見出し画像

6.ママ、誕生日に何が欲しい?

少し前に誕生日を迎えた。アラサーも板についてきた年頃だ。もう誕生日といっても「特別な日」とまつりたてて欲しいような年齢ではない。

わたしも子どもの頃や若い頃は、「年に一度の自分が主役の記念日」にワクワクしたものだ。かわいいワンピースを着て、ホールのケーキを準備してもらい、輪の真ん中に座ってお祝いしてもらえるのだから。

そして大人がそばに寄って聞いてくれる。「何か欲しいものはない?」うぶなわたしは一生懸命考えて、心の声に耳を傾け、これだと確信したプレゼントをねだるのだ。

なにも、難しいことはなかった。特に子どもの頃など、欲しいものはたくさんあったし、思い付かなければおもちゃ屋に飛び込んで、その店で一番素敵なものを買ってもらえばよかったのだから。

しかし、なのに、どうだろう。少し前から「誕生日に何が欲しいか」聞かれると、本当にこれ、というものが思いつかなくなってしまった。

いやいや、物欲はちゃんとあるのだ。着物も帯もたくさん欲しい。もう少しいい化粧品も試したいし、履き込んだ靴も買い替えた方がいい。下着も靴下もいい加減ボロボロだし、ヘアアイロンは持ち手がベタベタする。

願望もたくさんある。子どもたちとのんびりピクニックにでも行きたいし、久しぶりに旦那とデートにも行きたい。県外に行ってみたい着物屋さんもあるし、海水浴も久しく行っていない。

それなのに、誕生日になにが欲しいか聞かれると困り果ててしまう。要因は色々だ。そもそも抱えている物欲と実生活は、すでに折り合いがついている。願望は、別に誕生日枠でなくとも、きちんと企画すればすぐ実現できることばかりだ。

お金の出どころが家になる点も、誕生日に現実味を持たせてくる。家族のお金を自分の嗜好品に変換したところでなぁ。

たぶん、わたしが本当に欲しいのは、あの頃に感じた誕生日の喜びそのものなのだ。自分の存在を祝福されて、嬉しくて楽しくてくすぐったくて、飛び跳ねて転げ回りたくなるあの瞬間が、また欲しいのだ。

結局、今年の誕生日は人気の草履をプレゼントしてもらった。デザインが可愛く、機能的ですごく気に入っている。温めた物欲が満たされた満足感も得られた。しかし…

誕生日前日にサプライズで部屋を飾り付けてもらい、手を繋いだ子どもたちと旦那が「誕生日のうた」を歌ってくれている時の方が嬉しかった。子どもの時とおんなじ祝われ方で、まだこんなに嬉しいのか。

誕生日プレゼントは、誕生日に受け取った愛情や思い出と結びつく。わたしはあの草履を履くたびに、家族がお祝いしてくれた誕生日を思い出せるだろう。素敵な草履は、誕生日プレゼントとしてわたしの元にやってきたことで、特別な意味を持った素敵な草履になったのだ。

来年もきっと、誕生日に何が欲しいか聞かれてわたしは困り果てるだろう。その時は、誕生日の思い出を閉じ込めておくためにふさわしい品を選びたい。こういう大事なことを、来年のわたしはちゃんと覚えているだろうか。


いいなと思ったら応援しよう!