になるだろうか」と、ことあるごとに考えてしまう。金木犀を待ち侘びる気持ちは、ワクワクするともソワソワするとも違う。「ああ、今年もあれが来るのか」と身構える感覚が近い。

金木犀の香りを嗅ぐと、愛らしい甘い匂いを感じるのと同時に、どうしようもないやりきれない寂しみのようなものを感じてしまう。切なく、胸を掻きむしりたくなるような。郷愁に近いような。好感と同時に切なさが迫ってくる香りがする。この感覚は誰もが陥るのだろうか?

私が遠い昔に通っていた小学校には、校庭の端に金木犀がたくさん植えられていて、横にはベンチとテーブルがあり子ども達に人気であった。子ども達はプラスチックの薄い使い捨てコップをどこからともなく手に入れてきて、こぼれんばかりに咲いている金木犀の花をもいで水に浸し、香水を作って遊んでいた。この時も辺りは金木犀のオレンジ色と甘い香りでいっぱいだ。

この金木犀の楽園のようなスペースから遠く離れて、校舎の脇にもぽつんと一本だけ金木犀が植えられていた。プールの入り口の横で目印の役割でも任されたのか、なんとも心もとない様子で立っている。プールの授業がある頃は、子ども達の中であの木が金木犀だと気がついていた子はいないのではないだろうか。
夏が終わり、子ども達に忘れ去られたプールの横で、その金木犀は思い出したかのように鮮やかに色づき、香りを放ち始める。この金木犀が問題だった。

秋が深まって空気が涼しくなると、そのひんやりした空気を呼び込むため教室の窓が大きく開けられる。真っ白なカーテンが授業中の子ども達を飲み込もうとしているかのようにうねって、例の校舎脇の金木犀の香りが教室に充満する。
あの小学校は確か4年生の時に転校したから…あの瞬間私は大きくて10歳程度、かわいい低学年の子どもだった。金木犀の甘い香りと一緒に、凍てついた感覚が胸の奥に芽生えて戸惑ったことを覚えている。いや、そんなに賢くはなかった。謎の切なさと金木犀の香りが結びつくのに、だいぶ時間がかかったと思う。

当時の私は金木犀の香りに奇妙な感覚を覚えながら、同時に大きな疑問を抱えていた。「みんなも同じ感覚を覚えているの?」授業中、隣の子に聞くわけにもいかず、私はクラスメイトの気配を読むしかなかった。先生はいつも通り授業を進め、子ども達にも動揺している様子はなく、私はますます戸惑っていた。

結局、結局のところ、どうなのだろうか?みんな、金木犀の香りを嗅ぐと切なくなるものなのだろうか?筆者はもう30歳を超えたが、結局誰にもちゃんと聞けずじまいだった。なんとなく、金木犀の香りのことは暗黙の了解で、言葉にして、まして確認しあうのはすごく無粋なような気がしてしまうからだろうか。

人に確かめたことはないが、思わぬところに植えられている金木犀を見かけると、「やはり」と思う。「やはり、金木犀で感じる郷愁が恋しくて、こうやって植えているのだろう」と思う。

あの小学校を転校してから、もう何十年も経ってしまった。あの侘び寂びすら感じさせる奇妙な金木犀は、未だにあそこに立っているのだろうか。あの時、クラスメイト達も密かに郷愁の芽生えに打ち震えていたのだろうか。近所の並木に植えられている金木犀のそばを通る通行人は、みな形容し難い寂しみを感じているのだろうか。

みんなそうなのだろうか?私だけなのだろうか?金木犀のことは大好きだが、香りを嗅ぐたびに大衆の暗黙の了解まで思いを巡らせるのは大袈裟な気がして、毎度申し訳ない気持ちになる。そんな季節が今年もいずれやってくる。

ライライ

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